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第94話

 あれから七年の時が経った――。  まだ底冷えする三月の初め。俺は何とか深夜零時になる前に部屋に着くことができた。大きなスーツケースを引き摺りバッグを肩に担いで、やっとのことで玄関を開ける。大きな息をひとつついて玄関を上がると、背後から俺の予定などお構いなしの厳しい大声と足音が聞こえてきた。 「遼一! おっそーいっ!」 「悪い悪い、帰りのバスが渋滞でさ……」 「もうご飯、食べちゃったよ!」 「美幸はもう寝ろよ。明日、早いんだろ?」 「カレー。作っといたから、今から温める」 「悪いな」  部屋に入り、俺は大荷物を置いてリビングに向かった。ソファに座り、だらだらしていると美幸に怒鳴られる。 「遼一! 外から帰ってきたらうがい手洗い! 健康管理がなってない!」  うがい。そうか、あれは箱根だったか? 先生もそんなことを言ってたっけ。俺は笑いながら洗面所に歩く。 「美幸は風呂入った?」 「入った。もう寝るよ」  カレーの皿とスプーンをダイニングテーブルに置くと、美幸は寝室に行こうとした。 「ちょっと待って、美幸」 「ん?」  俺は後ろから美幸の左手を取った。左の薬指にはキラキラと光る大粒のダイヤの指輪。随分と奮発したな。 「これさ、きつくない? きつそう」 「きつくない! ちゃんと合ってます!」  美幸は困ったように何度も指輪を行き来させる。俺はおかしくなって、腹を抱えて笑う。随分と変わった。綺麗になった。あんなに神経質で怒りっぽくて暗かったのに。好きな男ができると女はこんなに変わるものなのか。俺はしみじみと美幸を見つめた。 「結婚するんだな」 「……そうだね」 「一番、縁遠いところにいる人だと思ってた。姉さんは」 「私が一番驚いてるよ!」  たった一人の姉が明日、海外に行く。そして結婚式を挙げ、そのままそこに住むことになる。次に帰ってくるのはいつになるのか。俺の大学時代、実業団入り、そして大切な一年目を家族みんなで支えてくれた。特に姉は送迎などもしてくれた。結婚式には試合で、残念ながら出席できないけれども、姉は全然気にしない様子だ。 「アンタこそ頑張りなさいよ! いっつも頑張り時!」 「うん。ありがとう」

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