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第7話(3)

 二時半近くになって「何か食うか」とやっと言ってくれたのでホッとした。アイコさんはどうも空腹に気付きにくい人らしく、十二時をかなり過ぎてもメシのメの字も出て来なかったのだ。それとも駅で俺を待ってるあいだに何かムシャムシャ食ったのか? 店という店をひたすらさすらったせいか、体の疲れとは違う変な疲れで目と頭が重い。高校の定期試験以来の疲労感だった。 「フードコート行きましょう!!」  フードコート。たとえ大家族の食いたいものが全員違ったとしても、争うことなくめいめいの食いたいものが食える食のカーニバル。値段は決して高くなく、水飲み放題テーブル拭き放題。俺が力強く要望を出したからか、「ん~いいよ」とあっさり同意してくれた。  フードコートは俺の想像以上に広くて座るところが多く、なのに人が少なかった。もはや昼メシの時間じゃねえもんな。むしろおやつを求めてそろそろ再結集しそうだ。  壁の一面がデカいガラスになってて、雨で暗くなっている空が見えた。屋外にいると雨は憂鬱でしかないが、明るい室内から見るとそこまで嫌ではないし情緒もある。ガラスを切り取ったようなドアの向こうはベランダ(テラス?)になっていて、テーブルとイスがいくつかあった。晴れていたら景色を見ながらあそこでメシを食ったり出来るんだろう。  俺はお好み焼き屋で大盛り焼きそばとお好み焼きのセットを買い、アイコさんはトレイにちゃんぽんをのせて戻ってきた。俺の皿を見るなり「どうかしてんじゃねえの」とボソッと呟いたが、俺もアイコさんのトレイを見て同じ感想を持った。ちゃんぽんが普通盛りじゃなく、どう見ても幼児向けサイズだったからだ。OLだってランチにはもっと食うぞ。 「何で全部真っ茶色なんだよ」 「焼きそばとお好み焼きだからですよ。色は同じですけど別物です」 「しかもその量よ」 「朝メシ遅かったんですか?」 「何で」 「量が少な過ぎるから」 「俺、あんまり食うの好きじゃねえんだよ。一度に詰め込むのがムリっつうか。腹いっぱいになったら動くのおっくうになるだろ?」 「よく生きてられますね。風邪ひきますよ。いつか倒れますよ」 「ムリなもんはムリなんだって。一応気をつけて食うようにはしてる」  食い過ぎないように気をつけることはあっても、食わなさ過ぎに気をつけることなんてあるのか? 年寄りがこまめに水分摂取に励むようなもんか。自分とはジャンルの違う生き物という気がますますしてきた。  こういう人はすぐに飽きて遊び食べとかしそうなので、食うことに集中させることにした。なので俺も己の食事に無言で取り組む。まずくはないが別にうまくもない。ソースの味で食わせており、肉の少なさより野菜がどれも新鮮でないのが不満だった。とくにキャベツが全然よくない。店に「仕入れ先かえた方がいいっスよ」と言いに行きたくなったが、チェーン店ないしはテナント店のやむにやまれぬ事情があるのだろう。  お互い無言で麺をすすり合い、食事を終えた。食い終わった皿をそれぞれの店に返却して席に戻ってくると、アイコさんが「ちょっとFD立ち上げてみろよ」と言いだした。 「え? ここで? 何でですか」 「いいから」  ――回線越しだったシゴキがついに対面になるのか。こんな公共の場で怒鳴りまくられたくないし、物理で手が飛んできそうで地味にツラい。スマホを出してFDを起動させると、俺の手からスマホを取り上げたアイコさんが画面を見て眉を寄せた。 「お前、この配置って初期状態のまんまだろ」 「配置?」 「操作ボタンの配置だよ」 「ああ、はい」 「俺の見てみ」  アイコさんが自分のスマホを俺に向ける。スマホの色は漆黒で、持ち主の見た目と全然マッチしてないが、内面の問答無用の猛者感を表現しているようにも思える。画面の様相は俺のとまるで違い、「えっ」と口から出るほどボタンの位置と大きさが異なっていた。 「何で透けてるんですか? 俺のもっと白いですよ」 「透けてないとボタンが視界の邪魔になるだろ。設定するところがあんじゃん、あそこで濃度とか大きさを調整するんだよ」 「それは知ってますけど……。でも何でこんな変な配置なんですか?」 