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6、小姑現る

「兄さん、挨拶もなしに裏口から入ってくるとはどういうこ、と——……」  何のことわりもなく、バン! と勢いよくドアが開かれる。ドアノブを掴んでいるのは、艶な色香の漂う顔立ちをした、ひとりの少年だ。  華やかかつクールな由季央の雰囲気とは違い、この少年は、しっとりと雅やかな空気感の漂う美形だった。  黄金を溶かし込んだかのような金色の髪はさらさらで、彼が動くたびに眉の上で切り揃えた前髪が涼やかに揺れる。  淡く黄色みがかった鳶色の瞳はいかにも賢げだが、物静かそうな外見とは裏腹に、激しいものをひっそりと抱えているかような鋭さもある。  その瞳が、ベッドの上に押し倒されている僕の姿を射抜く。僕は何やらそこはかとない圧を感じて、咄嗟に腕を突っ張った。  すると、胸を突かれた由季央が「ゔっ」と呻き、じろりと真上から睨まれてしまった。力加減を誤ったらしい。  由季央は一つ息を吐くと、これ見よがしにさため息をつき、わざとらしく気怠げな動きで少年を振り返る。 「(のぞむ)、急に入ってくんなっていっつも言ってんだろ」 「兄さん……誰、そいつ」  由季央が離れたので、僕も慌てて身体を起こす。するとすぐさま、ぎゅっと由季央に肩を抱かれ、かくっと姿勢が傾いでしまう。  倒れかかった身体をしっかりと受け止める由季央の腕は見た目よりもずっと頼もしく、こんな時だが驚かされた。アルファの肉体は、さすがのように頑丈らしい。 「こいつは俺の恋人。一応紹介しようと思って連れてきた」 「こ、こいびと……? 何言ってるんだよ。母さんが見合いの席をいくつ用意してると思ってる」 「だから、何回も言わせんなよ。俺にはこうして、れっきとした番候補がいるんだ。この家とは縁を切ってやるって言ってんだろ」 「番う!? そんな、地味なオメガと……!?」  愕然としつつ僕の全身を観察する望とやらの視線は不躾で、不愉快極まりない。品の良い顔立ちをしているが、こうして当たり前のようにオメガを値踏みするような視線を前にすると、どうしても反抗心に火がつきそうになる。  が、今の僕は任務中だ。『由季央の恋人』なのだ。  グッと奥歯を噛み締めつつ、僕は次の行動を窺うべく由季央を見上げる。すると由季央もまた僕のほうへ視線を向け、ふわりととろけるように甘く微笑みかけてきたではないか。  ついさっきまで仏頂面だったくせに、それはあまりにも完璧な「愛おしげな微笑み」だった。間近で浴びるにはあまりにも眩しすぎる笑顔で、不本意だが少しばかりドキドキしてしまった。 「春記。こいつは俺の弟の望。17歳で、アルファだ」 「へ、へぇ……。あ、初めまして。真山春記と申します。え、ええと、す、末長くよろしくお願い申し上げます……」  番候補の恋人らしいご挨拶とやらがよく分からず、僕は馬鹿丁寧にそう言って、ベッドの上でガバリと頭を下げた。  すると望は、つかつかつかと僕のほうへと大股に近づいてくるや、目の前で仁王立ちだ。 「ええと、望くん。僕は——……」 「気安く僕の名を呼ぶな」 「え」 「こんな……華もオーラもないオメガが兄さんの番になる、だと? 真山なんて聞いたこともない名前だし、礼儀作法もなってないし……」  ——ふーむ、これが小姑というやつか……。  ねちねちねち、と表現したくなるような口調と目つきで、望は僕の全身を眺め回している。  そういえば、職業や年齢なんかはどういう設定にすればいいのか聞いていないぞ……と思い、僕はちらっと由季央へ視線を送ってみる。 「そーだよ。母さんが喜びそうな名門出身のオメガじゃねーよ、春記は。