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3.獺-1

 私は目を閉じている。  尻と腿の裏がひんやりとするのは、座している岩が森の中にあるからだ。  瞼の裏の闇を埋め尽くす蝉時雨。  木々の間を抜ける風が下草をざわめかせ、私の結んだ髪を撫で、首の後ろを抜けていく。薄っすらかいていた汗が乾いていくのが心地良い。  混ざり合う森の音の洪水に、ただ意識を任せる。  ざかり、がさり。  音の中に重いものが増えた。だんだんとこちらに近づいてくるのをぼんやりと感じる。  瞑想の中にちらつく、赤い熱の気配。  私は薄く瞼を開く。    と、同時に、私の鼻先に、薄茶けたものを摘んだ指が突き出された。 「これは!?」  首筋に汗の滴を伝わせながら尋ねてきたのは、今やすっかり旅の相棒となったサマリサだ。  私は彼の持つ蝉の抜け殻を一瞬で検め、首を振った。 「ただの蝉だ、残念ながら」  サマリサは大袈裟に頭を抱えた。 「ない! ちっくしょう、全然見つけられない! 割れ目が真っ黒く見える抜け殻だろ!? 半日森を探し回って、結局お前しか見つけられてないじゃないか!」  サマリサは悔しそうに私の足下に置かれた袋を睨む。中に入っているのは、私たちが探し回って集めた特別な薬の材料だ。……ケジ絡みの特殊な素材をのは難しいから、正確には見つけたのはほとんど私だけなのだが。  季節は夏。私たちは旅中、森に立ち寄り、薬狩りに勤しんでいた。  私は岩の端に座り直し、手招きする。 「もう充分な量は集められている。ムキにならずともいい。お前も休め。今日はことに暑い」 「わかったよ。ちぇっ」  サマリサはむすくれながらも素直に隣に腰掛けた。 「茶を淹れるか?」  問いかけるとサマリサは頬を引き攣らせた。 「言うのもう何度目だかわかんないけどさ、この暑いのにわざわざ熱い茶を飲むあんたの感覚、ほんとにわからん」 「茶はいつ飲んでも心安らぐだろう?」 「身体が安らがないだろ! そのうち本当に倒れるぞ」 「そうそう、せめてぬるま湯にせいと、わしも何度も言っているのにさ」 「!?」  唐突に会話に混ざってきたのは、妙に幼い声だった。振り返ると、いつの間に現れたのか、そこには少年が柳行李にもたれてあぐらをかいていた。  菅笠を被った旅の行商人の装い。切り揃えられた前髪の下に小生意気そうな笑みを浮かべている。 「なんだお前、誰だ!? どっから湧いた?」 「うるさいのう、赤いの。テンキ、お前さんの客か?」 「連れだ。久しいな、毒消売(どくけしうり)」 「連れ? ……ほほぅ、お前さんがなぁ」  少年は興味深げに目を細めた。が、その視線はすぐに私の足下の袋に向けられる。ぴょこんと立ち上がって寄ってきた彼に、私は袋を手渡した。 「いつものだな?」 「ああ」 「ありがとうよ。ほれ、常備薬の補充分」 「助かる」  包みを私によこし、袋に向き直った少年にサマリサが胸を張る。 「苦労して採ったんだぜ、……主にテンキが。で、それ結局何なんだ? あんたは誰?」 「わしはしがない薬屋よ。(うつろ)を宿す蝉の殻は、頭痛耳鳴りによぉく効くのさ。わしにも中々見つけられんのだが、相変わらず目が良いの、お前さんは」  袋を漁っていた少年の目がきろりとこちらを向く。 「しかし、毎度の薬の補充代にしちゃ、まあ張り切って集めたの。何かわしに頼みでもあるのかね?」 「察しが良いな」  私はサマリサの手をとった。茶色い瞳が驚きで見開かれるのに構わず、私は掴んだ手を少年に向けて差し出す。  ずれた着物の下から、赤色が覗いた。凶々しく絡まる赤い紐。 「彼を診てほしい。彼の、「紐」を」 「ほほぅ? ……ふむ」  毒消売に促され、サマリサはたどたどしく、簡潔に縛られた経緯を語った。  少年は指先で紐に触れ、ひどく不快そうに眉を顰めた。サマリサを改めてしげしげと見つめ、軽く唸る。 「全身こうか? 酷いものさね」 「解く方法はわかるか」  私の問いかけに、毒消売は頭を振った。 「わしにはなんとも言えんね。