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5.吹雪の夜に①
小さい頃から、女の子が読むような物語が好きだった。冒険譚よりは、そう、女の子が口をそろえてかっこいいとはしゃぐような、王子様が出てくる物語。三歳上の姉の影響だ。それは今も変わらず、少女小説ばかり読んでいる。でもべつに、本に出てくる王子様とどうなりたいとか、ヒロインの女の子になってみたいとかそういったことはなかったはずで。
それなのにどういうわけか、クリスマスに好きな人と過ごすのだと北斗が話すのを聞いて、なんだか無性にもやもやした。クリスマスのあと、楽しそうにその時の話をされたらと考えるだけで嫌だった。
図書館へ行くのをやめて、北斗に遭遇しそうなスーパーなんかに行くのもできるだけ控えて、本も閉館後に返却ポストへ投げ込んで。そこまでしたにもかかわらず、不意に立ち寄った本屋で困った顔で立ち尽くしている北斗に、どうしても声をかけずにはいられなかった。
「昴くん」
会ってしまったし、もういいやと年内最後の開館日に図書館を訪れ、本を借りて出ると突然後ろから呼び止められた。こんな呼び方をするのはひとりしかいない。こんにちは、と挨拶を交わしながら近づくと北斗はシャベルを一旦雪山に差し込んだ。
「雪掻き大変ですね」
「こまめにやってるんで、そんなには」
いつものエプロンの上からウィンドブレーカーを羽織っているのがややミスマッチだななどと思っているとふと北斗が「そうだ」と思い出したように言った。
「ちょっと待っててください」
すぐ戻るのでと言い置いて建物のなかに戻っていった北斗は、言葉通りすぐに戻ってくる。そして手にした紙袋を昴に向かって差し出した。
「先日のお礼です。突然お邪魔して、ご飯とお風呂まで入らせてもらってしまったので…… よろしければ、ご家族で召し上がってください」
「えっ、いいんですか」
よく見れば近所の有名な和菓子屋の紙袋だ。たった一晩泊めただけなのに、逆に申し訳なく思えてくる。昴は重ねて礼を言って、それから互いによいお年を、と言って別れた。
*
また会えない日が数日続く。二週間に一度通っていたことを思えば大した日数ではないけど、自らあえて行かないでいるのと、行っても会えないのでは全然違う。
あまり、よろしくない。会えないのが、ではない。こんなふうに、簡単に会えるのが当たり前になってしまっている状況が、だ。
昴はつい最近交換した男の連絡先をじっと見つめた。本を貸してもらうという名目で交換したものだが、連絡はまだない。図書館に行ってもその話はなかなか話題に上らないし、もしかすると忘れているのかもしれない。それか、ここに引っ越してきたばかりで、同世代の知り合いがいなくて寂しい、とか。あの容姿と穏やかそうな性格で友達なんてすぐにできて―― いっそもう、恋人だっているのかもしれない。クリスマスに会った好きな人というのはその人の可能性だって十分ある。
どうせ駄目なら、傷つかないうちに――。
そこまで考えて昴はベッドから起き上がった。
(駄目ってなんだよ。なにがだよ)
あの人に恋人がいたからってなんだというんだ。
これじゃあまるで……。
ぐるぐると思考をめぐらせているとふと手元でスマホが鳴った。
*
年に何度か、幼い頃からの仲間たちで集まって互いの近況を報告しあうのは、社会人になってからぐんと頻度は減ったもののまだかろうじて恒例行事だ。
「昴はそっちの人なの?」
「は?」
商店街の外れにある焼肉店で、昴はどこかで聞いた久しぶりに会う友人の問いかけにまたしても眉根を寄せた。店内はびゅうびゅうと外で吹き荒れる吹雪の音に負けないほどの騒ぎ声であふれている。
「べつに昴の男好きは今に始まった話じゃないから」
「ああそうか…… それ俺のカルビ!」
冬真に加え、鷹弘と千晶も小学校や保育園の頃からの友人だ。
先日冬真に言われたのと全く同じ言葉を投げつけられて、昴はいらいらと指先でテーブルを叩いた。
「なんなんだよおまえら皆してそっちの人とか男好きとか……」
「違うの?」
「ち……」
違う、と思いきり否定しかけて、言いよどむ。違うなら、そうじゃないなら、なんであんな気持ちになるんだ。
はっきりしたことが言えずにいると、
「特別どうこうなりたいわけじゃないんだって」
と、冬真が補足した。千晶はふーんと興味なさそうに言いながら肉をひっくり返した。
「エッチなこととか?」
唐突に飛び出した言葉でうっかり想像してしまい、昴はビールを噴き出した。気管に入ってしまったせいで激しく咳き込む昴の背を、横に座った鷹弘がとんとんと叩いてくれる。昴の呼吸が落ち着いた頃に千晶が再び口を開いた。
「けっこう男らしい感じの人なの?」
「や、そこまで男らしい見た目じゃない」
そう答えて初めて、北斗の姿が思い出すまでもなく脳裏に焼き付いていることがわかる。
「でもめちゃくちゃかっこよくて、かわいいところもあって、こう、嫌味がないっていうのかな…… 誰が見てもかっこいいって言いそうな感じの…… 強いて言うなら妖精の森シリーズのリアム王子に似てるかも」
「知らねえ」
「知らねえ」
「肉もっと頼んでいい?」
手を伸ばしてきた鷹弘にメニューを手渡してやりながら昴はため息を吐いた。もう、昴自身よくわからない。思い切って尋ねてみればよかった。
―― クリスマス、どうでした?
