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第4話
「……気づいてたなら言ってくださいよ」
ばつが悪くて佐野を真っ直ぐに見れないまま、真翔は烏龍茶を飲んだ。
会社帰りの居酒屋はそこそこ活気づいていて、真翔たちが座るボックス席の方にも、客の話声や店員の威勢のいい声が聞こえてくる。
「そっちが気づいてないみたいだったから、言わない方がいいかなと思って」
向かいに座る佐野はなんのことなさそうにさらりと答えた。
真翔が勤める食品会社は、本社だけで従業員数五百人以上を抱えている。社内SEをしていて他部署とのやり取りが多いとはいえ、その人数の上に人の顔を覚えるのが苦手な真翔は、顔が広くはない。
だから、こっちが悪いみたいに言われても困るのだけれど、相手が社内ではちょっとした有名人だったのがよくない。
社長賞とは、会社に貢献した各部署や部門の社員に与えられる賞で、社内の広報なんかに取り上げられる。その中でも、佐野は十数年ぶりに二十代で社長賞を獲得した社員であることと、その見た目のよさで社内ではだいぶ注目されていた、らしい。
真翔もその話題は耳にしていて知ってはいたけれど、顔までは見たことがなかった。いくら自分でも、この顔なら見ていれば覚えたと思う。現に、さっきすぐに分かった訳で……。
「だからって、呼びつけなくてもいいでしょう」
「いや、本当にパソコンが急にフリーズしたから困ってたんだって。俺もまさか村瀬が来るとは思わなかったんだよ」
白々しい。
「嘘ですよね。指名だって聞きました」
「なんだ、バレてたのか」
悪びれる様子もなく、佐野は小さく笑った。
「というかさ、なんで敬語になってんの?」
「だって俺、年下ですから……」
さっき席に戻ってから諏訪に見せてもらった広報のページを思い出す。そこには佐野の簡単なプロフィールが載っていて、年齢の欄には二十七歳と書かれていた。真翔の二つ年上だ。
「そういうの、別にいいよ。そもそも俺、中途入社だから社歴的には村瀬の方が上だろうし」
「え、そうなんですか?」
「うん。だから昨日みたいに普通に話して。急に話し方を変える方が不自然でしょ」
「それとこれとは別って気もするけど……」
「じゃあ、年上命令ってことで」
「なんか矛盾してない?」
「そうそう、その調子」
すっかり相手のペースで、いけないと思う。
早く話を終わらせてしまおう。
「そういえばさ」
今思い出した、という振りをしてこちらから切り出した。
「今朝のお金、いくらだった? 俺、払うから」
「なんで?」
「だって、俺が酔ったせいで泊まったわけだし……」
言いながら、少し周囲が気になった。誰も自分達の会話なんて気にしていないだろうと分かってはいるけど、やっぱり店を出た後の帰り際にでも話せばよかったと後悔する。
「じゃあ、次は村瀬に払ってもらうってことで」
「……なにさり気なく次とか言ってるの」
「え? 同じ会社なんだし、次も飲みに来るくらい付き合ってよ。この店いいだろ? 営業部でたまに来るんだ」
嵌められた、と思う。その証拠に佐野は肩を震わせて笑いを堪えていた。
そして、「そろそろ出ようか」と伝票を手に立ち上がる。
「ちょっと、俺が払うんでしょ」
「冗談だよ」
「いや、俺が払うって」
「それじゃ、割り勘にしよう」
結局、万券しかないと言って会計を済ませてしまった佐野に、半分予測していた真翔は店を出てすぐ今朝のホテルの分も併せて強引にお金を渡した。
「これで全部返したから」
「別によかったのに」
「それじゃ俺が嫌なんだってば」
「こだわるなぁ」
当然だ。これ以上、佐野に関わるつもりはない。一緒にいると落ち着かなくて、ざわざわする。
駅に向かって歩いていると、佐野がふと足を止めた。
「ちょっと寄っていかない?」
そう言って指したのは公園だった。時間がまだそんなに遅くないせいか、公園の周囲にはランニングをしている人やベンチに座っているカップルなど、まばらに人の姿がある。
それを確認して真翔は頷いた。佐野がどういうつもりか知らないけれど、もう関わらないってはっきり言ってしまおう。
公園を歩きながら機会を窺っていると、佐野が笑った。
「意識しすぎじゃない?」
「そんなんじゃないよ」
その余裕な様子にむっとして言い返せば、佐野は「残念」とおかしそうにまた笑った。
「なあ。俺達、付き合わない?」
「……は?」
「結構いいと思うんだけど」
「悪いけど、無理」
「なんで?」
「そっちこそ、なんでそうなるの?」
「好きだからだけど?」
また適当なことを言う。そう思って横を見るが、隣に並んでいたはずの佐野がいない。振り返ると、佐野はぴたりと止まっていた。
そして、「そっか……俺、好きなんだ」とどこか自分に納得したように呟き、真翔を見る。
その顔が、なぜか嬉しそうに見えたのは気のせいか。
「俺、村瀬のことが好きみたい」
「……軽すぎない? いつもそんな感じなの?」
「軽くなければいい?」
「そういう話じゃなくて、無理でしょ。男同士なんて」
言って、胸にバケツいっぱいの氷が流し込まれたような気分になる。
違う。俺は、男なんて好きにならない。
「なのに、男としたことはあるんだ?」
「……それ、忘れてよ」
あの日の自分の迂闊さを今になって呪う。佐野はなにかを考えるように落としていた視線をすぐに真翔へと向けた。
「じゃあ、待つよ」
「はい?」
「俺が理由で振られたわけじゃないし、口説くのは自由でしょ」
「なんでそうなるの、そんなの困る……!」
決まり、と言わんばかりに歩き出す背中を追いかけたけれど、真翔がなにを言っても佐野はこの世の春でも見つけたのかと思うくらいに上機嫌で、「はいはい」と答えるだけだった。
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