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18、アホなのか!?

 ドアの中に押し込まれると同時に突き飛ばされ、僕はつんのめって部屋の中へと転がり込んだ。  ぼふっと僕を受け止めたのは、部屋のど真ん中に据えられたL字型のソファだった。高級感のあるしっとりとした革製のソファに手をつき、すぐさま体勢を整えて黒服たちに向き直ろうとしたが、もう一人別の人物がいることに気づく。  広く切り取られた窓のそばに置かれたベッドに脚を組んで腰を下ろし、僕を眺めている男がいる。  肩幅の広い大柄な身体にざっくりとしたラフなシャツを着た、軽薄そうな男だ。首元や指を飾るごつめのアクセサリーは高級そうだが品がなく派手で、成金ぽさが否めない。 「誰だ」 「へ〜〜〜かわいいじゃん。ちょっと目つきわりーけど」  僕の全身をくまなく観察したあと、男はニタニタと下品な笑みを浮かべて舌舐めずりをした。ゾッとするほど気持ちが悪い。咄嗟に身構えた僕の左右にまた黒服がやってきて、無理やりソファに座らされた。  まさかこの軽薄チンピラ男にこの僕を襲わせる気か……!? と背筋が冷える。すると、直(すなお)がつかつかとその男のそばに近づいて、ぎゅとっと甘えるように抱きついた。 「ちょっとヨシ! 僕以外のオメガをかわいいって言わないでよ〜〜!! 浮気だ!!」 「ああ、悪い悪い。……んで? こいつがお前をバカにしたオメガってやつ?」 「そーだよ!」  ——は!? バカにした……!? 僕がいつどこで!?  僕が呆然としている前で、直はヨシと呼ばれた男にベタベタとまとわりつきながら、甘えた口調でこう言った。 「な〜んか清楚ぶって、正義感ぶってて、すっごい腹立つんだよね、この人」 「…………はぁ!? 何を言って……あっ、そうか。由季央との間を邪魔したから怒ってるんだな!?」 「はぁ〜〜? 違うし」 「えっ、だって」  ——由季央との見合いを邪魔する僕が目障りだから、復讐しようとしているんじゃないのか……!?  立ち上がろうとした僕の腕を、黒服たちがさらに強い力で握りしめ、ソファにべたりと座らされる。左右にいる二人を睨んでみるも、サングラスをかけているので表情が読めない。  すると、軽い歩調で僕の目の前にやってきた直が身を屈め、鼻先を近づけてきた。 「ほんと、なーんにも分かってないんだなぁ」 「な、何がだ。わけがわからないんだが」 「せっかく伊月んとこのボンボンが帰ってこないように脅してたのに、フツーに帰ってきちゃうしさぁ」 「……え!?」  歌うような軽い口調で、直がとんでもないことを言い出した。僕は目をひん剥いた。 「お、お前が犯人だったのか……!?」 「犯人て、そんな言い方しないでよ。利害一致すると思ったんだよ? 東山さんに聞いたけど、由季央も帰ってきたくない、伊月との縁を切りたいって言ってたらしいじゃん? 僕も見合いなんてしたくなかったし」 「じゃあ、爆発物を送りつけたり、脅迫メールを送ってたのは君なのか!?」 「そうだけど? てか、爆発物なんて大げさだなぁ〜。ちょっと花火がパンって破裂するだけだよ?」 「……はぁ!?」  ——こいつはアホなのか!? 自分のしたことが、由季央や彼の周囲にどれだけダメージを与えたか全く分かってない……!! 「僕が好きなのはヨシだけ♡ ヴァイオリニストだかなんだか知らないけど、お高く止まったお坊ちゃんになんてぜーんぜん興味ない」 「だ、だったら、最初っからそう言えばいいだろうが!! なんでそんな回りくどいことを……!!」 「言えば反対されるに決まってるからじゃん。僕んちってほら、名門だから」  直は生ぬるい目つきで僕を見下ろしながら、なおも軽い口調でそう続けた。話が通じなさそうすぎて、くらくらと眩暈がする。 「だからといって、やっていいことと悪いことがあるだろ!」 「はぁ……ほら、そういうのウザい。護衛だかなんだか知らないけど、正しいこと以外認めないみたいな態度が腹立つ。オメガのくせに」 「なんだと……?」 