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2.蜃-1

「テンキ。テーンキって、ほら。この辺いい感じ」 「……サマリサ」 「何だ? あ、水ならこっちにあるぜ」 「違う。近い」  遠く潮とさざ波の気配を嗅ぐ小屋の中。  私とサマリサは、行き合った旅人たちと円座を組み、湯気のたつ鍋をつついていた。  隣に座ったサマリサが椀を押し付けてくる。 「もっと食えよ、テンキ。いくら何でも小食すぎるぞ」 「だから近いと言っている」 「仕方ないだろ、狭いんだからさ」 「私ではない。火だ」 「は?」  ついと下を箸で示す。  身を乗り出して食事を勧めるせいで、服の裾が焙られている。 「焦げるぞ」 「へ!? うわっ、あんたな、そういうこたもっと早く言え!」  どっと笑う人々は、その膝下でという奇妙な動きをしたのには気がつかなかったようだ。  サマリサの顔を見る。片目だけで瞬きをされた。黙っておけ、という合図だろうか。元より咎めるつもりもないのだが。  サマリサと旅路を共にするようになって、もう幾日が経つだろう。北風はすっかりなりを潜め、山郷を包む空気は早、鼻のくすぐったくなる陽気となっている。  気の迷いで妄言を口にしたのなら、すぐに後悔して姿をくらますと思っていたのに。彼が諦めることはなかった。……否、諦めるどころか、大層親しげに接してくるようになった。 「こりゃうまいな、兄ちゃん。あんな材料がどうしてこうなる?」 「へへっ、どーも。菜ものは久々で嬉しいよ。テンキ、あんたも汁物は好きだろ?」 「…………あぁ……」  しばらく見ていてわかったが、どうやら彼は生来人なつっこい性質らしい。出会ってすぐの野良猫のような警戒態勢よりも、今のよく喋る様の方が素に近いようだ。何かにつけて人に話しかけ、気遣い、世話を焼いたり焼かれたりしている。  旅中、私が絵を描いている間に村人と仲良くなり、仕事や物品を手に入れてきた。特技なのか、警戒されずに子どもの面倒を任されていることすらあった。連れということになっている私へ向けられる視線の中にも、いささか懐疑や恐怖が減り、敬意や親しみが増えた気がする。  目の前にある鍋の中身もそうだ。前の村でケジを封じた時に譲ってもらった穀物を、他の旅人たちの持ち寄った食物と出し合って囲んでいる。  そして何より、飯を作るのが上手い。彼と旅をするようになって、味においても材料においても、食事の質が格段に上がった。  ちらと見ると、再びサマリサと視線がぶつかる。  心配そうな……と言うよりも、不安げな表情。私はいつの間にか眉間に皺でも寄せていたらしい。 「どうしたんだ。体調でも悪いのか?」 (ぐ……)  赤みがかった茶色い瞳が揺れている。この目には何度も困らされた。どことなく風前の火を思わせて、無碍にしづらい。 「そんなことはない。飯もうまい」  サマリサの顔がほころんだ。本当によく笑う男だ。居並ぶ旅人たちまで、なぜだかにやにやしているが。 (そう、うまい。飯はうまいが、……これはまずい)  何がと言えば、居心地が良すぎるのだ。  同行者という言葉には収まらないほどに、彼は勝手に私の世話をする。しかし私からは何も返せていない。  働きへの見返りをやれないものかと、こうして食事や日銭稼ぎ、宿場の(つて)を分けたり、荒れ放題だった身だしなみを整えたりはした。  丸洗いして、髪をまとめ髭を剃らせ爪や歯を磨き、立ち寄った町で古着を見繕った。何か術でもかかっているのか、おぞましい赤い紐だけはどうしても外せなかったものの(それで紐が彼自身の趣味でないことはわかった)、服の下に隠し、浮浪人の印象をさっぱり消すことはできた。    結果、サマリサは、無駄に整った顔、珍しい赤い髪、さらに人好きのする性格も相まって、行く先々でとかく人目を惹くようになった。  頼み事の対価なりお裾分けなり贈り物なり、何かしら手に入れてくることがますます増えた。  当人も満更でもなく、一層目をきらきらさせて私に礼など言ってくる。食事がさらに美味しくなる。  そして、そうした生活に段々と馴染みつつある自分がいる。 (このままではいけない)  この先も彼を描くつもりはないのに。  サマリサは自分を描けとせっつくことをやめなかった。理由も相変わらず話さない。しかし断り続ける度、日増しに罪悪感が募るようになっていた。  思っていた以上に彼は善人で、有用だ。だからこそ、私の旅などについて来るべきではないという思いが強まる。居心地のよさが、逆に気まずい。  はっきり断っても、それでもいいと離れないのだから、どうにもしようがない。  気を紛らわせたくなり、私は席を立った。   「ん、どこ行くんだ?」 「少し外を歩いてくる」  戸惑う声を置いて、私は小屋の外へ出た。  暮れなずむ、浜と、浜の草と、遠い水平線。少しざりりとした足下の感触。ここはさほど大きくない漁村の外れだ。新鮮な空気をいっぱいに吸い込み、吐く。    潮風は昼間の残熱を抱いてのったりとしている。サマリサには体調は悪くないと言ったものの、このところどうにも思考や視界が朧げで、考え事に気を取られることも多い。薄い薄い白昼夢でも見ているようだ。悩みが多いせいだろうか。  体を動かそうとあてもなく辺りを歩いてみる。 「……さて、どうやって諦めてもらおうか」  サマリサのことだ。惰性でこのままでいては互いのためにならない。そろそろ真剣に対応を考えるべきだろう。  とは言え、さほど人と交わる経験もなかった身だ。話の切り出し方すらわからない。頭が痛い。  無理に追い出す? 一度同行を許しておいて、しかも良くされておいてそれはあんまりだ。  そもそも描かれたいのがなぜなのか、今一度問い詰めて代わりの解決法を探す。……嫌だ、他人の事情になど踏み込みたくない。彼が相手なら尚更だ、重い身の上話になる予感しかしない。それとも、    それとも、私の方が、に向き合うべきなのか。 「…………」  遠い浜の夕焼けを呆然と眺める。    と、草を渡る潮風に乗って、歌が聞こえてきた。

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