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6.吹雪の夜に②

 唇に、なにかあたたかく柔らかいものが触れている。昴はいつのまにか閉じていた瞳をゆっくりと開いた。 「あれ……」  すぐそばには、綺麗に整った男の顔がある。どうも頭がぼんやりして、上手いこと働いてくれない。 「ここって…… すみません、俺、会計……」 「いいですよ。この間のお礼させてください。―― お水、飲みますか?」  そんな、和菓子だってもらったばかりなのに。昴はそう言おうとしたが目蓋の重さに言葉が出てこない。部屋はちょうどいい温度に暖まっていて、足元のホットカーペットが眠気をさらに助長させている。 「はい。お水」  差し出されたコップの水に大人しく口をつけるが、眠気は少しも飛ばないうえに今の状況が全く理解できない。どんどんと重さを増していく目蓋をどうにかしたくて思わず手を伸ばすと、横から腕をそっとつかまれる。 「擦ると良くないですよ」 「ん…… でも……」 「遅いし泊まってってください。狭いですけど、昴くんさえ良ければ――」  眠気に耐えきれずに傾いだ体が、北斗の腕の中になだれ込む。なんとか意識を保つので精一杯だった目蓋は、もう限界を告げている。 「泊まっていく?」  肩を優しく押されながら優しく尋ねられれば、まともに働かなくなった脳内では頷くことしかできない。 「…… うん」  差し込んでくる朝日に昴はうっすらと目を開けた。いつも迎える朝とは、なにかが違う。そんなふうに思いながら寝返りを打とうとすると、腕がぶつかる。そこで昴はようやく気づいた。  がばっ、という音がつきそうなほど勢いよく起き上がると、目の前の人影が振り向く。 「おはようございます」  男の姿に、全身の血の気がさあっと引く。 「まったくなにひとつ覚えていないのですがとにかくすみません」 「え、いやそんな」  取り急ぎ早口でそれだけ謝罪すると、北斗は困ったように言った。 「昨日は無理矢理お誘いした上に遅くまで付き合わせてしまって…… こちらこそすみません。…… 気分とか、悪くなってないですか? 頭が痛いとか……」 「体調はすこぶるいいです。でも、その……」  昴は現状を理解できないながらも昨晩のことを必死に思い出そうとする。が、目が覚めたら憧れの人の部屋にいた、という状況に混乱ぎみの頭ではうまいこと思い出せるはずもなかった。 「俺、昨日の記憶が途中から全然なくって…… なにか変なことしませんでしたか」 「というと?」  北斗は昴をまっすぐ見つめて問いかけた。逸らされることのない視線に昴がつい言葉を詰まらせると、北斗はわずかに微笑んだ。 「すみません。僕も昨日は途中から記憶がなくて、気づいたらベッドで寝ていたんです。だからソファで昴くんが寝てるのを見た時はびっくりして」  彼は以前にも見た、少し恥ずかしそうな笑みを浮かべながらそう言った。 *  昴はまだぼんやりした頭のままバスに乗って帰宅した。風は弱くなったものの、いまだはらはらと降る雪のせいか昴の肌はぴりっと痛んだ。 「おかえり。遅かったじゃん」  玄関に入ると、弟の流星が靴を履いているところだった。 「出かけんの?」 「うん」 「彼女?」 「そう」  またかよ、と思ったのが顔に出ていたのか、流星はむっと眉を寄せた。 「そっちだって朝帰りのくせに」 「おまえが思ってるようなのじゃねーわ」 「女のとこじゃないの?」 「超男だよ」 「可哀想に」 「哀れむな腹立つ」  流星は兄をからかって満足したのか笑いながら出て行った。居間に行くと母が洗濯物を干していて、おかえり、と声をかけられる。コートを脱ぎ、二階へ上がる。とりあえず焼肉臭い服を着替えてしまって、風呂…… は面倒だから夜でいいとして、洗面台で髪だけ洗おう。そう考えて昴は洗面所に向かうと、蛇口のノズルを引っ張った。冷たくない程度のぬるま湯にして、頭にかける。  昨日、北斗と別の店に呑みに行ってから本当に記憶がない。店に入って、昴はビールを、北斗はレモンサワーを頼んで、そのあとふたりで日本酒が飲みたいねーなんて話をして、それからの記憶がおぼろげだ。気づいたら北斗の家のソファに座っていて、ふたりでなにか話して、そして―― 「…………」  シャンプーの泡を流し終えて、昴は顔を上げた。 (え?)  唇に触れた、柔らかい感触。触れたのは……。  昴は唇に手をあて、数歩後ずさった。後ろにあるタオルやら入浴剤やらが置かれた棚に背中をぶつけて、ばらばらと何かが床に落ちるが確認するまでの余裕はない。  ―― 俺、もしかしてあの人と。 (…… キス、してないか)

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