35 / 110

第35話

「……私も得してるよ」 「うん?」 「好きな人とお付き合いできてる」 「……お、おう」  真剣な口調に吹き出してしまいそうで、俺は片手で口を覆った。頬が熱くなる。 「……裕貴さん、俺のこと、好きだったんだ?」 「……そうだね」 「いつから?」 「……いつからだろう?」  先生は本当に覚えていないようで、箸を休めて考えていた。 「いや、考えなくていいから。食べて」  先生はなんだか嬉しそうに頷いた。 「え、なに?裕貴さん」 「うん?」 「今、何か口ずさんだでしょ」  先生はきゅっと口を引き結んだ。 「……いけない。行儀が悪いな」 「何の曲?」 「ピアノの曲」 「へぇ、裕貴さん、クラシック好きなんだ」 「クラシックじゃないけど、好きな曲」  俺は気になって先を促す。 「何て曲?」 「『under the rose』」 「『薔薇の下で』?」  グラスに口を付けて、先生は穏やかに微笑む。 「『秘密に』とか『内緒で』って意味」 「そうなんだ! 何か意味深だな」 「私達のことみたいだね」  何だか先生がとても艶っぽく見えて、俺はこの後の展開を期待してしまう。 「先生、マジで一緒に風呂入ろうよ」 「……それは、お断りするよ」  長い睫毛を伏せて、少し無口になる。俺達は静かに食事を続けた。  俺は彼が恥ずかしがっているのだとばかり思っていた。この時までは。

ともだちにシェアしよう!