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8.ポーラスターに乞う②

「…… いや、自分で聞きなよ、そんなの」  女子の集団を前にして北斗は眉根を寄せて言った。が、女子たちはだってと食い下がる。 「北斗が一番仲良いんだもん。軽く聞いてくれるだけでいいから」  事の次第はこうだ。クラスのとある女子が吹雪のことを好いているらしく、今度の校外学習の班分けで同じ班になりたいが、吹雪の方が彼女をどう思っているかわからないので少しでも脈があるか探りを入れてほしいとのことだった。 (…… めんどくさい)  そんなこと、生まれてから一度だってしたことがないし、だいたい、同じ班になりたいなんて、そんなの僕だって――。頭に浮かんだ想いを打ち消すように北斗は後頭部を掻いた。そして、今しがた受け取った先日のテストの答案を眺める。 「吹雪」  返却されたテストを片手に、北斗は隣の席に座る彼の腕をつついた。 「大問5の最後の問題の答え、何?」 「3≦b≦19」  ありがと、と礼を言って正しい答えを書き込む北斗の腕を、今度は吹雪がつついた。 「何点だった?」 「うわ、嫌味」  顔をしかめて返せば、なんで、と吹雪は笑いながら言った。 「別に悪い点数じゃないでしょ?」 「毎回百点の人よりは悪いよ」 「毎回は無理だよ」  教壇で教師が順に解説しているのを横目に北斗と吹雪は小声でやりとりを交わしていると、ふとこちらをちらちらとうかがっていた数人の女子と目が合う。そもそもこんな田舎で、転入生など今まで一度もなかったし、そのうえこれほどの高性能であれば彼女たちが浮足立つのも当然だ。 「…… 麻奈、吹雪のこと好きなんだって」 「あっそ」  学年中で出回っている話を告げると、当の本人は無関心そうに言った。無関心どころか、一瞬冷たささえ感じて、北斗は口を噤んだ。これでは探りを入れる以前の問題だ。吹雪もそれきり黙ってしまったので、北斗も大人しく解説を聞いた。 「―― なんで北斗が俺にそれ言うの」  授業が終わると同時に吹雪はそう言って教室を出て行った。 「何、喧嘩?」  やや混乱気味にその後ろ姿を見つめる北斗に斜め前の席に座る女子が声をかけた。さっきの女子グループのひとりだ。 「わかんない…… 怒らせちゃったのかな」 「あーあ」  彼女はどこか楽しそうに言った。 「テストだったら0点だよ」 「テストって……」  自分はいつの間に試されていたのだろうかと思う北斗の前で彼女は続ける。 「白峰くんは怒らせるし、麻奈はフラれちゃうし」 「麻奈がフラれたのは僕のせいじゃない……」  いったい何が悪かったのだろう。本人からでなく他人からあんなことを言われたのが気に入らなかった? 純粋に彼女のことが気に食わない? それとも――。  どうやら吹雪の脈がなさそうなことを報告すると、フラれた本人はそっかーなんてけろっとしていた。なんだか拍子抜けだ。  その程度なんだな。  思いかけて、思わず声も出していないのにはっとしたように口元を押さえる。その程度、とは? 自分は、どの程度、だと? またしても喉奥がもやもやして、北斗は頭を掻いた。  翌日、吹雪は昨日のことがなかったように話しかけてきた。 「朝から体育ってしんどくない?」  吹雪の言葉に、周りにいた数人の男子が賛同した。季節は秋に変わっていた。このところ肌寒い日が続いていて、冬が来るのも時間の問題だ。 「進路調査の紙もう出した?」 「まだ」 「俺行けるとこないって言われた」 「おまえは馬鹿すぎ」  軽口を交わし合いつつ体操着に着替えている最中、前の席の男子がぱっと振り返ってくる。 