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第7話 雨の日のデート(6)
FDの世界じゃバイクにダンプ、ヘリに戦車と何でも乗りこなすアイコさんだが、現実世界での運転はやはり無理らしい。「運転してみます?」「ムリ」「俺が隣でフォローしますよ」「やんねえ」という押し問答を繰り返しているうちに駅に到着した。
「じゃ、また。お元気で」
駐車場に入って車を停める。入場券を買って見送るつもりだったが、アイコさんに「そこまでしなくていい」と断られたのでここでお別れだ。
「……」
「どうしたんですか?」
アイコさんは黙ったまま動かない。シートベルトは外したものの、考え事をしているようにうつむいている。
「何か買い忘れたものありました? 引き返しましょうか」
アイコさんの薄茶色の目が俺を見た。
「あのさあ」
俺の腕にアイコさんの手がかかる。軽くて白く、脅威など感じない手だった。
「もうお前、そのアイコさんっていうのやめろ」
「え? あ、は……はい。すいません、つい」
「あと、基本的に隣歩かねえしよ。お前は俺の家来じゃないんだから、俺の後ろを歩くな」
「そうでした? そうですかね?」
ずっとそうしていた記憶はないが、指摘されるってことはそうだったんだろう。どうしてもこの人には子分根性が出てしまう。人目もあるし、嫌だったんだろうな。
「すいません。以後気をつけます」
頭を下げた俺の耳にアイコさんの手が添えられた。思い切りひねられるのかと一瞬身構えたが、ただ冷たい指でつつまれただけだ。体が近付いてきて寄り添い、服越しにその実体を感じた。
アイコさんの体は布地を隔てていても温度が低かった。そして意味不明なほどいい匂いがする。それが石けんの匂いなのか柔軟剤なのか、俺にはよくわからなかった。
下から腕が伸びてきて俺の肩から首にかけて巻きつく。いい匂いが濃くなって、意識が痺れたようにぼんやりした。頭を引き寄せられ、唇に刻印されるように似たものが押しつけられる。同じ部分のはずなのに実際味わうと、俺のと全然違って感触が柔らかかった。離れていく頬はやはり水のように冷たかった。
「あっ……えっ……」
発作でも起こしたかと思うほど心臓が激しく動悸し、呼吸が苦しくなった。絶対血圧が猛烈に上がってる。首から上に血液が集中し過ぎて脳ミソが爆発しそうだった。
「あのっ……何ですか、今の?!」
「頭突きだよ」
アイコさんはしれっと言った。お互いの服が擦れたせいか、またいい匂いが俺の鼻先に漂う。視界がチカチカして気絶しそうだった。
「頭突き……頭突き?!」
「そう、頭突き。じゃな」
興味なさそうに言い捨てて自分の傘を忘れず握り、さっさと車を降りて行った。バンとドアが閉まる音。静かになる車内。茫然とする俺。
帰りの高速で、俺は軽トラの中で絶叫し続けた。叫んでも叫んでもさっきの衝撃が消えない。
『何なんだあれは!!』
いつのまにか軽トラの限界速度に達していたので我に返り、あわててスピードを緩めるが、さっき経験した人生初の感触がよみがえってきてまた吠えてしまう。
『じゃあ、じゃあこないだの頭突きもそうだったのか!? あれってそういう意味だったの!?』
ハンドルを握りしめたまま地団駄踏みたくてしょうがなかった。どうやってこのパニックをやり過ごせばいいんだ。思い切り蛇行して暴れ狂い、クラクションを鳴らしまくりたい。
世間ではたかだかキスなんだろうが、ぶっちゃけ童貞の俺は一人車内で七転八倒せずにはいられなかった。しかも不意打ちだったので動揺は非常に大きい。冷たくてさらさらした表面のアイコさんに触れられたのに俺は熱くてたまらず、汗びっしょりだった。
どうしよう。もう俺、あの人のことしか考えられないかもしれない。
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