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第6話(3)

 五月が近付くといよいよ忙しくなる。苗の定植が始まるからだ。種から育てておいた苗を、ハウス内の地面に一つ一つ植えていく。畝を立てて黒のマルチシートで覆った地面は、鈍い光沢があって妙にSF的だ。マルチシートは幅広の薄いフィルムで、これで地表を覆うことによって保温・保湿・雑草の防止と、まさにマルチな効果をもたらしてくれるノーベル賞ものの商品だ。  定植が終わったら次は支柱立て。だんだん苗が成長して伸びてくるので、伸びた苗が倒れないよう、葉っぱ同士が重ならないよう、茎をバランスよく支柱に結びつけていく。これは誘引という作業だ。それをしつつ、余分な芽を取る芽かきという作業もしなきゃなんねえ。ああ忙しい。手順に全部名前がついているので、考えるだけで気がせいてくる。作物を育てるのはとにかく時間と手間がかかるのだ。待ってくれないし手抜きも出来ない。まあ俺はそこが好きなんだけど。  今はまだ余裕があるけど、次第に忙しさが増し、収穫期になったらアイコさんとはほとんど会えなくなる。手を動かしながらそんなことを考えた。たぶん明日あたりお誘いがかかるだろうから、そんとき話すか。何て返されるだろう。『あっそ』で終わりな気がするが、それきり疎遠になったらイヤだな。 「おおー、健ちゃん。今年も順調に進んでんじゃないの」  ハウスにニコニコと入って来たのは達彦おじさんだ。親父の従兄にあたる人で、ちょっと離れた集落に住んでおり、イチゴをやっている。今日は定植の手伝いに来てくれたのだ。作業の忙しい時期は近隣や親戚でお互いの田んぼや畑を手伝い合うのが普通だ。俺のことをかわいがってくれ、「瑞貴。イチゴやる気になったらいつでも言ってくれ」とよく脇道に誘う。おじさんの息子と娘は家業を継ぐ気がないようで、都会に出てそのまま結婚し、家まで建てたのでたぶん帰ってこないんだろう。 「やっぱ息子が一人前になると、作業のはかが行くよなあ」 「いやあ、まあね。ハハハ」 「うちなんか時期になったら電話にも出やしねえよ。手伝えって言われるのわかってるから」  俺にとってハトコであるおじさんの三人の子供たちは、俺が物心ついたときにはすでに大人だったり高校生だったりしたため、あんまりなじみがない。家に行ったとき菓子をもらったり、ちょっと遊んでもらったりした記憶がかろうじてあるくらいだ。 「今年も瑞貴に来てもらっていいかな? 忙しいとき悪いんだけど、やっぱ瑞貴入ると効率が違うから」 「ああ、いつでも声かけてよ。すぐそっちにやるから」  俺の頭を飛び越えて労働力のやり取りが行われているが、べつに異存はない。イチゴは同じハウスものながらトマトとはやり方がまったく違っている。高校の実習ではイチゴもやったが、おじさんはそれとも違う方法で育てているのだ。  試行錯誤を繰り返し、基本にのっとりつつ独自の工夫を編み出して、よりよい方向を探っていくところに農業の奥深さがある。それによって反収(面積当たりの収穫量)を増やすが、ノウハウはもちろん人にも教える。そうやって皆で地産の作物を名産品に育てていき、地域を盛り立てていくのだ。  俺はお呼びがかかると達彦おじさんのハウスに収穫と苗取りに行く。苗取りは簡単に言うとイチゴの株を増やす作業だ。親株から長い茎が伸びてくるのでそれを鉢に根付かせ、小苗にして次の収穫に備える。イチゴは育ってきて実が赤く色付いてくるとハウスを通り抜ける風に匂いがついて、見て楽しい、かいで楽しい、食べておいしいという何ともナイスな果物だ。だからなのかこの辺にイチゴ農家は結構いるし、イチゴ狩りスポットも何か所か存在する。 「にしても、瑞貴はこんな忙しいんじゃ彼女も出来ないな」 「え? ああ、うん……」 「誰かいい人いたら紹介してやろうか」 「そうしてやって。こいつ真面目だから、付き合うときは結婚前提になるけど」 「そりゃ重いわ~」  二人して勝手なことを言って笑っている。まだ二十一だし、べつに彼女がほしいとか思ったこともないんだけどな。しかも俺はしゃべり上手でもなければ気が利くわけでもない。高校時代、女子からは「ただ立ってるだけ」「農業実習以外は目が死んでる」と酷評されていた俺が、そもそも恋愛など出来るはずがないのだ。 『それに』  連れて来られた女子がアイコさんに勝てるとも思えない。いやアイコさんは男なのでそもそも比較したらおかしいが、でももし雀のお宿のようなところへ連れて行かれて「あなたが欲しいのはこの『若くてかわいい、農家の仕事にも理解がある農協の女子職員』が入ったつづらですか? それとも『若くてかわいいけど、口が悪くてそのうち尻に敷かれること必至のゲーム男子タケル』が入ったつづらですか?」と聞かれたら、「あっ……じゃあ」と迷わずアイコさんが入ったつづらを選ぶだろう。つづらのフタを開けたとたんハンドガンで撃たれそうだが。  何となく顔が熱くなるのを自覚したので親父たちに背を向け、黙って結束機で支柱と茎を固定する作業を続けた。

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