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12、vs姑
「ったくお前は! よけーなこと言ってんじゃねーよ絶対変な誤解されただろうがっ」
「うるさいな。前もって詳細を教えておいてくれないから、こっちも混乱してたんだ!」
伊月邸へ戻る車中、憤然とした由季央とカリカリと苛立ちぎみの僕は、案の定派手にぶつかり合っていた。
よほどうるさいのか、ルームミラーごしに、塚原がなんとも言えない表情でこちらを見守っている。
「そりゃ、結婚式に出ること言ってなかったのは悪かったけど、バタバタしてて忘れてたんだよ!」
「それだけじゃない! あの男……っていうか、過去の交際歴なんかも教えておいてもらわないと困る!」
「は? なんで俺の交際歴なんか教えなきゃいけねーんだよ」
勢いよくそう言い放ってしまったせいで、『交友関係』と尋ねるべきところを『交際歴』と言ってしまった。まるで僕が由季央の過去の恋人関係に興味津々みたいじゃないかとやや焦りつつ、ごほんと咳払いをして言い直す。
「違う、交友関係について教えろって言ったんだ! 君は今脅迫にあっているんだぞ? 付き合いのある人物についてはある程度情報をもらっておかないと警護のしょうがないだろうが」
「あー、交友関係。まぁ確かに、明日は音高時代の同期と顔を合わせるからなぁ……」
「それに、特に親しかった人物……あの、東山さんのような人物については特に詳しく聞いておきたい」
「なんで?」
「関係が深ければ深いほど、相手へ向かう感情は大きくなる。おっとりしてそうに見えるあの人だって、爆発物を送りつけたくなるほどの感情が君に対して残っているのかも」
「えぇ? 東山先輩がそんなことするかぁ?」
「安易な思い込みで人を判断してはいけない。油断をするなと言ってるんだ」
「……わかったよ」
そう言って、由季央は降参するように両手を上げた。
「あとで俺のSNSを見せるよ。付き合いのある音楽関係者は大体繋がってるし、明日会うメンバーも顔写真つきで載ってる」
「了解した。その……東山さんはずいぶん君に未練があるようだったけど、遺恨の残るような別れ方でもしたのか?」
「遺恨て。そんなわけねぇだろ」
由季央はめんどくさそうにため息をつき、窓に肘をついて遠くを眺めながら、「俺が海外の音大に進むことになって、それで別れたんだ」と言った。
「というか、君らはアルファ同士で交際を……?」
「俺らの高校、オメガがひとりもいなかったんだ。先輩とは……確か、向こうから告白されて、抱いてくれっていうからセックスもしてたけど」
「抱かっ…………へ、へぇぇ、そうなのか…………」
想像はしていたものの、いざ真実を聞いてしまうと妙にショックだ。フワッと妄想していたふたりの絡み図がいよいよリアルに浮かび上がってくると、なんとはなしに面白くない気分になった。……別に、由季央の色恋沙汰などどうでもいいことなのに。
「向こうは許嫁もいるって最初から知ってたし。ま、セフレみたいなもんだな」
「ふーん……」
「ヴァイオリニストとしては尊敬できる相手だったし、教わったことも色々ある。優しいし、いい人だよ」
「へー……」
ドライな物言いだが、東山のほうはどこからどう見ても未練タラタラだった。あんな状態で番を迎えて大丈夫なのだろうかと、僕が心配になってしまう。それとも、番になってしまえば、過去の未練などさっぱり綺麗に立ち切れてしまうものなのだろうか。
なんとなく口が重くなってしまった僕は、黙り込んで車窓を眺めていた。ふと接近してくる気配を感じて視線を移すと、由季央の顔がすぐそこにあるので仰天した。
「……なん、なっ……近い! 何だよ!」
「いや、急に静かになったから」
由季央が動くと、ふわ……と車内に漂う甘い香りが動いて、僕の鼻腔をくすぐってくる。思わずフラフラと誘われていってしまいそうになるほど、芳しく心地の良い匂いだ。
無遠慮に僕の目を覗き込むふてぶてしい顔も、いつになく可愛らしく見えてしまい……僕は大急ぎで窓を全開にした。
——くそう……っ。プンプンいい香りさせやがって……なんなんだ、これがアルファフェロモンの威力なのか……!?