「こうしてるから」  そう言って両手の指ではさむようにスマホを持ち、人差し指と親指で画面を囲った。 「これは四本指」 「四本指?」 「四本の指で操作すんの。お前左右の親指だけでやってるだろ」 「そりゃそうですよ」 「俺も前は二本だったけど、ちょっと真面目にやろうと思ってこっちにかえたんだ」  そのままソロの試合に入ったので背後に回り、操作の様子を見せてもらった。四本の指が画面から浮いたりついたりしているうちにアバターが激しく動き、敵を撃ちまくる。でたらめのようでいてエイムは正確無比。リロードが遅いのがデフォルトのスナイパーライフルをハンドガンのように接近戦で使い、狙ったと思った次の瞬間には相手が倒れていた。物資豊富なエリアに降りたため十人強が争奪戦を繰り広げるという地獄の様相を呈していたが、瞬く間に制圧して死体の山を築いたのはやはりアイコさんだった。  そうか、これがあの「何で?!」と我が目を疑う動きの秘密だったのだ。飛び跳ねながら撃ったりスライディングして敵の弾をよけつつ撃ったり、一人だけ違うゲームやってねえかと言いたくなる身のこなしはこれが理由だったのだ。  さっそく配置をいじり、真似してやってみた。虚しいことに動くのはやはり親指だけで、人差し指はお留守のままだ。意識して人差し指を動かそうとすると今度は親指が動かなくなる。走りながら誤射りまくり、室内に入って物資を拾おうにも無意味に壁に突進し、ドアに引っかかっては元の場所に戻される。最後は目前の敵(あきらかにbot)を撃たずに何故かしゃがみ歩きを始めてしまい、格好の的にされて終わった。順位は痛恨の84位。マイナス判定でランクが下がってしまった。 「無理だろこんなの……」 「そりゃすぐには出来ないでしょ。自分なりにアレンジして使いやすいようにしていきな」 「アイコさんはどのくらいで出来るようになりました?」  するとアイコさんは画面から目を上げ、妙に不満そうな顔つきでこっちを見てきた。口先が何となく尖っている。 「何ですか?」 「……べつに」 「どのくらいで出来るようになります?」 「人によるだろ」 「無理に動かすと指がつりそうになるんですよ」 「知らねえ」  いきなりそっけなくなった。画面では次の安地へ移動中でまだ佳境に入っているほどじゃないが、集中したいのかもしれない。俺は黙って終わるのを待った。当然のようにチャンピオンになるアイコさん。山のように与えられる報酬。  慣れか。とにかく慣れだな。キャラコンの秘訣は手に入れたので、あとは俺が地道に努力するだけだ。作業の隙間時間に練習を積もう。そしてじわじわ上達してアイコさんに感心されるのだ。  一歩でもこの人の境地に近付いて「腕を上げたな」と思わせたい。やっぱり相棒はこいつだと、他の奴とはする気になれないと思われたい。このままだといつか置いてけぼりをくいそうだし、本人がこんだけ上手いってことは、近い人間にもそのストイックさを求めるってことだ。だから俺も時間を工夫して努力しなくては。そう決意していると、左手の甲がスッと冷たく濡れた。 「こんなデカい手してんだから大丈夫だろ。長さ足りないってことはないんじゃない」  濡れたのではなくアイコさんの手がそこに置かれていた。指の長さを確認するように俺の手を扱うアイコさんの指は水のようにひんやりしている。皮膚が柔らかいのは力仕事や労働から遠い生活を送っているせいだ。日に焼けておらず、骨も細かった。体と同じように俺よりひと回り小さい手だった。  反射的に手を引っこめた。熱いものを触ったときぐらいのスピードで引いたので、自分でもしまったと焦ったくらいだ。これじゃまるで俺がこの人を嫌ってるみたいじゃないか。 「す、すいません。ちょっとビックリして」 「……」 「ここ十年ぐらい手とかばあちゃんにも握られたことなかったんで」 「ばあちゃんと一緒にすんなし」  アイコさんは少し笑った。笑ってくれたことでチャラにして流してくれたような気がしたけど、大丈夫とはあまり思えない。けどこれ以上言い募るのも言い訳がましくてかえって変だ。やることなすことドツボにはまっていくようで気が沈んだ。俺はやっぱり世間知らずだ。

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