「そういうさぁ、自分の人生自分で切り拓いてます〜みたいにカッコつけてるやつ、僕ほんと嫌いなんだよね」  鼻を鳴らして、直はぺちぺちと僕の頬を軽く叩いた。痛くも痒くもないけれど、心底僕をバカにしたような態度には苛立ちを隠せない。ぎろりと下から睨みあげると、直はふふんっと小さく笑った。勝ち誇ったような顔だ。 「それにあいつもあいつだよ。てっきり、『お見合いも結婚もできません』って僕に謝りたいから帰国したんだと思ってたんだ。だから、まぁ会うくらいならいっかな〜って。せっかくだから面と向かってフってやろうって思ってたのに……あはっ、なにあれ。『こいつは俺のパートナーだ!』なんて僕の目の前で宣言しちゃうとか寒すぎ。イチャつきたいならよそでやれよって感じだね」 「……なんだと……?」  あまりの発言に、燻っていた怒りの火種が一気に腹の底から燃え上がる。ぎり……と奥歯を噛み締め、腕の拘束を解こうと試みた。だが、今度は腕を捻り上げられ、ソファにうつ伏せに押しつけられてしまう。  そんな僕を間近で見てやろうと思ったのか、ヨシという男が僕の目の前にしゃがみ込み、好奇の眼差しでこっちを見てくる。視線さえもおぞましく、僕はぷいと目を逸らした。 「てか、見れば見るほどかわいいじゃん。この強がってる感じとかさ、マジそそる」 「……は!? ヨシ、何言ってんだよ!!」  ニヤニヤしながら僕の髪を指先でつまんでいたヨシの手を、バシッ! と直が振り払う。なんだ今度は痴話喧嘩かと、僕は目だけでそちらを窺った。 「地下クラブで燻ってたお前が今みたいに稼げるようになったのは僕のおかげだろ!? 浮気なんて許さないからな!」 「あー……ははっ。冗談冗談。冗談だって、俺が好きなのは直だけだよ」 「もう……、そういう冗談いらないんですけど」  直はコロッと甘えた顔になり、ヨシの背中におぶさるように抱きついた。そして、僕の目の前でチュッチュとキスをしはじめたではないか。……何がしたいんだこいつらは。 「さて……もうすぐあいつらも来るし、とっととこいつ襲わせよーぜ」 「ん、そーだね♡ ……ちょっ……ダメだよ、真山さんの前でそんな……ン、ぁんっ」  立ち上がったヨシに抱きすくめられ、シャツの中に手を入れられながら、直がこちらをチラ見した。そして、赤い唇を吊り上げてニタリと笑う。 「……襲わせる? 僕を?」 「ふふっ、そうだよ。でも心配しないで。僕が開発したクスリを打ってあげる。そうしたら、何もかも忘れるくらい気持ち良くなれるから」 「クスリだと……!?」 「うちで売り出してる合法の発情促進剤に、ちょーっと手を加えただけ。真山さん、いつも抑制剤でヒート管理してるって言ってたじゃない? あんなのもうやめなよ。発情期セックス、最高だから」 「っ……!!」  その言葉を合図のように、手荒く黒服たちにジャケットを抜き取られた。直はサイドボードから細長いケースを取り出して、僕の前でパカっと開いて見せる。  中に収まっているのは、細い注射器とアンプルだ。慣れた手つきで、シリンジの中に薬剤を満たしてゆく。 「やめろ……!! やめろ!! バカなのか君は!! こんなことをして、タダで済むと思ってるのか!?」 「バレたらやばいかも? ふふっ、でも大丈夫だよ。こんなもん外してさ、ヨシの友達と番っちゃえばいいんじゃない?」  くい、と由季央から贈られたネックガードを指先で引っ張られる。僕は咄嗟にブンと首を振って、その指に食らいついてやろうとしたが、すんでのところで避けられてしまう。 「これに触るな」 「あははっ、あっぶね〜。てか、今更強がっても無駄。こいつらベータだけど、腕力だけはすごいよ? 逃げられるわけないから」 「やめろっ……!! 痛っ……!」  シャツの袖を引きちぎられ、さらされた僕の腕に、注射針がぷつんと突き立つ。筋肉を裂くように注入される冷たい薬剤の感覚が生々しく、僕は絶望的な気分になった。  ——クソっ……!! 打たれた……!! 「結構すぐ効いてくると思うよ〜。ふふっ、ねぇ、ヨシの仲間はまだ?」 「もうそのへんまで来てるみてーだわ。ここ部屋番号なんだっけ?」  さも楽しげに交わされる会話が、悪夢のように感じられた。