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2.蜃-3

 男の案内に従って崖を下った。波音を聴きながら少し歩くと、村の影が現れた。網元の家なのだろうか、ひときわ大きな家から漏れる明かりに、導かれるように戸をくぐる。  室内には歳の頃も様々な村人たちがぽつぽつと座っていた。私たちが入ると、一斉に視線が向けられる。 「こちらへ」  案内役にそう促され、私たちは囲炉裏のそばに並んで座った。対面には、一人の男が既に座していた。  初老の人物はこの村の長と名乗った。 「改めて確かめておきたいのだが、あなたはテンキ殿……怪異を封じることができる術師、ということで間違いないのだな」 「ええ」 「そちらの方は……」 「彼は連れ合いです。補佐役と思っていただければ」  長はちらりと赤い髪を見たが、それ以上何か追求することはなかった。 「左様だったか。なに、噂に聞くケジ封じの絵師は、常に一人でいると聞いていたものでな」 「……依頼の内容をうかがっても?」 「ふむ、単刀直入に言おうか」  術師――よそ者として初対面の人物と話すときは、大きく二通りの対応を受ける。歓待をもってこちらの人となりを推し量るか、あくまでも要件だけを伝えて他の接触を拒むか。彼らは後者らしい。 「あなたには、島を一つ消してほしいのだ」  長が言葉を紡いだ瞬間、空気の張り詰めるのがわかった。居並ぶ村民たちの間に、無言の緊張が走ったのだ。 「……話が間違って伝わってるんじゃないか?」  サマリサの戸惑いの声が、潮臭い部屋に奇妙に響いた。 「こいつは魔法使いじゃない……いや、似たようなもんだけど。島を消し飛ばすなんて真似はできない、よな?」 「当たり前だ。それが、ただの、岩と土でできた島ならばな」  そう言いながらも、私は隅に座る一人が気にかかっていた。髪を束ね、抱えた膝に顔を半ば埋めた小柄な若者。今しがた彼からは、特に刺すような注目を感じた。  長は深く頷いた。 「流石は本職だ。話が早い」 「詳しい事情をお聞かせ願えますか」 「では、それは俺から」  私たちを案内してきた男が手を挙げた。咳払いを一つし、語り始める。 「その島の名を——」  その島の名を、マツの島と言う。  この村を抱く海は豊かではあるが、潮の流れが複雑で、さらには霧が出やすい。マツの島は、そんな海の荒れる日にだけ人々の前に現れる、不思議な島であるらしい。  島によって助かった者は多いが、その語る話は人によって食い違う。ある者は、島を背にすれば波が落ち着き、必ず無事に帰れると言う。またある者は、本当に困ったときにだけ、島に上がって休むことができると言う。共通する記憶は、波の上で困り果てた時、マツの島が導いてくれたということだけだ。  おとぎ話よりも確かだが、頼りにするには不確か。そのような距離感で、島は村に信じられてきたという。 「しかし、この数年で状況は全く違ってしまった」  男は小さく息を継ぐ。 「俺は直接見てはいないのだが、現れ方がおかしくなったらしいのだ。好き勝手に現れたり消えたりしては、方角をわからなくさせるようになったと」  村人の何人かが小さく頷き、あるいは軽く頭を振った。 「実際にあわやという目に遭った者が増えていてな。それでも皆、しばらくは気の迷いだと思っていたのだが……ついに、先の時化(しけ)、一艘の船が帰ってこなかった」  一線を越える事態が起きたということだ。村を守っていたモノが、脅かすモノに変化した、ということ。 「島そのものが、この世ならぬもの……ケジではないかとお疑いですか」 「それ以外には考えられんでな。かと言って、正体の分からないものをどうすることもできん。扱いかねていたところ、外れに滞在しているのが噂に高い人物であると聞き、こうして呼んだというわけだ」  長が筋の浮いた首筋をがりりと掻く。 「外の者に任せるのも恥ずかしい話だが。村にはもう、このようなことに頼りになる者がいないのだ」  もう、という言葉に少し引っ掛かりを覚えた。隅からの気配がさらに鋭くなった。そわそわと動く視線から察するに、サマリサも気になっているらしい。  ふと疑問が湧いた。夕暮れの浜で見た、足下の崩れるような幻の話はされていない。 「この村に現れる不可思議はその島影だけなのですか? ほかに、変わったものを目にした者は」 「僕、みたよ」  子供が一人、おずおずと身を乗り出した。他に何か言う者はいない。 「地面がね、ゆらゆら揺れるの。それで、遠くの船がね、消えちゃったり、急に大きくなったりするの」 「お前またそんなでたらめを。お前のすぐそばにいた奴は、そんなもん見ねぇって言ったじゃねぇか」 「ほんとだもの。キギスねえちゃんもみたっ……て……」  人々の視線が部屋の隅の一人に集まる。ずっと異様な気配を発していた若者は、膝を抱えていた拳をゆっくりと開き、握り、顔を上げた。意志の強さを感じる眉。 「長」  彼、もとい彼女は口を開いた。 「おれにこの人たちを案内させてくれ」 「キギス。お前もいい加減に……」 「そんなら、他の誰かが行くのか? 今の海がおかしいって、皆知ってるはずだ。それに、おれが一番、あの辺の潮のことは知ってるんだ」  強い口調に反して、彼女の態度からは必死さ、意地……、焦燥が見てとれた。村の中での彼女の立場は、どうやらあまり良くないらしい。    眉尻を下げたサマリサが声をかけようとするのを、私は無言で制した。  私たちは余所者だ。事情も知らない。内輪の揉め事に口を出しても、碌なことにはならない。 「おれが行く。それがいいはずだ。……長」  部屋の全員からの視線を受け、長は口を開いた。 「明日にも、これに船を出させる。マツの島の様子、その目で見てもらいたい」  キギスがぎゅっと拳を握った。希望の叶ったのを喜ぶように、あるいは何かを覚悟するかのように。

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