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第56話

「……誰?」  澄んだオルゴールの音色を思わせる美しい声が響く。振り返ると右目に眼帯をしたバーテンダー姿の華奢な子が立っていた。当然年上なのだろうが、それを思わせない小柄な顔と身体のせいで、まだ高校生くらいに見える。冷たい表情がまた切れるように綺麗で俺は思わず見つめてしまった。多分、先生が若い頃はこんなふうだったんじゃないかって。 「ユリ」  ユリと呼ばれた青年はさっさとカウンターの中に入ると深沢さんの後ろを通り抜けた。グラスが軽く当たる音がする。そろそろ開店の時間なのだろうか。俺が立ち上がろうとすると深沢さんはそれを制した。 「まだ話は終わってない。で? 君は裕貴をどうするつもり?」  その名を聞いたユリさんは、本当に嫌そうに深沢さんを見た。 「ねぇ。さっさとシャツ着てくれる? それ、目障りなんだけど」  びっくりするようなセリフを堂々と言う。深沢さんは多分、その道の人なのだろうけど、その彼にこんな物言いをすることができるなんて。深沢さんは、はいはい、と軽くいなすとすぐにシャツを羽織った。 「どうする……」 「裕貴と円満に付き合っていくなら俺とのことは目を瞑る。それが一番だと思うけど」 「円満?」 「そう。ユリはね。裕貴のために雇ってるんだ。裕貴がいつおかしくなるかわからないから。呼ばれた時にすぐ出掛けられるように。そういうことなんだよ。あの子は本当に脆い子だ。見ていて思うだろう。危ういって。学校で見せる姿と君と会っている時の姿は全然違う。君だって翻弄されてここに来た。そうだろう?」 「違う。僕は店を持ちたいんでここで修業させてもらっているだけ。彼とは関係ない」  ユリさんが仕事をしながら被さるようにそう言った。どうやら先生のことが嫌いみたいだ。  しかし俺はいったい本当にどうすればいいのだろう。途方に暮れるとは正にこのことだ。先生の傷を見た後のあのどうでもいいような感じ。あれはもう俺との付き合いに見切りを付けたということか? 驚かなかったら、この人との関係は止めたということか? そういうことでもないような気がする。とにかく先生の心の闇って何なんだろう。先生の過去を知らないと彼とは続けていけない、いや、先生が俺と続けていけないような気がしていた。

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