薬を打たれた場所からじわじわと広がってゆく軽い痺れのような感覚が、僕の焦燥をさらに煽ってゆく。  だが、このままここでただ乱暴をされて終わるわけにはいかない。  僕は聞こえよがしに低く笑って、ふたりの注意をこちらに向けた。 「まぁ……確かに、伊月家の人間は平気で人を見下すし、善人ではないだろうな」 「あれぇ? 犯されたくないから僕の味方にでもなろうとしてるの? 今更遅いけど」 「まさか、君の味方になるくらいなら死んだ方がマシだ。君のようなバカは生まれて初めて見た。いい勉強になったよ」  僕の台詞に、ヨシがぷっと噴き出している。射殺すような目でヨシを睨み上げたあと、直は僕の髪をむんずと掴む。 「なぁ……何言ってんの? あんた、自分の状況わかってんの?」 「君こそ分かってないようだな。自分に都合が悪いからといって、他人を……由季を傷つけていい理由にはならない」 「なにを偉そうに……」 「楽器を壊したのも君だろ?」 「そーだけど? いいじゃんあれくらい。また買えばいいんだし」 「……なるほどな。君はバカな上に想像力まで欠如してるのか。薬師院家の苦労が偲ばれるよ」 「なっ……」  激怒するあまり言葉を失っているらしい。直の顔が、見る間に真っ赤に染め上がってゆく。  あんなにもたおやかで可愛らしかった顔が、まるで般若面のようだ。みるまに醜く歪んでゆく直の表情を見上げながら、僕は手応えを感じてほくそ笑んだ。  だが、少しずつ体温が上がっている感覚がある。心拍数が増えるに連れ呼吸も次第に浅くなり、黒服たちに押さえ込まれ、圧迫されている部分に熱が篭り始めている。  肌も少しずつ敏感になっているのだろう、服が擦れるたびにぞわ、ぞわと妙な感覚が生まれはじめていて、僕は不快感に眉を顰めた。  だが、まだ黙らない。  このバカで世間知らずのお坊ちゃんに、ただでやられるわけにはいかないのだ。 「ははっ、愚かだね。親に逆らえないからって、他人を傷つけて、貶めて、それで何か解決になるのか? 君はそれで幸せか?」 「……もういい、黙れよ」 「人を操ろうとする前に、自分の問題をなんとかすべきじゃないのか? そのチャラ男のことが本当に好きなら、君はもっと、別の努力をすべきだったんじゃないのか?」 「ううー……っ」 「ああ、そうか……かわいそうに。分からないのか。君は短絡的で、バカで、浅はかで、騙されやすい、お家柄の良いお坊ちゃんだもんな!」  頭まで熱に浮かされ始めているのだろうか。こうもスラスラと罵詈雑言が言えてしまうあたり、僕もまた相当性格が歪んでいるのかもしれない。  直はなぜだか沈黙していて、まるでモノを見るような目つきで僕を見下ろしている。  そして、すう……と深く一つ息を吐いて、僕を押さえ込んでいる黒服たちにこう命じた。 「レイプ要員が来ないから、もうお前らがこいつやっちゃっていいよ」 「え、いや……しかし」  突然そんな命令を下された黒服たちがあからさまにたじろいでいる。彼らにそういう役回りをする予定はなかったのだろう。僕を押さえ込みながら顔を見合わせている様子だ。  そこへヨシが「いやいや、そういうことなら俺がヤるけど? こんな上玉、ベータにやらせんのは惜しいわ。あいつら来るまで俺が……」と言いかけて、直にぎろりと睨まれている。  そのとき、ドクン……! と大きく心臓が跳ね上がった。生まれてこのかた薬でコントロールしてきたけれど、この感覚は紛れもなく発情期のそれだ。  はぁ、はぁ……と息が上がりはじめ、体温が一気に上昇する。服が触れている肌という肌が粟立つのは、認めたくはないが、性的な快楽のせいだ。細身なスラックスの中で見る間に嵩を増してゆく性器の気配を感じ、僕は必死で、込み上げてくる欲求を堪えようとした。  それを見て勝ち誇ったように笑うのは直だ。  ソファにうつ伏せに抑え込まれている僕の前にしゃがみ込み、頬をぺちぺちと叩かれた。そんな屈辱的な刺激でさえも、今の僕の脳は快楽と捉えてしまうらしい。思わず「ぁ、あっ……」と声を上げると、直は満足げに微笑んだ。 「ほーらね、結局こうなっちゃったらなんにもできないだろ。