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第86話

「……それは」 「俺がその道を抜けたのは、百合をひどい目に遭わせたくなかったからだ。俺と何度も会うようになれば、アイツは狙われる。実際、危ない目に遭いそうになったんだ。とても目を引く子だからね。背中の焼き印はその時の制裁だよ。これだけで済んでよかったくらいだ」  表情を変えず淡々と話す深沢さんの横顔を見つめる。通り過ぎていく街灯に照らされたその表情は静かだった。 「そうするくらいに、あの子は……特別な存在になっていた。百合が俺のことを慕ってくれていたこともわかってた。でも俺はこういう人間だから、せめて見守るだけの存在でいよう、何かあった時に頼れる存在であろう、そう思って彼の「愛している」の言葉に応えたことはなかった。それがどうだ、兄弟として会わされた時。これは何の喜劇かと思って笑えてきたよ。禁忌なんてとっくに破ってる。大事にしていた百合を汚してしまったのは他でもない俺だった。……だから、俺は決めてる。これからどんなことがあっても、兄としてあの子のことを見守っていこうと。……遅いかもしれないけどね」  深沢さんの本音に、俺が何を言える訳でもなく。ただ百合さんにこの想いが伝わればいいのに、それだけを思った。こんなに大事にされて、愛されているんだと。 「俺はいいんだけどね。別に男同士だろうが、兄弟だろうが、そんなの関係ないんだよ。本気で好きになったら何もかも関係ない。無我夢中でそいつと一緒に生きたい。そう思ってる。けど、百合のことを思うと、それはできない。大切だからできない」 「……百合さんて、……裕貴さんが大学生だったら、あんな感じなのかな、って思ってました」 「そうだな。裕貴も案外強そうに見えて、……儚い」  公園が近付いてきた。深沢さんは車を止めると降りようとする俺の背中に声を掛けた。 「百合を……頼むな」 「……はい?」 「百合と……寝てるんだろ?」  俺はキスしたことを思い出して少し赤くなる。首を振って、俺は今、伝えなければならないことを言った。 「百合さんとはしてません。百合さんは、今はあなた以外とは誰ともしていません。キス以外」

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