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 透の新しい住居は既に決まっていた。病院の個室は携帯もパソコンも自由に使うことができたため、インターネットで調べて、既に予約を取り付けてある。明日にでも不動産屋に赴いて契約する予定だが、それまでは行くあてがない。透はホテル暮らしをすると言ったが、それは悠介が許さなかった。ホテルが悪いというわけではなく、悠介の目が届かないのが怖い。最悪のときよりましとはいえ、未だ透の食は細い。一人きりになったら絶対にまともな食事をとらないに違いない。激しく遠慮するのを無理矢理引き留めて、数日は和田家で引き取ることになった。 「おうちの人には言ってあるんだよね」 「もちろん」 「ご家族、ビックリしてたでしょう」 「まあね」  大切な人がいると打ち明けたとき、父と弟は心から喜んでくれた。きっと、何に対しても誰に対しても感動の薄い悠介のことを、どこかで心配していたのだろう。そんな悠介にも大事な人が、と父に至っては涙ぐんでいたが、それが男性で、更にいくつも年上であるという事実を告げると、二人そろって誇張ではなくひっくり返った。 「でも俺を選んでくれる人なら大丈夫かーって謎の納得してたよ」 「あはは、面白いご家族なんだね」  屈託なく笑う透の笑顔が眩しくて、ほっとする。ここ最近はつらそうな顔ばかり見ていたので、そういえばこんな風に笑う人だったなと安堵した。  父の仕事のことや弟の学校についてなど話していたら、あっという間に自宅についた。 「わあ、バス停から近いんだね」 「うん。二人とも出かけてていないけど、まあ上がって」  住宅街のど真ん中にある、何てことはない普通の一軒家だ。広くもなく、小さくもなく。透が今までどんな家で暮らしていたのかは分からないが、こんな庶民的な家で大丈夫だったろうかと今更不安になる。  玄関の鍵を開けながら振り返れば、透は何やら複雑な顔をしている。やはり小さい家だと思っているのだろうか。鍵を開けて、玄関に透をいざなう。 「はいどうぞ」 「お邪魔します」  透はキャリーバッグのタイヤをハンカチで軽く拭ってから玄関に上げ、靴を脱いできっちりとそろえる。そういうところはしっかりしているのに、脱いだ革靴をよく見たら紐が縦結びになっていたりする。そんな抜けたところが何とも透らしい。  荷物は玄関先に置いたままにして、リビングに通す。広くも狭くもないリビングの目立つところに置かれた小さな仏壇を見て、透がわずかに表情を曇らせた。悠介はそれに気づいていたが、触れることはせずにキッチンへ向かう。  冷たい麦茶の入ったコップを二つ持ってリビングに戻れば、透は仏壇の前で手を合わせているところだった。 「透さん。ここ置くよ」 「……僕なんかが悠介くんをもらっちゃって、お母さん、悲しんでないかな」  またそういうことを言う。悠介は透の後ろに膝をつくと、小さな背中を抱き締める。仏壇の中央に置かれた写真の中で、在りし日の母は顔をくしゃくしゃにして笑っている。透とはだいぶ方向性が違うが、母もまた笑顔の似合う人だった。 「僕なんか、って言うのやめて」 「でも、僕……すごく普通の家で、両親も健在で、何ひとつ不自由なく育ったのに、なのにこんなに僕は歪で……」 「透さん」 「おうち見てたら、悠介くんのご家族がすごくあったかいってことは分かるよ。こんなにもまっとうなご家庭を……僕みたいな異端な存在が壊してしまうんじゃないかって、今も不安なんだ」 「透さん」  か弱い体を抱く腕に力を込める。遼太郎とのことは解決したが、根本的に透を苦しめているものがなくなったわけではない。透の自己肯定の低さ。繊細すぎる神経。それらはこれから悠介がじっくり時間をかけて、癒していかなければならない。 「悠介くんはもともと男が好きってわけでもないのに。僕、男だよ。結婚もできないし、子どもも産めないよ。それに君より七つも年上だ。君の人生を歪めてしまう。本当に、本当に許されるんだろうか……」 「透さんっ」  強く引き寄せて、その首筋に顔をうずめた。ほんのりと汗の匂いがする。 「何を言われても俺は透さんが好きだよ」 「でも……」 「確かに元々、男が好きってわけじゃないよ。でも、だからといって透さんを好きになっちゃいけない理由にはならない」 「……っ」  腕の中で透が息をつめるのが伝わってくる。悠介の言葉に極まったのだろうか。それとも、密着しているというこの状況に緊張しているのだろうか。  目の前に透のうなじがある。真っ黒でサラサラな透の髪。短く切りそろえられたうなじがあまりに白くて眩しくて、そして薄っすら汗をかいているのが倒錯的で、たまらなかった。  以前はこんな風に透を見たことはなかったのに。一度好きだと思ってしまうと、止まらない。己の欲望に忠実に、真っ白なそこにそっと唇を寄せた。 「っ、ひ」  透の口からか弱い声が洩れる。首は弱いのかもしれない。ちゅ、ちゅ、と小さな音を立てて何度もついばんでやれば、面白いくらいに反応が返ってきた。 「ひ、ふあ、ちょ、悠介くん、んっ」  耳を真っ赤にして、体をピクピクと震わせ、そんな風に声を出されたら止まれなくなる。本当にずるい人だと悠介は苦笑いした。 「ねえ、証明してあげようか。俺がちゃんと透さんのこと求めてるって」 「ふ、え……?」  振り返った顔は目が蕩けていて、そんな顔を見せられたら我慢の限界だった。小さな顎を捕まえると後ろを向かせて、その唇にむしゃぶりつく。 「んっ……」  以前のように優しく触れるだけのキスではない。舌を差し込み、荒々しく口中を貪った。戸惑って逃げる透の舌を追いかけ、己のそれと絡ませあって舐め上げる。息が上がるのと比例して頭に熱が上る。時折響く唾液の撥ねる音と、透の息遣いがいやらしすぎて倒れてしまいそうだった。 「は、は、透さん……」  唇を離して、その横顔を見つめる。紅潮した頬も、蕩けた瞳も、今までに見たどんな光景よりもいやらしかった。 「ゆ、悠介くん、僕……」  真っ赤な顔の透は口ごもると、己の服の裾をキュウと握って下に引っ張っている。悠介とて男だ、すぐに察した。 「反応しちゃった?」 「あっ」  服を押さえる透の手を握り、そっとそこへ導く。透の手越しに撫で上げれば、目の前の喉がヒクンと震えた。 「大丈夫、俺もだよ」  何が大丈夫なのかが分からないが、己の腰を透の尻に押し付ける。ゴリ、と当たる硬い感触に驚いたのか、透の口から「うわぁ」と声が漏れた。 「ね。ちゃんと透さんを感じてる」 「う、うん……」 「ねえ透さん」  俺の部屋に行こうか。耳元で囁いてやれば、透は壊れた玩具のようにコクンと直角に首を下げた。

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