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2.蜃-7
貝殻の多い砂に足を取られながら浜辺を走る。近づくにつれて、干してあるのが確かに服だと判別できるようになった。すり切れた藍染めの着物がはためく、そのすぐ側の崖の横に、枝や草を寄せ集めて作った簡素な小屋がひっそりと建っていた。
紛れもない、人の痕跡だ。
サマリサは少し離れたところで足を止めた。ようやく追いつき、隣に並んで小屋の様子をうかがう。小屋に戸はなく、中が一部だけ見えた。
赤茶けた何かが突き出している。寝転がった人間の脚と腹……のように見える。わずかに上下しているようにも思えた。サマリサがぎゅっと目を細める。
「生きて……るよな……。寝てる?」
「一人ではないな。彼らは、もしやいなくなったという漁師たちでは?」
「あり得るな。……行くか」
倒れる一人一人の顔の区別が付くまでに近づいても、彼ら――漁師たちは目覚めなかった。サマリサが少し躊躇しつつも、入り口近くに眠っている一人を揺り起こす。
「おい、あんた」
「ん……ぁ?」
壮年の髭の濃い男は薄く目を開いた。サマリサから私へと視線を移す。乾燥にひび割れた唇の端が歪む。
「……ああ、ついに現れたか。疫病神か、死神か……」
「…………疫病神……」
私は自身を見返した。顔や身体に張り付く長い髪。濡れて色が濃くなった上、絞ったのでかなり皺の寄った、長い薄墨の羽織。なるほど、言っていることはわからないでもない。
なんと返したものか迷っている間に、サマリサは失礼な、と呆れた声を上げていた。
「しっかりしろ、おっさん。俺たちゃ人間だよ。キギスは知ってるか? そいつと一緒に来たんだ」
「……キギス……あいつが……?」
ようやく意識がはっきりしてきたようで、男は幾度か瞬きをし、こちらをまじまじと観察した。
「おれたちを探しに来たのか」
「まあそんなようなもんだ。だからあんまり警戒しないでくれよ」
「そうか……。それは、それはありがたい」
男は本当に安心したように表情を緩めた。転がっている仲間たちを、次々と雑に揺り起こす。簡単に状況を説明された彼らは、口々に礼を述べた。小屋の中に座り込んだサマリサがそれを遮り、問いかける。
「身体は大丈夫か? あんたらが遭難してから大分経ってるはずだが」
「大分って……、どれくらいだ?」
「えっと、詳しくは聞かなかったが……時化があった日からだよ」
男たちは困惑したように視線を交わし合った。
「わからん。そんなに経ってないと思うんだが……。何も食ってないが、少しぼうっとするほか、身体は弱ってないし」
「何日経ったのか、わからないのか?」
「ああ、何せ空の色がころころ変わるもんだからな」
マツの島の力だろうか。時間の流れか、時間感覚のどちらかがおかしくなっているのかもしれない。私はふと気になったことを尋ねた。
「あなた方の船はどこへ? 壊れたりはしていないのか」
「すぐそこに置いてあるよ。無事さ」
男の一人が鼻を鳴らす。自慢げなのか、腹を立てているのか区別が付かない。
「帰ろうと海に出はしたんだ、何度も。そのたびに、おかしな潮と霧とに巻かれちまう。いつ船が壊されるか、誰が呑み込まれるかわかったもんじゃない。帰るに帰れなくてな、気分も参っちまって」
「とにかく一休みしようって、小屋立てて横になったんだ。でも、本当に、そう何日も経ってないとは思うんだがなぁ」
「ということは、欠けた人間はいないのだな」
私が問うと、漁師たちはそろって頷いた。私とサマリサは顔を見合わせてほっと息を吐く。
「そうか。とりあえず、無事で良かった」
「あんたらには島から出る手立てがあるのか?」
「それを考えてるところだ。まあ安心してくれ、なんとかするからさ」
サマリサは笑い、振り返って、こっそりと私に囁いた。
「一応聞くけど、彼らは幻じゃないよな?」
「まさか、本物だろう。怪しい気配もない」
「だよな。キギスを呼んでくるよ、きっと喜ぶ」
サマリサは立ち上がり、また砂の上を駆けていく。せわしないことだ。
残された私は特にすることもなく、近くであぐらをかいている男に話しかけた。
「この島に……マツの島にいる間に、誰か変わったものを見聞きしなかったか」
「ふむ、さっきも言ったが、空が目まぐるしく変わる。天候も、見た感じの時刻もな」
あとはなあ……、と、男たちは記憶をたぐり寄せるように首を傾げる。
「島自体がなんだかぼんやりしてるな。小屋を立てる材料を集めるのに歩き回ったんだが、なんだか、足元が頼りないんだ
「距離感は掴みにくいし、ぐるぐる迷うし。ふときづきゃ足下が崖になってて、落っこちかけるしなぁ」
「あ、あと……、いや、なんでもない」
「ワタリ様に関わることは?」
私が問いかけると、言いかけた男は驚いたように眉を上げた。
「あぁ、知ってんのか。そう、ずっと、薄っすらあの方の気配がするんだよな」
「見られてるみたいなって言うか……、あの方を目の前にして、車座で話聞いてた時と同じ心持ちがするんだ。変な感じだけど、懐かしいもんだな」
壮年の男は皺の刻まれた目をどこか嬉しそうに細めた。他の漁師たちも、口々に喋り立てる。
「ワタリ様はここら海のことは何でも知ってたよ。この時間に船出しちゃいかんとかさ」
「それこそ、このマツの島の伝説をよく話してくれたのもあの方だ。困った時には助けてくれるが、頼りにはするなと何度もな」
「実際、島に助けられたんだな、おれたちは。感謝しないと」
男たちは笑い合う。と、小屋の外で足音がした。
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