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第52話
「藤田……」
「裕貴、アンタ、自分の身体の傷を見せたくないんだろ? 何でそいつには見せるの! 何度も何度も!」
先生が胸をゆっくりと握りしめる。肩が上下して息が苦しそうだ。ダメだ。身体の傷のことに触れてはいけない。けれど俺の怒りは止まらなかった。
「俺にはあんなに拒否しておいて、そいつには簡単に見せるの! アンタの身体の傷をそいつには触れさせるの!」
先生の身体が前に傾いだ。全身で息をしている。喘鳴が聞こえてくるが、俺は止められない。
「俺はいったいアンタの何なんだよ!」
「遼一……許して……痛いんだ……」
「それは芝居か? 寝たくないヤツの前ではいつもそんなフリすんのか」
両手が床に落ちる。唾液がすっと落ちて、俺は先生を覗き込んだ。額に汗が浮かんで、目の焦点が虚ろだ。また失神するのか? 俺は先生の肩に手を置き、背を擦った。抱き込むようにしてそれを続けると先生はおずおずと俺の肩に顔を乗せてきた。呼吸も心拍数も激しく、俺はもう黙り込んで、先生が楽になるようにそれを続けた。全身の力が俺に預けられて、足が投げ出される。ダメなのだ。本当にこの話題はダメなのだ。先生の傷なのだ。けれど。だからこそ。俺にすべてを委ねてほしかった。他の誰かでいいのなら、俺の存在の意味がない。なぜ。先生はそれに応えてくれない。
「好きなら……俺だけにしてくれよ……頼むから……」
気を失ってしまった先生に、その言葉が届いているのか。俺にはわからなかった。
冷たい床に寝せておくわけにもいかず、俺は先生が目を覚ますまで抱き締めて温めた。先生は気が付くと、とてもバツの悪そうな顔をしたので、俺はさっさと立ち上がり、そのまま数学資料室を出た。
先生も引き止めはしなかったし、されたとしても俺は先生の言葉を聞く気にはなれなかった。
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