「北斗くらいじゃないの、このタイミングで進路決まってるのなんか」  たしかに、とほかの男子も頷いて、吹雪が「そうなの?」と首を傾げた。 「父親の遺言だっけ?」 「遺言てほどじゃないけど」  北斗はなんとなく照れくさくて吹雪の方を見ないようにして言った。 「あんまり偏差値低いとこは…… 喜ばないだろうな、っていう」 「なにそれ、馬鹿じゃない」  それは、馬鹿にするようではけしてなかったと、今思い返しても思う。 「もういないのに、意味ある?」 「え……」 「もういないじゃん」  その人、と吹雪は冷たく固い声で言い放つと、ひとりでさっさと更衣室を出た。呆然とする北斗の横で、クラスメイトが「なんだあれ」と困惑したような、あるいはどこか憤慨したような様子で言った。 「北斗、気にすんなよ」 「…… あ、うん。全然。大丈夫」  クラスメイトに答え、北斗は彼らと連れだってグラウンドに向かった。  横殴りに吹き付ける冷たい空気で剥き出しの膝が痺れる。動かずに立ちっぱなしでは少し寒いかもしれないが、マラソンにはちょうどいい気候かもしれない。速くもなく、特に遅くもない真ん中あたりの集団に紛れて走っていると、隣に吹雪がついてきた。 「怒ってる?」 「なにが?」  本気でわからなかったのだ。クラスメイトの、気にすんなよ、の意味も、吹雪がああいうことを自分に言った意味も。  北斗が首を傾げると、吹雪は珍しく気まずそうな顔をした。 「…… さっきの。あれ、別に北斗が馬鹿って意味じゃなくて…… ていうか、そもそも……」  話すうち吹雪の走る速度が遅くなって、北斗も合わせて速度を落とした。横から何人かが追い抜いていく。 「…… とにかく、ごめん。昨日寝てなくて、苛々してたんだ」  吹雪はそう言って、北斗の返事も聞かず先へ走っていった。ペースを上げた吹雪がどんどん前を走っている人を追い越していくのを見て、北斗も走るペースを早めたが最後まで追いつくことはなかった。走り終えてから辺りを見回すと、吹雪は水飲み場のそばの木陰に座り込んでいた。 「お疲れ」  声をかけるが、吹雪はぼうっとしたまま返事をしない。隣に座って彼の横顔を見つめる。さっき自分で言っていたとおり寝不足なのか目元が少し赤い。それでも変わらず端正な顔立ちをじっと見つめていると突然吹雪はこちらに気づいてびくりと体を震わせた。 「びっくりした。北斗か」 「声かけたよ」  全然気付かなかった、という吹雪はやっぱりいつもより覇気がないように感じる。 「眠いなら、授業が終わるまでちょっと目、閉じてたら? 時間になったら起こすから」 「うん……」  吹雪はやはりぼんやりしたまま「そうする」と口にすると頭を北斗の肩にもたれさせた。あまりに突然の行動に、北斗はびくんと肩を震わせる。仮眠を勧める、という行為は、吹雪の故郷では肩を貸すことを承諾するのと同義なのだろうか? いや、そんなはずはない。 「―― ふ」 「姉の誕生日だったんだ。昨日」  目を閉じたまま、吹雪の唇が動いた。そこで北斗はふと気づいた。赤い目元は、寝不足なだけでなく、一晩泣き腫らしたようにも見える。 「“その日”が無くなっただけで、あんなに静かだと思わなかった……」  吹雪が自分の家庭事情を話したことはない。  でも、この日、己の肩にこめかみを押し当て、ジャージに顔をうずめ、声もなく涙を流す彼に、北斗はなんとなく察した。 (…… 寒い)  彼の心にぽっかりと空いた穴を、誰かが埋めてやることはたぶんできなくて、それはきっと北斗もそうで、そのことがなぜか北斗をひどく悲しく感じさせた。 (きっと風のせいだ)  もうすぐ冬が来るな、と思った。

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