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1.焔-3

 そろそろ仕事に取り掛からなければ。  私は再び庭に下りた。探すべきは鬼火の手がかりと、絵を描くのに丁度いい場所だ。  引っ張り上げた男はついてくることも口を出すこともなく、壁に背を預けてこちらを眺めていた。監視されているのだろうが、落ち着かないというほど不躾な視線でもない。気にせずに、肌寒い庭の探索を続ける。  歩き回ってみると、中庭が湿地などというおかしな話は、あながち間違いでもないことがわかった。  屋敷自体が変わったつくり、簡単に言えばコの字型になっていて、内庭と外側の庭は繋がっていた。どちらの庭も、足元がひどくぬかるんでおり、ところどころに水が溜まっている。枯れている植物の種類も、野に生えるものとは違っていた。  おそらく昔は池か何かが広がっており、その上に屋敷があったのだろう。落下した大の男が容易く出られないほど高い床も、何かの趣向のひとつだろうか。  外に怪しい気配はしない。鬼火が出るのは中庭と言うから、建物に囲まれた部分を見られればいい。そうすると、やはり屋敷の中に道具を広げるのがよさそうだ。  枯れ草の揺れる湿地から、踏み抜かないよう注意しつつ再び床に上がる。赤い髪の男はまだそこにいた。立っているのに疲れたのか、今はあぐらをかいていたが、注意だけは変わらずこちらへよこしていた。 「……そう警戒されると、流石に居心地が悪いんだが」 「見ていただけさ。何か面白いものでもあったか?」 「特には」  素っ気なく返しても、男はにこにこと笑っている。ただし、大層嘘くさい笑みだ。 「あんた、名前はなんて?」 「なぜお前に教えなければならないんだ」 「機嫌直せよ、さっきのは謝ったろ。暇つぶしに話をするにも、名を知らなきゃ面倒じゃないか」  戯れ言を無視しつつ、それなりに広い、中庭と思しき空間を眺める。丈の高い草がざわめいている。既に辺りは薄暗く、片隅にぽつんと生えた何かの木の影がおどろおどろしい。  しばらくそのまま見ていたが、火が現れる様子はなかった。 「俺から名乗るべきだったかな。サマリサだよ」 「……テンキだ」  おそらくこのまま無視しても、この男……サマリサは構わず喋り続ける。そう判断した私は、早急に会話を打ち切ることを諦めた。 「テンキ。さっきは、ケジを封じにきたと言ってたよな」 「そうだ」 「術師なんてものが呼ばれるほど、いわくのあるケジなのか?」 「お前は噂を聞いて来たのではないのか?」 「聞いたぜ。鬼火が出るって話だけな」 「とんだ好きものだな」  話しながら床をあらためていた私は、どうにか、広く丈夫そうな場所を見つけた。幸い位置取りとしても中庭をよく見渡せる。  手早く周囲のごみを除け、道具を広げる部分だけ埃を払う。決して大きくない荷を解き、墨や紙や、筆を広げていく。  彩色は、今回はやめておくことにした。なるべく早くここを引き払いたい。 「依頼人には、屋敷が放置された理由はケジ騒ぎや事件などではなく、単に金回りが悪くなったためだと聞いている」  憶測のまとめも兼ねて、私は話を続ける。 「鬼火がいるとしても、後から棲みついただけだと思う。異様な気配は濃いが、敵意というほどのものも……」  たった今話している相手から感じなくもないのだが、あえて触れない。サマリサはいつの間にか側に寄り、並べた絵筆の一本をくるくると玩んでいた。 「ここは足元が悪い。過去に鬼火に驚いて、ぬかるみに突っ込んだ者でもいたんだろう」 「害がないってわかってても、封じるのか?」 「不安に思う人がいる限り、それが私の仕事だ」  不穏な気配がさらに増した。サマリサは笑顔こそ崩さないが、筆を玩ぶのはやめない。指先にまで絡みついた赤い紐が擦れるのが目に入る。  何なのだろうか、あの紐は。彼を構成するものの中で、一際気に食わない。暗い何かが染み付いているようで、見ていると妙に不安になる。  危険なケジを目の前にした時と似た心持ちだ。  サマリサが指先で絵筆を跳ね上げた。器用に指先で受け止め、また回し始める。 「仕事道具だ。雑に扱うな」 「呪符でも書くのか?」 「絵を描く」 「へぇ……? 変わってるな」 「どうでもいいだろう。早く返――」  視界の端に光が走った。  私もサマリサも、反射的に中庭へと目を向ける。

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