19 / 20

2.蜃-13

 意外な言葉に思わず目を上げる。サマリサの表情は穏やかだったが、そこには重いものが含まれているように感じた。  強いて言うならば、憂いのような。  打ち明け話とやらの察しがついた気がした。  初めて会った時の、頼りない灯火のような彼と、今の彼はよく似た雰囲気をしていた。 「初めて会った時、あんたの目を塞いだのはいたずらじゃない」  サマリサが唇を湿らす。 「脅して、追い払おうとした。ま、思い切り蹴っ飛ばされたけどな」 「あの時は驚いた」 「そうか? 全然表情変えなかったじゃないか」  なんにせよ悪かったよ、と、サマリサは繋いだままの手を軽く振って笑った。 「追い払おうとしたのは、邪魔だと思ったからだ。俺は、一人で、……消えたかったから」  乾いた声が風に薄れる。  サマリサの口角がゆっくりと下がっていくのを見ながら、私は出会ったばかりの彼のどこか捨て鉢な様子を思い出していた。 「俺はこの通り、見た目がまともじゃない。……半分、ケジだと聞いてる。火と人の間の子……って散々言われたけど、実際どうなのかはもう確かめようがない」  目を引く赤い髪。外つ国ならばいざ知らず、そこらの人間にはまず見ない色だ。  異貌の人間がケジとの関係を疑われるのはよく聞く話だ。無論、大抵は根も葉もない噂話に過ぎない。  本当にそうであるかに関わらず、訳の分からないものを呼ぶのに、ケジという名は都合が良いのだ。 「母親は人間だったんだと思うが、顔は知らない。母親は先立たれた夫を慕って異界に入り込み、鬼火と逢引し、俺を遺した、そういう噂があった」 「では、お前は他人に育てられたのか」 「ああ、遠い親戚に。良い人とは言わないが、人並みには扱ってくれたよ。……でもその人もすぐに病で死んで。それからは、誰からも不気味がられるばかりだった」  サマリサの手にわずかに力がこもる。 「そんな時、村で火事が起きた」 「……それは」  お察しの通り、と鼻を鳴らす。 「珍しい髪色、火を操る能力、奇妙な噂。俺は当然、怪しまれた。村人たちは術師を雇って、放火犯の化け物として、俺を捕まえようとした」  つと、サマリサが私の手を持ち上げた。手の先にまで絡んだ赤紐を、私の指にそっと擦り付ける。 「薄々勘づいてるだろうが、この紐は呪いだ」  手を睨む眼差しは痛いほどに鋭い。  彼がこれほどの憎しみを露わにするのは初めてだ。 「俺を追った術師の、かけ損なったまじないの残骸。だいぶ緩んできてはいるが、未だに肌から外れない」 「私はこれが嫌いだ。悍ましい」 「俺もだよ。これさえなきゃ幾分か、その後の暮らしもマシだったのに」  サマリサが息を吐き、私の手を離した。 「追われてなんとか逃げて、方々を彷徨って。でも行く先々で、まぁろくな事はなかった。怪しいだろ? こんな紐巻き付けて、こんな髪で」 「……そうか、少し意外だ」 「意外って?」 「お前は人と交わるのが得意なのだと思っていた。あれほど容易く信用され、打ち解けていたから」 「必要に迫られりゃ、愛想の一つも覚えるさ。自分で言うのもなんだけど、今は他人に受け入れられるのは得意だ。今はな」  茶色い目の奥にまた影がさす。 「でも、人の中に長く居るのは耐えられない。いつか冷たい目に追われるのかと思うと、誰を信じていいのかも、居場所も、それを探す意味も、わからなくなって」  声がかすかに弱った。 「死にたかったわけじゃない。ただ、消えたくて。鬼火の噂の廃屋に足を向けたのは、半分は俺の同族かもしれないって好奇心。もう半分は、ちょうどいい死に場所かと思って。……で、そこで、あんたを見つけた」  日暮れの空気の冷たさが、廃墟を訪れた時の肌寒さと重なった。あれは初春のことだった。 「絵師テンキの噂は、俺の耳にも届いてた。——気に入らなかったよ」  それはそうだろう。彼の生い立ちからして、術師に恨みを抱くのは自然なことだ。 「何も悪いことなんてしていないのに、追い払う、忌々しい、術師。同じだと思ったんだ。……でも、あんたは違った」 「……? 同じようなものだろう。お前を蔑ろにし、ケジを封じた」 「全然違うんだよ。あんたはまっすぐだったんだ」  サマリサは声を弾ませる。 「あの火のケジを、まっすぐ見ていた。本当に愛しそうに見つめていた。そして、あんなに美しい絵に描いた」  急に褒められ、私はどうしていいかわからず、黙って話の続きを待った。 「あんたに描けと迫ったのは、鬼火みたいに、あんな風に綺麗に消えられたらと思ったのもあるけど。あの鬼火を、あんたがあまりに真剣に見つめるから。その目を向けられるのが羨ましくて。俺は——……、誰かに、恐れずに見てほしくて」  私は何も言えなかった。  恐れられる孤独。術師などやっているからには、少しは覚えがあった。しかし、寂しく思うことはなかった。  彼はおそらく自分よりもずっと、生来人を恋しがる性質なのだろう。  ずっと排斥されてきた痛みはどれほどのものだろうか。  サマリサは紐の絡んだ拳を握った。 「正直に言う。俺は、まだ少し、消えたい。あんたに俺を見て、描いてほしい。でもあんたにそれをさせるなんて、今の俺には、とてもできない」  だから、と、サマリサはこちらにしっかりと目を合わせた。 「だから、約束するよ。俺は消えない。絵を描くあんたを見ている限り、俺はこの世に希望が持てる。ケジを、俺を、見てくれる人はちゃんといるんだって思える。——なぁ、頼む。もう少しだけ、一緒に旅をさせてほしい」  声は真摯だった。さらに深く覗き込まれる。 「あんたの絵が好きだ。絵を描くあんたが好きだ。俺が、あんたを見ていたいんだ」 「…………」  すぐには答えることができず、私は慎重に言葉を探した。  しばらく考え、そっと口を開く。 「同業者に知り合いが幾人かいる」  サマリサの眉がぴくりと動く。   「お前の呪いを解く手がかりを持つ者がいるかもしれない。すぐには会えないが、旅をしていれば足取りは掴める」  私は努めて笑顔を浮かべた。  できる限り、彼を安心させてやりたかった。 「共に探そう」 「——……テンキ」  サマリサの顔がふわりとほころんだ。深い安堵のため息に、思わずこちらまで安らいだ気持ちになる。 「約束だ。これからも、互いのそばに」  少し高いところにある赤い髪を軽く梳くと、サマリサは目を細め、私の手に温かい手を重ねた。  心を許した仕草。伏せられた長い睫毛。薄く微笑みを浮かべた口元。  人生で感じたことのない、胸の苦しくなるような熱い衝動が込み上げてくる。    ——理屈ではなく感覚で動いていた。  私はサマリサの顔をそっと引き寄せ、唇を重ねた。

ともだちにシェアしよう!