一般家庭の出だし、職業はボディガードだ」  由季央はベッドに腰掛けたまま再び僕の肩をそっと抱き、そう言い切る。  意外だ、と僕は思った。この家族が喜びそうな経歴などをでっち上げられるものとばかり思っていた。  案の定、望が目をひん剥いている。 「は!? 嘘だろ!? 伊月家の長男ともあろう兄さんが、そんな、どこの馬の骨とも分からないような相手と番う!? しかも、ボディガードって何だ? そんな、オメガのくせに肉体労働やってるようなやつと……!?」 「そ、カッコいいだろ?」  ぶすぶすと突き刺さる小針のような視線を浴びながらも、一応微笑みのようなものを浮かべて耐えていた僕だが、由季央のその一言にはどきりとした。  オメガのくせにオメガのくせにと言われ続けてきたこの仕事を、由季央は「かっこいいだろ」と言ってくれた。  それが契約上の演技だとしても、その一言を口にする由季央の声はごく自然で、嘘をついているようには思えなかった。それが妙にくすぐったい。  だが、小姑・望にとってはやはり理解に苦しむ情報だったらしい。目を閉じ、額を押さえながら、喉の奥で低く唸っている。 「えー……と、兄さんはさっきからなにを言ってるんだ? そりゃ、兄さんなら遊び相手には事欠かないだろ。けど、よりにもよって、そんなレベルの低い相手となんて……!」 「ほら出たよ。レベルだの、家柄だの……俺は、お前らのそういうところにうんざりしてんだよ」  由季央は心底めんどくさそうな口調と表情を隠しもせずに、はっきりとそう言い放った。  望はしばし絶望的な表情で兄の顔を見つめていたが、ふと我に返ったように、切れ味鋭いナイフの如き目つきで僕を睨みつけてくる。  ——案の定、家族仲は悪そうだな……。僕も初対面でこうも嫌われるとは……やれやれ、先が思いやられるぞ……。  勤務初日から随分と気の重いことである。気を抜けば、口がへの字になってしまいそうになるけれど、僕は普段の仕事と同じように気を引き締め、冷静な心持ちで、この兄弟の動向を観察することにした。 「こんなやつ、母さんが認めるわけがない。兄さんは、これまで伊月家が積み上げてきた歴史を軽んじ過ぎだ」 「なにが歴史だ。それに、どうせ俺は、飾り物の偽物長男だろ。その重々しい歴史とやらは、お前がしっかり引き継いでいけばいいだけの話だろーが」 「っ……できることなら、そうしたいよ!! でも、僕には……」 「あー、そうだったな。お前には才能がないんだっけ?」 「くっ……」  ——??? ……なんだ、今度は由季央が弟をいじめているような絵面に見えてきたぞ……?  由季央が冷徹に言い放ったセリフに、望が唇を噛んで俯いてしまった。  由季央はスッと立ち上がり、すっかり勢いを無くしてしまった望のすぐそばで、弟の悔しげな顔を見下ろした。 「ならもう、こんな家捨てて、お前も自由になればいいじゃん」 「……できるわけないだろ。僕は兄さんと違って、こんなにも将来を期待されて……」 「そーだね。おかげさまで俺はピアノじゃなくヴァイオリンを自由にやれた。この家とは関係なく、人気も知名度も手に入れた。ありがてーことだよ、放任されてたから上手くいったんだ、俺は」 「……」 「だけど、皮肉だな。今は俺のおかげで、この家はメンツを保ててるんだから」  表情を歪ませる弟の前で、すらすらと歌うような口ぶりで悠然と言葉を繋ぐ由季央は、一見この家において勝者のように見える。だが、僕の目に映るその薄笑みは、いいようもなく寂しげで、虚しさを孕んでいるように感じられた。 「……もういい」  望が、そう吐き捨てる。再びドアの方へ大股で歩を進めてゆきながら、望は硬い口調でこう言った。 「伝言を忘れてた。数日の間、母さんは兄さんと会えない。ヒートだ」 「ふーん。なのに親父は演奏旅行か?」 