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第7話
空気が動き、俯いた視線の先に影が落ちた。
「落ち着け。大丈夫だ」
側で乳臭い声が聞こえ、さらりとした感触が鼻を覆う。
鼻孔を布で塞ぎ鼻の付け根を小さな指が抑える。
おそるおそる畳から視線を上げる。
うわっ等と悲鳴を上げて、恥かしそうに、あるいは汚い物を見る表情で。
批判的な視線が突き刺さる。
そんな中で錦がハンカチを出し鼻を抑えてくれたのだ。
自分の為に動いたのは錦だけだ。
眼だけを動かして目の前の彼を捉えると、静かな眼が覗き込む。
心臓が破裂しそうな程に激しく打つ。
こんな状況なのに、至近距離にある大きな黒い光彩に吸い込まれそうになる。
「冷やすものを持ってきてください」
亭主は氷とタオルを持ってきますと慌てて茶室を出ていく。
しんとした室内に聞こえるのは、鼻を塞がれ荒く口で息を吸う音と畳の擦れる音のみ。
ハンカチが血で染まっていく。このままでは、錦の手まで汚してしまう。
彼は人一倍衛生面では気を付けなくてはいけないのに。
第一、他人の鼻血で汚れるのが平気な人間などいやしない。
錦は構わず、手で押さえたままだ。
私物が汚れるのも厭わずに、至極当然と振る舞い何でもない様に淡々とした面持ちで亭主の帰りを待つ。
関わりたくないとばかりに引き攣った顔でみる家族たち。
何もできないなら、無い物のようにふるまえば良いのに。
あとで、馬鹿にしたように悪し様に悪く言うんだろう。
彼以外に誰もこんなことしてくれなかった。
庇ってくれたり、こんな風に優しくしてくれるのは彼だけだ。
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