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1.焔-2
何者かに目を塞がれている。
気配も、床板を踏む足音もしなかった。
異常事態。こめかみが、指先が、ぴりと強張る。
反射的に身じろぐと、踵が何者かの足らしきものに当たった。
耳の後ろに熱のある息づかいを感じる。
敵は人の形をしているらしい。
「……ぉい——……」
掠れた声が聞こえると同時に私は動いていた。
足の甲の位置にあたりをつけ、思い切り踏みつける。
躊躇する理由はない。
「な゛ッ……」
苦悶に構わず、素早く腰を落として、顔を覆っていた手から抜け出す。そのままの勢いで身体を捻り、脛のあるだろう位置に渾身の蹴りを入れた。
「痛ッッダァッッ!!」
「あ」
叫び、よろめいた人影が倒れ込んだ。つい先ほど杖で突き崩した床の真上に。
謎の襲撃者は悲鳴を上げながら、腐った板をぶち抜いて落ちていった。
あまりの間抜けさに少し拍子抜けしてしまう。
さっと周囲を見渡したが、どうやら仲間はいないようだ。
床の大穴に視線を戻すと、中でもがいていた人影——赤毛の男が動きを止めてこちらを睨んだ。やたらときらきら光る瞳は涙目のせいか。
「いきなり見ず知らずの相手を蹴飛ばす奴があるかよ!?」
「…………いきなり見ず知らずの相手の背後をとる奴はあるのか?」
杖先を伸ばし、脛を小突いてみる。
「待っ、痛ッ!」
「単なる馬鹿か、礼儀をわきまえる必要のない賊か、妖怪変化の類なのかは知らないが、一つ教えてやろう。人に話しかける時はまず声を掛けろ。手を出すのではなく、だ」
「悪かったって、とりあえずその杖を止めろ!」
私はひとまずつつくのを止め、ようやく相手を落ち着いて観察した。
若い、だろう。私と同程度か、少し上か。悪くない体格に、彫りの深い面立ちをしている。顔の作りだけを見れば、おそらく美形に分類される。
しかし風体は薄汚れていた。髭は伸び、目を引く赤い髪はもつれ、態度にも表情にもどうにも締まりがない。極め付けは擦り切れた服から覗く、肌に巻きつく真っ赤な紐である。
総身から漂う珍妙さが、美しいなどという印象をものの見事に打ち消していた。
「それで? お前は何者だ」
「何者ってったら、人間だよ。馬鹿かも知れないけど、賊や妖怪じゃない」
男は名乗ることはなく、疲弊しきった声をあげた。
「もうこのままでいいから聞いてくれ。俺は怪しい者じゃない、鬼火を見物に来たんだ」
「ほう、見物」
私は床の裂け目の端を、杖でコツコツと叩く。
「肝試しのために、こんな廃屋まで足を踏み入れたのか? 酔狂だな。ケジを甘く見ない方がいいぞ」
「知ってるさ。俺だって多少は使う身だ」
全身で赤を主張している男が眉をしかめる。
紐の絡む手を虫を払うように振ると、それを追って指先に炎が踊り、残像が尾を引いて消えた。
何かの術を使えるようだ。気配を悟らせなかったのもそのせいだろうか。
「肝試しじゃないぜ。火を扱う者としちゃ、ここの噂にも興味が湧くってもんだろ」
「本当に見物のためだけにこの屋敷にいたと?」
「あぁ」
「私にちょっかいをかけた理由は」
「いやぁ、無防備にボーっとしてたからさ。つい脅かしてみたくなって。全然だったけどな」
男はヘラヘラと笑う。軽く睨んでやると息を呑み、一瞬で顔が青ざめた。よく表情を変えるものだ。
「ちょっ……冷たい視線すぎやしねぇか……?」
「生まれつきだ。とにかく、鬼火の噂はお前の仕業ではないんだな」
「違う! ……っと、違います……?」
こちらの顔色を伺う男を、私は放っておくことにした。
正体は知れない。害意の有無もわからない。しかし、大した力がある訳でもないらしい。
何より、もう日没が近かった。これ以上この男に構っている暇はない。私は穴の縁に膝をつく。
「先に言っておく、私は鬼火を封じに来た。つまり見物に来たお前の邪魔をするかもしれないが——」
引っ張り上げるべく手を差し伸べると、男は破顔して腕を伸ばした。
「——お前は私の邪魔をするな」
男の笑顔がピクリと引き攣る。
舌打ちがと聞こえた、かもしれない。
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