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2.蜃-6
その後も何度か襲いくる波に翻弄されつつ、私たちはようやく島にたどり着いた。
岸に近づく頃には海はすっかり穏やかになっていた。それでも少しでも水から逃れたいとばかりに、私たちはばしゃばしゃと波を蹴立てて浜に上がる。砕けた貝殻の多く混じった砂をさざ波が洗っている。
キギスは櫂を放り投げ、肩で息をしつつ、きょろきょろと辺りを見回した。
「あ、あれ? 燃えてたはずなのに……」
「俺の術は本物の火も幻の火も操れる。さっきのは幻だよ」
「そっか、なるほどな。あんたも立派な魔法使いだったってわけか」
キギスがほっとしたように笑った。サマリサもにやりと笑い返し、やはり辺りを見回す。
「しかし、ここがマツの島か。何というか、意外と普通だな。……あ、あれが来たとこだよな?」
出発地の陸は、遠くではあるが海の向こうに見えていた。それほど離れてはいないようだ。
「この距離なら、村からも島は見えそうなもんだけど」
「そういうものなのだろう。いざという時以外は姿を隠す」
私は濡れた服を絞り終え、持ち物を確かめた。厳重に覆った甲斐あって、道具類は何とか全て水から守れたようだ。キギスの方に向き直り、軽く礼をする。
「あなたの案内で助かった。大した操船の技だ」
「いやいや。んなことより、あの影のこと、事前に話してなくてごめんな。島の件とは関係ねえと思ってたんだ」
サマリサがひらひらと手を振る。
「無事だったんだ、いいさ。しっかし、ありゃ何だったんだ?」
「名前はねえよ。だけど、この辺りの海にもうずっと昔からいるモノだ。村の人にはやっぱり見えなくって、ただの変な潮だと思ってる」
私は再び海を見やった。目を凝らしてみても、今は波の中に影は見当たらない。押し潰されるような不安感も消えていた。あのケジは、マツの島には近づくことができないのだろうか。
「村の術師は、ワタリ様はあの潮のケジについて知っていたのか?」
「ああ。動きの読み方も教えてくれた。おれの今までの経験からも、この時間、この天気、この波、この場所で現れるはずないって思ってた。でも……」
言い淀み、考え込むようにぎゅっと顔を顰める。
「でも、変なことばっかり起こってるからな。……いなくなった船、もしかしたらやつにぶち当たったのかもしれねえ。やつと時化とを同時にいなすのは、いくら腕が良くっても難しすぎる」
「件の船が出ていたのも、本来潮のケジの現れるはずのない状況だったということか」
キギスは頷いた。サマリサもふんふんと頷いていたが、ふと小首を傾げた。
「しかし、お前さん。そんだけ海に詳しくて、腕もあるってのに、なんだって案内の申し出を渋られてたんだ?」
尋ねられて、キギスは少し困ったように眉を寄せた。頭の後ろをかりかりと掻く。
「なんてのかな。疑われてるってのもあるけど、——まあ、小娘だから、かな。漁には出られねえし、ワタリ様ほど信用されてねえんだ」
彼女は髪を掻くのをやめ、手をそっと自分の喉にあてた。気の強そうな目がやや伏せられる。
「あの歌もな、あれ、ワタリ様に教わったんだ。本当はマツの島を、現れるのを待つんじゃなくて、こっちから呼ぶときのためのもんなんだよ。だから、陸地で歌ったって、これまでは何にも起こったりしなかった」
少しぬるくなった潮風が辺りを吹き抜けていく。気のせいか、島の端が少し歪んだように見えた。
「何で海があちこち変になってるのか、とか。どうすりゃいいのかとか。もっとちゃんと教わってれば、少しは違ったのかな。おれにはまだわかんなくて……もう教わることもできねえんだ」
ま、言ってもどうにもなんねえけどな。と、キギスは切り替えるように笑顔を見せる。
「島の様子、調べてくるな。何か異変の手がかりがあるかもしれねえし。お二人さんはここで待っててくれるか?」
「無論だ。私も今後の対処を考えたい」
「頼んだよ」
彼女が島の奥へと去る様子を、私たちは無言で見送った。サマリサが苦々しい表情を浮かべてこちらに向き直る。
「何かできないかな」
「異変が収まれば立場も少しは良くなるだろう。私たちは自分の仕事に専念すればいい」
「……ま、それもそうかもな。で、どうすんだ? これから」
彼は私の抱えている道具類へ、それから海へと目を移す。
「島には何とか着けたけど。この上で絵描いたら、島が消えちまった瞬間海にドボン、だよな?」
「そうなるな。絵を描くのならば一旦船に戻って、その上で行う必要がある」
「でも、海には潮のケジがいるんだよな……。アレを先に何とかしないといけないのか」
アレも描いちまえばいいんだよな、とサマリサは軽く言った。
「さっきは船が揺れたからだめだったけど、この島からなら絵も描けるよな? やつが現れるのを待ってみるか?」
「それも手の一つだが……。潮のケジについては、少しキギスに確かめたいことがある。後で話そう」
私には気にかかっていることがあった。先ほど、船の上で感情的になってしまったことだ。彼が気にしているのかはわからないが、早くに謝っておきたかった。
とは言え、なんと切り出したものだろうか。私は言葉を探し、ふと、遠い磯を眺めていたサマリサが、驚いたように目を見開いているのに気がついた。
「サマリサ?」
「テンキ、あれ……、服じゃないか?」
サマリサは島の端の方を指し示した。たしかに布のようなものが枝に引っかかり、潮風にゆっくりとはためいているのが見える。距離がありすぎて、衣服かどうかはわからない。
「誰かいるのかもしれない、ちょっと見てくる!」
そう言うなり、サマリサはぱっと走っていってしまった。拍子抜けした気分になりつつ、私も足早に後を追った。
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