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第一話『選ばれし神子』
僕は三歳の頃に『神隠 し』に遭 ったことがある。
あれは、近所の子供たちとうちの神社の境内 で遊んでいた時だ。
かくれんぼをしていて、見つからないようにと必死で茂みに隠れた。
そうしたら、誰かが呼んでいる気がして。
僕は……。
そこからは記憶が途切れている。
気がついたら僕は自分の部屋の布団で寝ていて、じいちゃんとばあちゃんが心配そうに覗 き込んでいた。
聞けば三日も姿をくらましていたと言う。
神様に魅入 られた子供は神域に連れて行かれるという。
それを『神隠 し』と言うのだそうだ。
「陸 があんまりカワイイもんやから神様が気に入ってくれたんやねぇ。ほんまによかった」
ばあちゃんはそう言って泣きながら僕を抱きしめた。
「やっと御使 い様を授けてくれたか。陸 はお眼鏡にかなったのだな」
じいちゃんもそう言って安心したように表情を和らげ頭を撫 でてくれた。
「ぐぅ……」
この神社の御神木 である桜の大樹の下で僕、神尾陸 はハッと目を瞬 かせた。
ぼんやりとまだ三分咲きの桜を見上げていた僕をシロが心配そうに見つめた。
僕は「大丈夫だよ」と屈 んでシロを抱きしめた。
モフモフの白い毛並みが気持ちいい。
ピンと立った耳。フサフサのシッポ。銀色のキリッとした目。
全身真っ白なシロは子供の頃に図鑑で見た狼にそっくりだ。
身体も普通の犬の倍はあると思う。
毛並みに沿って首や背を撫 でてやると気持ちよさそうに目を細めたシロは、お返しとばかりに僕の頬や口をベロベロと舐 めた。
「ふふふ、くすぐったいよ。シロ」
――そう。あの時、シロが僕を助けてくれたんだよね。
三日間も行方不明だった僕を最初に見つけたじいちゃんが言うには、すやすやと眠る僕を背中に乗せたシロが御神木 の側にふいに現れたのだそうだ。
それ以来、シロは十五年間ずっと僕の側にいる。
宮司 であるじいちゃんはシロのことを『御使 い様』と呼んだ。
シロは神様の御使 いで僕を護 ってくれているんだって。
そして、あれ以来僕は『神隠 し』に遭 うことはない。
きっとシロのおかげだ。
僕のシロ。大好きなシロ。
「シロ……、いつもありがとう」
僕はシロをぎゅうっと抱きしめた。
僕は、この神尾神社に生まれた『選ばれし神子 』というヤツだそうだ。
ご神託 とやらがあって、その日その時間に生まれた特別な子供なんだって。
そのせいか僕には狭間 が視 える。
あの世とこの世の間。『神域 』ってヤツだ。
そこにうっかり足を踏み入れたら『神隠 し』と呼ばれる目に遭 うのだろう。
突然、本当に忽然 とこの世から姿を消してしまうことになる。
いつもとは空気がおかしい感覚がして、歪 みが視 える。
そんな時はそこには近づかないようにしている。
そして、声。
僕には声が聴 こえる。
誰かが僕を呼ぶ声。
他の人には聞こえない声だ。
でもそんな時はシロが決まって怖い顔をして唸 り出して、激しく吼え立ててくれる。
そうすると声は聴 こえなくなるのだ。
「ねえ、シロ。卒業式には満開かなあ」
遥 か昔からここに根を張っているのであろうしめ縄を巻かれた太すぎる幹を見上げれば、次々と綻 びかけた薄紅色 の蕾 たち。
一週間後は卒業式。僕は十八歳になる。
◇◇◇
卒業式を終えて家路を急ぐ。
今日は朝から妙な胸騒ぎがした。
今朝、変な夢をみたからかもしれない。
『待っていた……この日を待っていたぞ。お前は選ばれし贄 ……』
嫌な声だった。
地の底から響くようなおぞましい声。
一度聞いたら忘れられないようなそれと、纏 わりつくような嫌な感覚。
とても夢とは思えない。
ビックリして汗だくで飛び起きたらシロが寄り添ってくれて、心配そうに頬 を舐 めてくれた。
僕は心臓がドキドキして怖くて震えてしまって。
でも、モフモフのシロに抱きついたらようやく安心できてもう一度眠れたんだ。
僕はそれを思い出してぞくぞくと寒気がして自分で自分を抱きしめる。
怖い。不安で堪 らない。
こんなの初めてだ。
(……シロ。シロに会いたい。シロをぎゅってしたらこんなのすぐに収まるんだから)
その角を曲がるとシロが迎えにくる。
いつもの光景に早く会いたくて、僕はあまり周囲を見ることなく道路へ飛び出してしまった。
《――――陸 !!》
誰かの緊迫した声が脳裏に響いた。
驚いて顔を上げると猛スピードのトラックが迫ってくる。
キキィィ――――ッ!!