「なに、暑いの?」
「そっ……そうだよ、代謝がいいもんで!」
「ふーん。で? 俺の交友関係知りたいんだろ? もっと事情聴取みたいなことしてくるのかと思ってたのに」
「そ、それはちょっと落ち着いてから……」
車という密室でじっくり話を聞くのは困難な気がして、僕は汗を拭いながら適当にお茶を濁した。とはいえ、車内を脱出したところで、由季央とは二十四時間一緒にいなくてはならない。しかも今日もこいつと同衾だ。こんなむずついた状態でひとつのベッド。……僕は、平静を保てるのだろうか。
——ま、まぁ、頓服薬の抑制剤を飲めばなんとかなるか……。でもあれはかなり眠くなるからな……とっさの時に目が覚ますことができるかどうかちょっと不安だけど……。
そのとき、静かに車が停まった。
今日は由季央も一緒なので、屋敷の正面玄関に横付けだ。その門前に、黒い燕尾服の老人が一人立っている。出迎えだろうか。先に運転席から降りた塚原が、その老人とひとことふたこと言葉を交わしている。
静かに後部座席のほうへ回り込み、静かにドアを開けた塚原が、由季央に小さく耳打ちをした。
「貴親さまが、お会いになるそうです」と。
+
「よく帰ったな、由季央」
これまで、出入りは全て裏口からだったため、表立って伊月邸の客間に通されるのは初めてだ。
広さ十畳、青々と美しく保たれた畳の表面には艶があり、床の間にはいかにも高価そうな掛け軸が飾られている。
塚原ではない使用人によって客間へと案内されてみると、そこにはすでにこの家の主人が待ち構えていた。
紫紺色の和服に身を包んだ、痩身の男だ。血はつながっていないとはいえ由季央の親なのだから、年齢はすでに五十路が近いはず。だが、ぴんと背を伸ばし、雅やかな佇まいでそこに座している伊月貴親は、想像していたその姿よりもずっと若々しく、そして美しかった。
望と同じ黄金色の髪の毛は短く整えられ、前髪を後ろに流している。形のいい額の下には、どこか卑屈げな光を宿した二重まぶたの瞳。言いたいことが山のようにあるといわんばかりの目つきでじろりと睨めつけられ、無意識のうちに背筋が伸びた。
ちら、と隣に立つ由季央を見上げてみる。さぞや複雑そうな顔をしているのだろうと予想していたが、由季央は感情の読めない薄笑みを唇に浮かべていた。
「どうも。久しぶりだな、貴親さん」
「……まぁ、座りなさい。恋人を連れ帰ったと聞いているが……そちらが?」
「ああ、そうだよ」
由季央にならって座布団の上に正座をし、僕は極力しおらしく見えるように首を垂れた。そして「初めまして、真山春記と申します」とかしこまった自己紹介をする。
「望に聞きましたよ。なんでも、要人警護の仕事をされているとか。うちの息子とはどこでお知り合いに?」
「えーと」
突然向けられた鋭い眼差しと問いに、僕は一瞬たじろいだ。穏やかな物腰だが、僕を品定めする目つきには隙がなく、ひとつでもボロを出そうものなら即座に追い出してやろうと言わんばかりに鋭い。
打ち合わせておいたシナリオを想起しながら、僕はぎこちない微笑みを浮かべながらこう答えた。
「二年前に、由季央さんの公演の警護を担当いたしました。その時に僕が一目惚れをしてしまいまして、言い寄らせていただいた次第です」
「言い寄らせていただいた?」
「あっ、えーと……。日本におられる期間も限られておいでのようでしたし、海外に戻られる前に、是が非でも交際までこぎつけたくて必死で……!!」
「……」
緊張しているせいで若干日本語がおかしくなった。生ぬるい貴親の視線とともに、じろ、と由季央の視線が頬に突き刺さるのを感じつつ、僕はニコニコと愛想笑いを続けた。ほっぺたが攣りそうだ。
「……そう、ずいぶんとうちのを気に入ってくださったんですね」
「それはもう。とても優しくしていただいていますので、ずっとこのまま一緒にいられたらと……」
このまま盛大にのろけてやろうとした瞬間、ふっ……と貴親が笑みをこぼした。決して親しげなものではなく、嘲りを含んだ歪んだ笑顔だった。
「ふっ……ふふっ、ずっと一緒に? それは無理でしょう」
「……はい?」
「大変申し訳ありませんが、由季央には伊月家にふさわしい結婚相手をすでに選別してあります。あなたは由季央に遊ばれているだけですよ」
由季央が予想していた通りの言葉が投げよこされ、僕はなかば感心してしまった。加えて、まるでドラマのようなセリフをリアルに聞けたことに感動を覚えつつ、僕は言葉を失ったかのような表情を装い、貴親をじっと見つめ返す。
ふと、横から小さな含み笑いが聞こえ、その笑い声は徐々に大きくなった。おかしくてたまらないといったようすで、由季央が肩を揺すって笑っている。
