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13.その星の名は①
コートを借りた。
返しに行くのが楽しみになってしまっている自分がいる。
あの時も、その前も、昴なら受け入れて許してくれるような気がしていた。だって、彼は北斗のことが好きだから。
高校に入ってから、急にモテた。自分の見目がそれなりに良いのだと知った。女子が時折向ける視線の意味を知った。昴のそれは、彼女らのそれによく似ていた。
図書館は、三が日が明けて四日が閉館日の月曜日なので五日から仕事始めだ。昴は、その週の土日にでも来るだろうか。その前に連絡を取って会ってもいいけど、というかむしろ会いたいけれど、駄目かな、忙しいかななどと思いつつスマホを手に取ろうとして気づく。―― そうだ。全部吹雪の部屋に置いてきたんだった。
「…………」
取りに行くしかない。母や祖母から連絡があるかもしれないし。向こうから部屋に来られるのも嫌だし。北斗は立ち上がり、のろのろと準備をした。せっかく綺麗に手入れした昴のコートは着ずに、セーターにパーカーとなるだけ厚着をする。装備を固めてアパートを出て、少し歩いたところで北斗は見知った姿にあ、と小さく声を漏らした。
吹雪が、忘れていった北斗のコートを手に反対側の歩道に立っていた。所々擦れた白線が、ふたりの間をきっぱりと隔てているかのように、北斗には見えていた。ぼんやりしているうちに信号の色が変わって、吹雪が車道を越えてこちらへ駆け寄ってきた。
「…… コートと、スマホ。あと財布。内ポケットに入ってる」
彼が差し出すのを、受け取りたくないと思った。というより、体が拒否しているらしく、腕が猛烈に重たい。無言で吹雪の手元を見つめていると、吹雪が痺れを切らしたように「北斗?」と声をかけてくる。
「…… ごめん。ありがと」
ようやく北斗が受け取ると吹雪はうん、と小さな声で頷いて北斗に背を向けた。思わず顔を上げた先で信号機がぱっと切り替わった。吹雪はさっきと同じように素早く道路を横断した。北斗はそこへ伸ばしかけた自分の手に気づいて、すぐに引っ込めて彼に背を向けた。
―― 君といると、寂しい。
別に、あんなふうに言われなくても告白なんてすることはきっとなかった。同年代の奴らが言っている惚れた腫れたは正直馬鹿らしいと思っていたし、そんなことを言わなくてももっと特別な何かで繋がっているような気がしていた。…… 多分、それも北斗の勘違いだったのだろう。
ずっと好きだった人と同じ気持ちだと聞かされて、これほどまでに暗い気持ちにさせられるとは思わなかった。
部屋に戻ってスマホを手に取る。母と祖母、そして義父から新年の挨拶と正月のうちに少しでいいから家に顔を出さないかという内容のメッセージが届いている。北斗は眉根を寄せた。先月にも似たような内容のメッセージが届いたし、丁重に断ったにもかかわらずだ。北斗とて、彼らと険悪になりたいわけでもないので、明日の昼過ぎにでも顔を出すことにしてその旨を伝えておく。
続けて昴にメッセージを打つ。すぐに帰ってきた家族からのメッセージをよそに、昴からは一向に返ってこなかった。
図書館が開館するとともに北斗の仕事も始まって、数日が経った。昴からの返事はまだない。仕事が忙しいのかもしれないな、休日になったら図書館に来るかななどと考えながら閉館作業をしていると、入り口前の坂道から誰かがやってきた。そして、ロビーの様子を見てあれ、とやや困惑ぎみの声を出す。
「閉館しました?」
「はい。土曜日なので、六時半までで……」
北斗は申し訳なさそうに言った。若い男だった。なんとなく見覚えがあるような、ないような。北斗はそんなことを思いながら、
「返却でしたら本、お預かりします」
と申し出る。そこで北斗は思い出す。去年いつだったか、昴と市内のスーパーにいた男性だ。
「あの、違ったらすみません。…… 昴くんの、お友達じゃないですか?」
北斗の言葉に男も気づいたのか、「ああ、例の……」と口の中で呟いた。
「メッセージに返信がなくて、何かあったのかなと思って。仕事が忙しいのかなとか……」
「いや、ただの風邪です。…… 代わりに本を返してくれと頼まれて」
それを聞いた途端、北斗は蒼褪めた。北斗の内心に気づいているのかいないのか、男は続ける。
「なんかコートも着ずに吹雪の中その辺うろついてたみたいで」
完全に自分のせいだ。目の前の男は無表情で、ともすれば睨んでいるようにも見えた。北斗は本を受け取りながら謝罪の言葉を口にした。
「…… すみません。僕のせいです。…… その、お見舞い、に……」
「だめです」
きっぱりと拒絶するような声に北斗の肩がびくりと震えた。その姿に男は気まずそうに目を逸らす。
「…… 熱、高いみたいなので。行かない方がいいですよ」
さっきよりも少しだけ穏やかな調子で言うと、彼は踵を返した。急いで立ち去ろうとする男の腕を、北斗はとっさにつかんだ。
*
「―― 第一印象と違うって、よく言われませんか」
男は高橋冬真といった。北斗は彼の車の助手席に乗っていた。自分でもほぼ初対面の人間相手にここまで強引になれるとは思っていなかった。
「気になる人に対してだけです」
淡々と北斗が返せば、冬真は横目で冷たい視線を寄越してくる。
「そういうの、やめてくれますか。昴が勘違いをするので」
「気になっているのは本当です。…… 昴くん、かわいいし」
「そういうのをやめてくれって言ってるんです」
車は国道を走っている。この季節、車が通る道以外はほぼ白い景色に埋めつくされる。走るたび、スタッドレスタイヤが凍った雪をがりがりと削る音がしている。
「…… あいつ、人の好意に弱いので。その気がないならやめてやってください」
土曜日の、すっかり日の暮れた交差点で信号機が赤に変わる。北斗と冬真の間にあるサイドブレーキを、彼はがこんと音を立てて力強く持ち上げた。
「ほかに好きな人がいるのなら、その人ひとりに専念してください」
「フラれた場合は?」
「潔く諦めたらどうですか」
「諦めたら昴くんをくれますか」
言ってから、北斗は「すみません」と謝った。昴は物じゃない。彼の好意に甘えて、自分のいいように利用した。多分何度も迷惑をかけたし、嫌な気持ちにもさせた。今度の風邪だって自分のせいに違いない。
声をかけたら喜んだ。目が合っただけで嬉しそうにする。わかりやすく頬を染める。彼なら断らないと思った。
(…… 何が……)
僕のことが好きだから、だ。
僕が。
交わした視線に喜んだのも。連絡先を手にして浮かれたのも。送ったメッセージに返信がなくてやきもきしたのも。
(全部、僕の方じゃないか……)
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