たったひとことでいい。フラれちゃいました、と彼はあの寂しそうな笑みを浮かべて、それから―― それから?
「…… ちょっとトイレ」
立ちこめる煙草の煙と鉄板から上がる熱でぼんやりする頭をどうにかすべく、昴は席を立った。
最低だ。昴は自分に言いながら早足で角を曲がろうとした。
「あ」
思いのほか勢いよく曲がってしまった体がなにかにぶつかると同時にぐらりとよろめく。と、バランスを崩しかけた昴の腕を、誰かがぐいと引いた。
「大丈夫ですか?」
「はい…… あ、すみません。ぶつかっちゃって……」
なかば呆然としつつなんとか謝ると、彼はにこりといつもの笑みを唇にのせた。
「いいえ。昴くんも来てたんですね」
「今友達と来てて。…… びっくりしました。家、このあたりじゃないですよね」
「職場の忘年会なんです」
少し意外だった。なんとなく自分の中で司書と肉や酒というものが結びつかなかったが、冷静に考えれば彼らとて同じ人間である。まして聖職者でもなし。
自分の腕の、北斗がつかんでいた部分を特に意味もなくさすっているとふいに北斗が「あの」と口を開いた。
「昴くんにお願いがあって」
北斗の憂うように伏せた表情に見惚れない人間などこの世にいるのだろうか。北斗は視線をちらちらとさまよわせながら、言おうか言うまいか悩んでいるようだった。
「…… 実はお酒の席ってちょっと苦手で、これから二次会が始まりそうなんですけど、できれば断る口実になってくれないかな、と……」
「口実?」
「友達と会ったからと言えばなんとかなると思うんです」
「そんなに駄目なんですか」
同い年か、あるいはいくつか年上のように見える北斗がそんなことを言ってくるのが意外で、ついそう言うと北斗はぐったりと肩を落とした。
「もうほんとに、酔った人も苦手だしお酒自体もあまり好きじゃなくて」
はは、と北斗は小さく笑いをこぼす。
「本当…… まずいし体に悪いし死ぬほど砂糖ぶっこんだホットミルクの方がよっぽど……」
「死ぬほど」
昴は一瞬、呆気にとられたようにぽかんと口を半開きにした。まさか北斗の口から「死ぬほど」「ぶっこんだ」などという言葉が飛び出すとは思わなかった。
「すみません」
昴の表情を見て、北斗は慌てたように言った。
「なんか、子どもみたいですよね」
「いいんじゃないですか。可愛くて」
少し恥ずかしそうに言う彼に笑いながら言えば、今度は北斗がぽかんとする番だった。
「―― あ、いや、い…… 今のは」
急いで弁明するように口を開くと同時に、北斗を呼ぶ声がした。
「こんなところにいた。そろそろお開きにしてこれから次の店行こうと思うんだけど」
そう言ってくる北斗や昴よりいくつか年上であろう眼鏡の女性は、昴も図書館で何度か見たことがある。
「ごめんなさい、これから友達と飲むことになって」
「そう、わかった」
お疲れ様、と淡白に言って去っていく女性を見ながら昴は、違和感に眉をひそめた。そんなに断るのが大変そうな人だとは思えない。
「昴くん」
でもこの人断るのとか苦手そうだよなあなどと考えていると、再び名前を呼ばれる。
「これからふたりで飲みませんか。できればどこか別のお店で」
「…… えっ」
思ってもいない誘いに、昴は混乱した。
「ほ―― 北斗さんさっき酒苦手って言ってたじゃないですか……」
「友達と飲むのは別です」
しどろもどろになりながらようやく返すと、今までにない切れの良さで返される。
「あ、でも昴くんお友達と来てるんですよね」
「いやっ、それは全然構わないんですけど」
後から考えれば、ここでそれを言い訳に断ればよかったのだが、この時ばかりはそこまで頭がまわらなかった。じゃあ行きましょう、と腕を取られてしまえばもう逃げられないと感じつつ昴はせめてもの抵抗で声を上げる。
「あの、俺――!」
もしかすると、いや八割方幻覚に違いないが、断ろうとした瞬間、北斗の眉が悲しそうに下がった。ような気がした。
「…… 行きましょう」
昴は抵抗を諦めた。
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