オメガって不便だね」 「……クソっ……! はぁ……は……っ」 「あ〜でも、こういう時ってさ、誰とのエッチでもすっごくイイよ? そのカラダで、自分がオメガだってことをしっかり思い出すんだね」  バシっ!! と最後に思い切り頬を張られた。肉体が昂った状態だからか、頭にまでカーッと血が昇り、直のことが心底憎たらしくなった。  だが、力の入らない目で素直を睨んでも、相手は怯みもしない。隣で股間を膨らませているヨシをベッドの方へ突き飛ばしながら、直は黒服たちに向かって怒鳴り声を上げた。 「ほらお前ら、まごまごしてないでとっとと犯れよ!! 金は払ってんだ、黙って僕のいうことをきけ!!」 「金」という言葉でスイッチが入ったのか、それとも、僕のヒートにあてられはじめているのか……黒服たちは荒っぽい手つきで僕をソファの上で仰向けに転がし、組み敷いた。  頭上で両腕を拘束されつつ、足元にいる男が僕のベルトを外そうとしている。だが片手ではうまく外せなかったのか、足側にいる男の両手がベルトにかかる。……その一瞬の隙を、僕は見逃さなかった。  素早く男の下から両脚を抜いて膝を抱え、そのままバネのように両脚で蹴りを繰り出してやった。それは相手の男の下腹に直撃し、男は「うっぐぅ……!!」と呻いて腹を抱え、ソファからゴロンと床に転げ落ちる。 「あっ、こいつ……!!」  直とヨシがたじろぐ声を耳に挟みながら、今度はその勢いのまま脚を蹴り上げて腰を浮かせると、頭上で僕の両腕を掴んでいる男の首に両脚を巻きつけた。  ヒートを起こして弱っているかに見えたであろう僕があまりにも素早く動いたことに驚いたのだろう。黒服男は「うわっ!」と悲鳴をあげながら締め技に掛かり、そのまま後ろにひっくり返ってしまう。  首に絡みつき、締め上げる僕の太ももをバシバシと叩いていた男から、徐々に力が抜けてゆく。手応えを感じた僕は脚を解き、どさりと倒れ伏した男から離れてよろりと立ち上がった。 「うわぁ……ヤベェなこいつ」  着衣を乱しながら立ち上がる僕を見て、ヨシが興奮を露わにしている。  どうやらヨシはアルファらしい。僕のフェロモンに影響を受けているのか、わざとらしく日に焼けた肌を紅潮させながら、僕を見て舌なめずりをしている。  その様子を見て激昂している直をどんとベッドに突き放し、ヨシが大股で僕の方へと近づいてきた。そして、ぐいと僕の胸ぐらを掴み上げる。  ヨシからきつく香るのは、まぎれもなくアルファフェロモンだ。もろにその匂いを吸い込んで、僕は激しい嫌悪感を抱いた。  華々しくきつい香水のような匂いだが、同時につんと饐えたような汚らわしさを感じさせるような、猛々しい匂い。  無遠慮に唇を近づけてこようとするヨシに向かって、僕は思い切り唾を吐きかけてやった。 「っ……! あっはははっ!! なんだこいつ、すげぇじゃじゃ馬じゃねぇか! ヤりがいあるわ〜!!」 「ヨシ!! お前、良い加減にしろよ!! 僕を愛してるって言ったくせに……!!」 「うるせぇな! お前は黙って俺に貢いでりゃいーんだよ!!」  ああほら、やっぱり。見た目通りのクズじゃないか。こんなのに引っ掛かるなんて、本当に世間知らずのお坊ちゃんだ——  ヨシに荒っぽくソファに押し倒されながら、僕は笑った。それは自嘲の笑みでもあった。  ——直のことを見抜けなかった僕も僕だ。たいがい人を見る目がない……  もはや暴れる気力も失せるほどに、脳の芯まで火照っているような感じだ。薬の効果は絶大らしい。こんなにも相手をおぞましく感じているのに、もはや抵抗する気力さえ湧いてこない。  だがその時、覆いかぶさってくるヨシの匂いとは別の香りが、僕の鼻腔をほんの僅かにくすぐった。  この数日間ずっとそばにあったあの香り。それはとても心地の良い、優しい匂いで……。  ——由季……  萎えていた気力に、僅かながら力が戻る。  その瞬間、この部屋の扉をドンドン!! と乱暴に叩く音が部屋に響き渡った。

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