どうも封印というだけでなく、性質の良くない……呪いの類が混じっているようだが」 「呪い」  サマリサがわずかに表情を歪めた。私の胸の内にも、ざらりとした不快感が広がる。  ケジに良くない感情を持つ人間は少なからずいる。私自身複雑な感情を抱いている者の一人だが、理解も対抗策もない常人が抱くのは、恐れだけでなく、時に憎しみ、そして蔑み。  かつて彼に向けられたのは、そういう悪意かもしれない。 「残念ながらわしの専門外、うかつには手を出せん。何せ全身に絡まっているのだろ、万一の間違いがあっちゃ困る。痛みを和らげる薬ならいくらでもあるが」 「それは大丈夫だ。痛くはない。邪魔なだけだな」  サマリサの声音は微妙に明るすぎた。大したことではないように見せようとしているのだろうが、場の空気は重いままだ。 「かけた術者に心当たりは?」 「ないさね」  毒消売は頭を振った。 「話を聞くに、縛られた当時、お前さん子供だったのだろ? だのにこんな手荒な真似をするような輩。表立ってわしらと交流するような、まともな奴ではなかろうさ」 「あんたは子供じゃないのか?」  疑問の声をあげたサマリサを少年は涼しい顔で無視した。 「呪いを解くにせよ、仇を懲らしめるにせよ、呪い屋を相手にするのなら、わしのような薬屋でなく、専門家に当たった方がよかろうさ」  しばし考え、私は思い浮かんだ術者の名をいくつか挙げる。ま、そのあたりさね、と、毒消売は頷いた。 「彼らの今の居場所がわからない。言づてを頼んでもいいか」  あまり他人と交流をしない私とは違って、毒消売は商売柄、顔が広いし、遠くへも出向く。元々、彼自身に解決を頼むというよりも、こうして人探しの助力を請うつもりだった。 「構わんさ、お代ももらったしの。ところで、代わりにという訳でもないが、わしからもお前さんに一つ頼みがあるのさ」 「頼み?」 「何、大したことではない」  毒消売は山の向こうを指差した。 「ここから少しばかり離れた村の川で、近く灯籠流があるのさ。わしはそこに呼ばれていたのだが、別に用事が入って行けなくなってしまってな。代わりにちらっと見てきてくれんか?」 「構わないが、なぜ呼ばれた」 「川に曰くがあるのだとか。で、妙なモノに詳しい人間に、念のため事故が起こらないか見張ってほしいそうな」 「曰く? ケジか?」  ふむ、と、少年はあいまいな表情で首を傾げる。 「わしも聞いた話でハッキリしないが、そんなところだろ。まあ、あちらも大して深刻そうな風でもなかったし、仮に何かあったとして、わしよりお前さんの方が対処に向いていようさ」  そう言いながら毒消売は、どこからか取り出した薬包紙にさらさらと地図を書き、ぴらりと渡してきた。 「景色のきれいなところだ。物見だとでも思って行ってくれればいいさ。さて、わしはもう行くとするが、ま、気をつけてな、お二人さん」  背負った柳行李にほとんど隠れた毒消売の後ろ姿を見送っていると、サマリサがぽつりと呟いた。 「紐の解き方、探してくれてるとは思わなかったよ」  私はサマリサを見やった。彼もこちらを見ていた。薄い笑いに自嘲の色を感じる。 「仕事にかまけて遅くなってすまないな。それとも無用な気遣いだったか?」  私の言葉にサマリサは慌てた。 「違、そうじゃなくて! あんたがどうこうじゃなくて、俺自身、もう外すのは諦めかけてたから、それで驚いただけで」  わたわたと振っていたサマリサの手が止まり、ぱたりと落ち、きゅっと軽く握られる。 「……俺のこと考えてくれる人がいるのって、変な感じだなって。でも、嬉しい。……すごく嬉しい、ありがとな、テンキ」  目を合わせてそう言う彼の笑みは、多少の照れは混じっていたが、穏やかだった。  かわいらしい、そう思った。最近、不思議なことに、この自分より図体の大きい男を何かにつけてかわいらしいと感じる。  サマリサの赤い髪をくしゃくしゃと撫でる。  抗議の声が蝉時雨に混ざって響いた。

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