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第60話
先生は顔を上げたが俺の顔を見ることはできず、腕辺りで視線を彷徨わせていた。
「どう?」
畳み掛けるような、一方的な会話に先生は着いていけていない。だが時間がない。先生はもうすぐ職員会議に行かなければならないだろうから。けれど時間を掛ければ掛けるほど、この頭のいい人は逃げ口を探すに決まっている。ここでどんなことをしても俺と約束させなければ。幼稚な考えかもしれないが、俺は焦っていた。
「ホントにセフレだと思ってんの?」
「……わからない」
いっそ、セフレだと言いきってくれた方がよかった。先生は何か特別な想いでも深沢さんに抱いているのか。それは傷を見ても驚かなかったのが深沢さんだけだったからか。
「じゃ、セフレってことで、今までのことは割り切って。もう寝ないって、約束できる?」
本当は約束したいが、できない。そんな苦渋に満ちた表情に苛つく。俺は深くため息をついた。
「俺に抱かれるのは嫌なの?」
「そんなこと……ない」
「じゃ今度欲しくなった時は俺と寝ること。わかった?」
「…………」
「俺達の関係って何? 裕貴さんはどうしたいの?」
遠くで生徒たちの声が聞こえる。笑ったり、はしゃいだり。だがこの部屋の中の雰囲気は違った。ぴんと張り詰めた空気が漂っていて、とても冷たい。これが恋人同士とは思いたくないが、先生と生徒、この年の差がやはり歯車を狂わせているのだろうか。彼は俺に頼れない。俺は彼に無理ばかり強いている。
「……恋人だって、思ってる。……別れたくない……」
「本当に?」
「一緒にいたい」
そこははっきりと聞こえた。それなら、と俺は手を差し出した。その手に導かれ、彼は立ち上がる。
「俺の言うこと、わかるね? 約束、できるよね?」
「……うん」
「誰ともダメ。俺以外は。いいね?」
「……約束する」
震える手を俺の胸に置き、先生は爪先立ちして俺に顔を近付けた。この美しい人は俺のもの。誰にも渡さない。
「キスしてほしいの?」
「……ああ」
「じゃ、キスして。約束のキス」
俺が屈みこむと先生の乾いた唇が一瞬、触れた。目尻に涙が溜まって色っぽい。俺は少し意地悪になる。
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