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第7話(2)

 やり取りをぼんやり反芻していると、目的地が近付いてきた。前方のブルーの経路案内に「〇〇駅」の文字と左折の指示が出ている。左に曲がると小さくて扁平な建物がすぐ見えた。あれが駅か。うちのJRの最寄り駅(近くないが)とそんな変わらない大きさだな。アイコさんはタクシー乗り場のあたりで待ってるらしい。人が少なかったのでロータリーに入って一周しないうちに所在なさげに立つアイコさんを見つけた。 「おーい」  あんまり大声だとあとで「バカでけえ声出してんじゃねえよ。恥ずかしいんだよ」と怒られると予測し、ほどほどの声量で窓を開けて呼びかけた。俺もだいぶこの人をわかってきた。ところがこちらを向いたアイコさんの顔がみるみるこわばる。……ん? どうした?  アイコさんはその表情のまま傘を広げ、そそくさと近付いてきた。 「まっ……まさか軽トラとは……!」 「何かダメでした?」 「ダメってことはないけど」 「ほら、早く乗って。後ろから車来るから」  抵抗するわりには案外おとなしく乗ってくれた。とりあえず第一段階はクリアだな。 「俺、生まれて初めて軽トラに乗った……」 「そうなんですか。楽しいでしょ?」 「楽しいっていうか、業者の車ってイメージだったから」 「ばあちゃんの軽のほうがよかったですかね。あれ狭苦しいから、二人で乗るにはキツ過ぎると思ったんですよ。親父の車は古いアメ車だからすぐ止まるし音うるさいし」 「へえぇ~……」  声の勢いと表情から察するに、アイコさん的には軽トラよりばあちゃんの軽のほうがよかったようだ。いや、でも今日を境に軽トラの魅力に目覚めてくれるはずだ。目線が高い! 燃費がいい! 一週間分の食料を買ったうえにミカンを箱ごと買い、さらに冷蔵庫を買い、追加で子牛を買ったとしても全部載せて帰れる! 見た目もカッコイイ! 男と生まれたからにはこういう実用的な車を乗り回したいものだ。  スマホ片手のアイコさんが命じるまま車を走らせると、大きな建物が見えてきた。広大な駐車場をかかえた三階建てのショッピングモールだ。この系列店はうちの市内にもあるが、規模がまるで違う。平日の昼でしかも雨だからか、駐車場に車はそこまで停まっていなかった。  屋内と屋上に駐車場があるようだが、そういう感じのに慣れていないので避け、店舗前のなるべく出入り口に近い場所に車を停めた。そういや傘持ってきてたっけ? と心当たりをさぐっていると、アイコさんが運転席側にまわってドアを開け、「ほら」と俺に傘をさしかけてきた。 「す、すいません」 「お前がさすんだよ」  もちろんです。アイコさんが傘持ったら俺がだいぶかがまないといけないんで。彼がすたすたと歩いていくのを、濡れないよう背後から傘をさしてついていった。靴のかかとを踏んで転ばせてしまいそうでヒヤヒヤする。  しずくを落とさないためのビニール袋に入れた傘を持ち、店内に入ってからもアイコさんのあとをついていった。何か買いたいものがあるのかな。そう思って彼が立ち止まれば俺も立ち止まり、何かを覗き込めば俺も同様に覗き込んだ。周囲の人間には異様にはっきりした背後霊に見えたかもしれない。 「お前どっか行きたいとこある?」 「はあ」 「欲しいものとかないの。服とか」 「ないです。俺のことは気にしないでいいんで、自由にやって下さい」  アイコさんは気をひかれると近付いて調べずにはいられない人のようで、服の布地をとにかくさわる、タグを引っくり返して服の成分表? を読む、文房具屋に行けばボールペンの軸の黒と紺を見比べる、ノートの紙の手触りを確かめる、などなど、好奇心の強さたるやネコ並みだった。  アイコさんのそういう気ままな様子を見ながら、自分が友達とこういうところ来たとき何してたっけ、と思い出していた。そんな機会、年に片手で数えるほどしかなかったが、みんなで映画観るとか本屋で何か買うとか、人のあとをついて行くだけだったような気がする。今とあんま変わってねえな。そして腹が減ったらうどんとかマックを食って帰ってた。  俺って世間知らずだな、とあらためて思った。この人の反応とか言葉を待つばかりで、積極的に楽しませるようなことが言えないし、今の振る舞いが正解かどうかもわからない。犬のようについて回るのは犬だから許されるんであって、人間の俺じゃダメだろう。せめて荷物が増えたら「持ちます!」とひったくるくらいか。  これが最後だったら嫌だな。今日一日、俺と時間を潰せて案外よかったって思ってもらいたい。忙しくなくなったらまたどっかに行ってもいいと思ってもらいたい。俺と会わないあいだ、今日のことをときどきでいいから思い出してほしい。次の機会はないかもしれないと思うと、アイコさんの姿を記憶に刻みつけずにはいられなかった。  首は細く、うなじが白くて頸椎が薄い皮膚の下にあるのがわかる。シャツの中にある肩はやっぱり華奢で、俺の手で覆えそうだった。試してみたくても触っちゃいけない。そんな権限が自分にはないからだ。  俺とは違う、遠い世界の人のような気がして寂しかった。これからもこの人に会える口実があったらいいのに。ゆっくりと坂を滑り落ちていくような、なすすべのない苦しい気持ちだった。

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