「父さんの仕事はだいぶん前から決まっていたことだから、仕方ないだろ。……けどそのせいもあって、抑制剤を飲んではいても、母さんは情緒不安定なんだ」 「そっか」 「それに今の兄さんと話をしても、母さんが不機嫌になるだけで、いい話し合いになるとは思えないしな」  背中でそう言い残し、望は荒っぽくドアを閉めて部屋を出て行ってしまった。  ふたたび二人きりになった部屋に、しばし沈黙が訪れる。 「……はぁ、ほんっと、めんどくせー……」  しなやかな背中をじっと見守っていると、由季央が右手で髪をわしわしと掻き乱しながら、苛立ちの滲む声でそう呟いた。 「……相当状況は複雑なようだな。僕みたいな偽物の恋人をでっちあげたくらいで、君はこの家と縁を切れるのか?」 「さーな。けど、素直にほいほい見合いなんかやれるかよ。そうなったら、それこそ、俺はこの家に縛られて一巻の終わりだ」  もう一度、由季央はどさりとベッドに腰を落とした。険しい横顔のまま、じっと望の出て行ったドアを睨みつけながら。 「望のやつ……多分、あんたが俺の恋人だって信じてない」 「まあ、信じたくもないだろうしな」 「しばらくはあんたにもここで寝泊まりしてもらうけど、言動にはくれぐれも注意しろよ。あんたは俺のことが好きで好きでメロメロのベタ惚れで、偉ぶったあいつらになにを言われても、絶対に俺とは別れたくないって感じの演技をしろ。俺もそうするから」 「……メロメロのベタ惚れ……」 「さっきみたいに、望がいきなり部屋に入ってくるってことも十分ありうる。なるべくいつも俺のそばにいて、甘えてるようなフリを通せ。いいな」 「……どれもこれも難しい注文だな。そうして欲しいなら、まずは君が手本を示すべきだろう。僕は、それに応える努力をする」 「手本だぁ?」  呆れたような目つきで見下ろされ、年上のプライドが若干傷つく。だが。  ——ベタ惚れの演技だとか、甘えるとか……僕はこれまで恋愛経験が一切ないから、まったく加減が分からないし……。  すると、腕組みをしていた由季央の腕が動き、ぽんと手のひらが僕の頭の上に乗る。  あまり人に触れられることに慣れていない僕は、一体何をしているのだろうかと戸惑いつつ、全身を固くして由季央の様子を窺った。  色恋沙汰に慣れていそうなアルファだ。きっとうまく僕をリードして、この特殊任務をつつがなく終わりへと導いてくれるに違いない……と期待していたのだが……。  由季央はちょっと頬を赤らめ、困ったような怒ったような表情を浮かべながら、こう言った。 「まー、あれだ。……とりあえず、寝るぞ」 「…………はっ!? な、なんだそれは!! 手本といっても、い、いい、いきなり身体の関係を求められても僕は……っ!!」 「はぁっ? ちげーしそんなんじゃなくて!! 疲れたからもう寝るぞって意味だよ!!」 「あ、ああ……そう、そっち……」 「俺のことスケベとか言っときながら、あんたこそどんな展開期待してんだよ。やらしーな」 「は!? 期待なんてしてないぞ!! 僕は別に!! ただ自衛をしなくてはと思っただけで!!」 「ちょ、声がでけーんだよ。つか、自衛とかする必要ないし。誰があんたみてーな色気のないオメガに手ぇ出すかよ」 「くっ……」  ボディガード人生に色気など必要ないけれど、こう何度も何度も色気がないとか地味だとか華がないなどと言われてしまうと、だんだん腹が立ってくるものである。 「もういい。風呂、借りるぞ。絶対覗くなよ」 「覗くわけねーだろ」  即答でそんな返事だ。  僕はあえて男らしくフリフリシャツを脱ぎ散らかしながら、バスルームへと向かった。

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