響き渡る急ブレーキの音。
必死でハンドルを切る運転手と目が合った。
ダメだ。間に合わない。ぶつかる。
こんな時、身体ってヤツはどうして石みたいに動かなくなっちゃうんだろう。
僕はただ目を見開くことしか出来なくて立ち竦 んだ。
《危ない……ッ!》
途端に、視界いっぱいに飛び込む白。
ドンッ!! と激しく突き飛ばされる衝撃。
ドカァ――――ンッ! という激しい衝突音。
全てが一瞬の出来事だった。
「きゃあああ!! 男の子が跳ねられたわ!!」
「救急車を呼べ」
「違う! デカイ犬が庇 った……!」
「おい! 君、大丈夫か!?」
救急車のサイレン音が遠くで聞こえる。
僕には大した怪我 はなかった。
転がった際に少々肘を擦 りむいたくらいだ。
目の前には塀に激突して煙を上げるトラック。
地面には黒く弧を描いたブレーキ痕 。
その横に、横たわる白く大きなカラダ。
アスファルトに赤が広がっていく。
「……あ、うそ、嘘 だ。シロ……、シロ……、シロ……?」
僕はずりずりと這 い寄りシロを抱き起こした。
ぬるりと手が真っ赤に染まる。
シロの胸がまるで鋭利な刃 で斬りつけられたようにザックリと裂けている。
「ああ……っ」
シロは一度だけ銀色の目を開けて僕を見た。
まるで僕の無事を確かめるように。
「やだ。シロ、シロ、……嘘 だ。僕を置いて……逝かないで」
「……くぅ」
そして、一度だけ僕の手をペロリと舐 めた。
シロの重みが、温かさが僕を護 るように包む。
僕には解ってしまった。
シロは助からない。
(だって、今、……気配が離れた)
僕は絶望に目を見開いた。
「シロ……、シ……、うわあああぁぁぁ――――ッ!!」
狂ったように泣き叫ぶ僕に到着した救急隊員が駆けつける。
「君、血だらけじゃないか!? 怪我 を見せなさい」
学校から連絡が行ったのか、神尾神社の人たちも駆けつける。
中にはじいちゃんもいたようだ。
「陸 !? ……しっかりせんか、陸 !」
その時の僕は半身を裂かれたような衝撃に泣き叫び、シロを抱きしめたまま決して離さず、そのまま気を失ったらしい。
次に目覚めた時は病院のベッドの上だった。
僕は丸二日意識がなかったらしく、CTやらMRIやら、いろんな検査をするために入院していたと病室に泊まり込んでいたじいちゃんから聞かされた。
ばあちゃんは三年前に癌 で亡くなった。
本当に明るくて優しい女性 だった。
霊感が一切なかった僕の母親は『神子 』だの『神隠 し』だのそういう気味の悪いことばかり言う祖父母を嫌い、赤子の僕を置いて都会に出て行ったきり帰らないらしい。
父親の顔は誰も知らないと言う。
この亜麻色 の髪と瞳、そして白すぎる肌は、どちらかに似たのかもしれないが興味はなかった。
いつも明るくて優しいばあちゃんが死んでからじいちゃんはとても無口になった。
ポッカリと心に穴が空いたような寂しさはシロが埋めてくれた。
どんな時もシロは一緒にいてくれたから。
「……検査の結果異常なし。目が覚めたら退院だそうだ。……帰るぞ陸 」
「……シロは?」
「御神木 の下に埋めた。シロは御使 い様だ。何かあった時はこうする約束 だった」
「……そう、なの」
僕は込み上げる嗚咽 を堪 えた。
それっきりお互い口を開かず、じいちゃんと共に神尾神社に帰った。
神尾神社は古くからあの桜と狼を祀 っている。
『大神 』、正確には『大口真神 』といって狼は神様の御使 いなんだそうだ。
でも、僕にとってはシロはシロで。
狼だろうと犬だろうと神様の御使 いだろうとどうでもよくて。
もっと言えば『神子 』とかもどうでもいい。
神社に帰り着くと、普段無口なじいちゃんが、珍しく僕をじっと見てポツリと言った。
「陸 ……、嫌なら嫌だと言え。お前は選べる」
「……何の、話?」
僕はわけが分からなくて、神妙な顔をしたじいちゃんの方を首を傾げて見た。
「いや、……いい。シロのところに行ってやれ」
「うん」
僕は早くシロのところに行きたくて、そんなじいちゃんに背を向けて御神木 の桜の大樹の元まで駆けつけた。
巨大な桜の樹の幹にはしめ縄が巻かれていて、周囲にはロープが張られてヒラヒラした白い紙がいくつも吊されている。
そして『立ち入り禁止』の参拝客用の立て札。
それらを無視して僕はいつものようにロープをくぐり、御神木 の側まで歩を進めた。
桜の樹の下の地面に、掘り起こされた新しい土の色がこんもりと盛り上がっている。
その上に置かれた大きな石がまた僕の涙腺を壊した。
「ごめんね。シロ……、痛かったでしょう? 僕が飛び出したりしなかったら……」
僕は地面に突っ伏してわあわあと泣いた。
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