僕に向けられていた貴親の視線が由季央にうつり、そこにさらなる鋭さが増す。低い声で「何がおかしい」と貴親が凄んだ。
「いや……あんまりにもテンプレなこと言い出すから、おかしくてさ」
「……由季央、もういい加減にしなさい。あれだけ金をかけてお前をここまで育ててやったのに、ふらふらと勝手なことばかり」
「俺を海外の音大に送り出したのはそっちじゃん。俺が邪魔だったからだろ? こっちはその意図を汲んで、向こうで自由にやらせてもらってただけです」
「キングスレート音楽大学進学は龍之介さんの意向だ。彼の母校で、より高度な教育を受けさせたいと」
「はいはい、そーだったな。それは感謝してるよ。おかげで俺は、世界で通用するソリストとして独り立ちできたんだからな」
「その通り。その恩に報いるためにも、そろそろ私たちの言うことを聞いて、孝行息子らしいところを見せてほしいものだけどね」
「恩、か。ウケる」
くくっと喉の奥で笑い、由季央は下から舐め上げるように見据えた。
「よく覚えてるよ。ガキの頃、何時間も部屋に閉じ込められて、指のマメがつぶれるまで練習したこと。俺もあんたらに認められないと後がないってわかってたから、泣くのを堪えて必死で練習してた」
「え……」
「コンクールで勝てないならここから追い出すぞーなんて何度も何度も脅されりゃ、そりゃがんばるしかなかったしな」
楽しい思い出を語るように由季央はさらさらとそう言うが、幼い子どもに投げかけるにはあまりに酷なセリフすぎやしないだろうか。僕はそっと、由季央の横顔を見上げた。
「コンクールで勝つのは当たり前。優勝逃したら飯抜きで、真冬でも外に放り出されたっけ。今考えてみりゃ立派な児童虐待だけど、あの頃はお前の言う通りにするしかなかったし」
「……お前が今後音楽界でやっていけるように躾けただけだ。龍之介さんの名に恥じないように」
「龍之介さん、龍之介さん……ね。何の才能もないあんたが龍之介に認めてもらうためには、子どもを立派な演奏家にするしか方法がなかったんだもんな」
「っ……」
貴親の目に憎悪がこもる。視線をバチバチと戦わせる由季央と貴親を前に、僕は段々ひやひやしてきた。今にも殺し合いになりそうな気迫だ……。
案の定、ドン! と貴親の拳が飴色に艶めく座卓に振り下ろされる。その衝撃で、貴親の前に置かれた湯呑みがごろんと倒れた。
「知ったような口を聞くな!! 大金をかけてここまで育ててやったのに、なんだその言い草は!!」
「はいはい、金ね。で、俺を使ってもっと金のある家との縁を作って、龍之介の音楽活動に貢献したいんだよな、あんたは」
「それは……っ、お前には関係ない!! 伊月家の長男がいつまでも好き勝手にフラフラしていたら、体裁が悪いだろう!!」
「望がいるんだからそれでいーだろ。俺はもうお前らと縁を切りたいんだよ」
「勝手に縁を切るなんて許さない! 望に音楽的な才能がないのはお前にもわかるだろう! せっかく私たちの血を引いているのに、あいつは全く役に立たな……っ」
気づけば僕は、湯呑みのお茶を貴親にぶっかけていた。
聞くに堪えない雑言を吐き散らかしていた貴親が静かになり、由季央も呆然として目を瞬いている。
「は……春記っ……?」
「……血がつながらないとはいえ、それでも親か」
腹の底から、地を這うような低い声が出た。すると、我に返ったらしい貴親が、わなわなと唇を震わせ始めた。
「なっ……な、なにをするんだ貴様……!! この私にこんなことをして、ただで済むとでも……!?」
「ただで済まなくとも結構。あんたと話しても時間の無駄だ」
「えっ、おいっ……」
僕は勢いよく立ち上がり、ぐいと力任せに由季央の上腕を引っ張って立ち上がらせる。何が何だかわからないといった様子の由季央の前にずいと出て、僕は大声でこう言い放った。
「由季は、こいつの意志で、この僕と番うんだ。お前らの好きにはさせないからな!」
「っ……なんだと……!? 下民生まれの卑しいオメガの分際で、何を偉そうに……!!」
貴親もまた勢いよく立ち上がり、般若の形相で睨みつけてくる。だが僕が引っ掛けたお茶のせいで髪は乱れ、毛先からポタポタと滴っているので、さほど迫力はない。僕は貴親の嘲笑を真似て唇を吊り上げ、そのまま由季央の腕を引いて客間を出た。
後ろからギャンギャン喚いている声が聞こえてくるが、追い縋ってくる様子はなさそうだ。
だが、この屋敷はすぐにでも出たほうがいい。こんなところに滞在してやる義理はないのだ。
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