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第ニ十章・3

『遠山さん。今日は、お願いがあって来ました』 『何ですか? 改まって』  実は、と奈津美は、まだ狭い幸樹の背に手を当てた。 『実は、入院することになってしまって。それで、この子をお願いしたいんです』 『幸樹くんを? お安い御用ですよ』  奈津美は、そこで幸樹の背を押し、一歩前へ出した。 『ご迷惑をおかけします』 『とんでもない』  深々と頭を下げる奈津美の目には、今思えば涙が光っていたのかもしれない。 「それが、亡くなる前に見た奈津美さんです」  奈津美は、膵臓に癌を患っていた。  入院したのち、みるみる病状は悪化して、椿の花が落ちるようにこの世を去った。 「お見舞いには、絶対に来ないで欲しい、と言われまして」  初めて遠山は、顔をゆがめた。  唇を結び、深い後悔に耐えた。

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