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第63話
「……そこはそう言われると、自信ないです。男は初めてだし」
百合さんがびっくりしてフォークを落とした。皿にガチャンと落ちたが構わず百合さんは大きな声で叫んだ。
「マジで! え、どうして突然! 何がどうして男に走ったの!」
「百合さん、声、大きいです……」
その音でオーナーと紹介された男性がこちらにやってきた。気を利かせて新しいカトラリー入れを持ってくる。百合さんの行き付け、と言われたイタリアンの店はとてもおしゃれで、ひとつひとつのテーブルが洞窟っぽい窪みの中に置かれていて、隣りの様子は見えなく、声も聞き取りにくい。灯りも落としてあり、お忍びっぽい感じで大人の雰囲気がした。深沢さんより年上と思しき男性がテーブルにそれを置くと、百合さんがいきなり彼の首を引き寄せてキスをした。
「百合、お客さまの前で……」
「んー? 大丈夫、この子、俺のことよく知ってるから」
オーナーは困ったように俺に頭を下げて、席を後にした。百合さんの奔放ぶりに俺はため息をつく。
「百合さんってキス魔なんですか?」
「はあ? 昔のオトコだし。キスくらいするでしょ」
昔の男。どうやらあちこちにいそうな気配に俺はもう一度ため息をついた。先生はどうなんだろう。深沢さんが初めてなのだろうか。いや、他にもいると言っていた。ゆきずりとか、何とか。そこのところをぼかしてはいたけれど、確実に男は俺が初めてじゃない。気が滅入る。
「今は誰ともしてないよ。一時期荒れた時はあったけど、もうしてない」
「はぁ」
「でもキスは挨拶だよ? 遼一もしたい?」
「俺は裕貴さんがいますから」
「裕貴さんがいなかったら、してるんだぁ」
「……わからないです」
さっきから見ているとひっきりなしにワインを飲んでいるが大丈夫なのだろうか。まったく顔に出ないのでわからないが、酔って倒れたりしたら危ない。そうでなくても眼帯をしていてバランスを取りにくいと思うので、俺はそれが心配だった。
「あ? これ? 大丈夫。賢史も僕もザルなんだよね。酒なんか水と同じなんだよ」
「そうですか……」
「で? 何で男なの」
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