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第4話(4)

「じゃあ行ってきます」 「気をつけろよ。金どのくらい財布に入れた?」 「交通費どけたら五千円」 「もし何かあったときそれじゃ足りないから、持っていきなさい」  ばあちゃんがいそいそとがま口を出し、中から尊厳を完全に奪われたなと気の毒になるほど小さく折りたたまれた一万円札を出して俺の手に握らせた。五千円はもうちょっと赤味がかっているから、たぶんこれは一万円札だ。 「ありがとう。たぶん使わないと思うけど」 「やっぱり私の軽に乗ってったほうがいいんじゃないかねえ」 「いや、こっちの方が運転慣れてるから」 「そりゃ慣れてるほうがいいさ、お母さん」  軽トラに乗ってエンジンをかける。当初はこれで一気にF市まで行こうと考えていたが、親父に「F市の交通事情は生き馬の目を抜く過酷さだ。運転慣れてても、素人が足を踏み入れていい世界じゃない。国道なんか片側だけで四車線もあるんだぞ」と止められた。なので快速が停まるJRの駅まで行ってからF市へ向かう。  うちから離れるほど視界がひらけ、建物が増えていく。山が遠ざかるからだ。よく知った懐かしい一帯が近付いてきて、道路沿いにある母校の前を通り過ぎた。グラウンドで野球部が練習している。こっからは見えないが、校舎の奥では生徒が日曜にもかかわらず登校し、野菜に水をやったりニワトリやウサギの世話をしてるはずだ。一年のときは毎日ここに二時間かけて自転車で通ってたっけ。二年に上がる前に免許取って原付にかえてからはだいぶ楽になったが、それでも三年間休まずよく通ったものだ。ここまで来たら駅まであと二十分かそこらだ。  到着してコイン駐車場に軽トラを停めた。切符を無事購入して快速をつかまえて席に座ると、今日の仕事の九割は達成したような充実感だ。いや、このあとこそメインイベントがひかえている。  アイコさん、はたしてどんな人だろう。中身はだいたいわかってるが、見た目が想像つかない。まあ都会に住んでるってだけで、その辺に転がってる兄ちゃんと変わんねえか。現実世界なのでFDの中でたまにやられる「腹立ったついでに俺に発砲する(味方の攻撃なのでダメージはない。体力は削られないが、俺のメンタルが削れる)」の心配がないので、たいがいのことは大丈夫か。  今日は祭りだったか……! と茫然とするくらいH駅のホームは人でごった返していた。気を抜くと容赦なく線路の上に落とされそうだ。今回は引率の先生がいないので、俺一人でこの状況を切り抜けなきゃならない。日曜の昼前はこれから何かする気満々、移動する気満々の老若男女しかいなかった。  戸惑いながらも雑踏の流れを滞らせないよう注意して階段を降りる。みんな一心不乱に歩いていた。年寄りの歩くスピードも、うちのばあちゃんを始めとする近隣年寄りと比べたらだいぶ早い。  いきなり連れて来られた人間でも迷うことがないよう、駅構内は矢印や番号や日本語外国語がいたるところにあって、それを選びながら歩くとスムーズに乗りたい電車に乗ることが出来る。俺は外へ出て行く側なので、降車客の流れについて行くと思ったよりあっさり目当ての改札口に着いた。競馬のスタートゲートに似た改札機に一瞬たたらを踏みそうになったが、以前「どうしたらいいかわからないときは前の人の真似をするんだ」と葬式の焼香の際親父から受けたアドバイスを思い出し、無事これもクリア出来た。  改札を抜けたのでアイコさんに電話をかける。すぐに出てくれたが、バスが混んでたとかでさっき駅のバスターミナルに着いたらしい。 『ごめんごめん。スマホでしゃべりながら近付いてくからトマトくんも切らないでよ。服どんな感じ?』 「青いシャツ着てます」 『わかった』  いよいよか。緊張してスマホを耳にあてたまま隣を見ると、ガラスに映った自分が目に入った。シャツは親父が「これ着てけ」と貸してくれたもので、まあ見るなり回れ右されるということはないだろう。親父は誰もが認めるオシャレでセンスがある男と村うちで評判だからだ。もし誰も何も言ってくれなかったら、ばあちゃんが近所のスーパーで買ってきた税込二千円のシャツを着てきたところだった。作業着でない服は俺にとってだいたいよそ行きだ。  遅いな。すぐ着くって言ってたけど、そうでもなかったのか。駅広いもんな。靴のつま先を見ながら床を何となく蹴っていると、スマホを耳に当てた知らない人がいきなり視界に入って俺を見上げてきた。 「え?!」 「トマトくん?」 「あ、え? は、はい……」 「やっぱそうか。俺だよ」  そう言いつつ笑顔でスマホをしまう。「予想通りのツラだったわ」  ただただビックリした。この人がアイコさん、とたちまち確信が持てたのは、知っている声だったからだけじゃない。アバターと同じ顔をしていたからだ。違うのは髪の色と長さだけ。 『……女子か?』  そう思いはしたが、感想をそのまま口に出したら音高らかにスマホで引っぱたかれるかもしれないと思いとどまる程度には、俺はもうこの人のことをわかっていた。

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