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第5話
「お、今日も迎えが来たぞ」
昼休みに入って間もなく、小柳のパソコン画面を見ながら次の作業の指示をしている時だった。面白がっていることが隠しきれていない諏訪がわざわざ報告してくる。それだけでげんなりする真翔とは反対に、やって来た佐野は笑みを浮かべていた。
ここ最近、佐野は週四のペースで昼休み前になるとプロジェクトルームへやって来る。最初こそ、営業の佐野がやって来ることでもの珍しさから部署内の視線を集めていたが、それもほぼ毎日となれば日常の風景となってしまったらしい。いまだに特別イベントとして捉えているのは諏訪くらいのものだ。
「村瀬。昼行くぞ」
「だから、わざわざ来なくていいって言ってるのに……」
「こっちから迎えに行かないと、お前来ないだろ」
「今、手が離せないから」
と言ったところで、小柳への説明は終わっていた。
「小柳さん、なにか質問ある?」
「え? ええっと」
小柳は画面と佐野を見て、苦笑した。
「すみません、私からは特に……」
「そっか。分からないところがあったら、昼取った後でも聞いてね」
くだらないことに巻き込んだなと思い、罪滅ぼしも兼ねて小柳に声をかけ、真翔は席を立った。
会社から少し離れた小道にある定食屋に入るとテーブル席に通された。注文をしてひと息ついたところで、佐野が口を開く。
「あの子、村瀬のことが好きだろ」
「……あの子?」
「さっき、村瀬がつきっきりで説明してた子」
「はあ?」
言い方も気になるが、それよりもだ。
「小柳さんが? そんな訳ないだろ。ただの仕事仲間だよ」
「なんだ、気づいてなかったのか。言わなきゃよかったな」
「佐野の思考回路ってどうなってんの」
「いや、本当だって。それでさ、あの子に告白されたら、お前は付き合うだろ」
「そんなの、その時になってみないと分からないよ」
「どうかな」
「……そもそも、なんでそう言い切れるんだよ?」
「俺、人の好意には敏感だからさ」
「よく言う……」
言いかけて、真翔は言葉を呑み込んだ。
茶化すような声音とは裏腹に、寂しそうな顔をするから。どうしていいか分からなくなる。
佐野は不思議だ。急に距離を詰めてきて大胆だったりふてぶてしいかと思えば、ふいに一人で遠くに行ってしまう。
そういえば、バーで会ったあの日もこんな顔をしていた気がする。
昼休みを終えて席に戻ると、小柳が夕方のミーティング資料を持ってやって来た。
「報告する進捗率とバグ数なんですけど、村瀬さん担当画面のところの確認をお願いします」
まさかな、と思う。佐野に言われたからってそんな風に邪推するのは小柳にも失礼だ。
「あ、あの、村瀬さん……?」
「あ、ごめん。確認しておくよ」
「いえ……、よろしくお願いします」
受け取ったまま、資料に目を通して数値の確認をする。これはいわば報告作業で、時間をかける必要はないが、正確性は必要だ。
チェックをつけている傍らで内線が鳴る。部署内の数人が受話器に手を伸ばしたが、受けたのは真翔だった。
相手は、最近なにかと縁ができてしまった営業一課だった。
パソコンの故障にはいくつか種類がある。そのうちのひとつ、ハードディスクがやられてしまっていたので、寿命だったのだろう。
営業のフロアはプロジェクトルーム以上に電話が鳴り響いていて、絶えず人の声がする。
ひと通りの作業を終え、あとはファイルの読み込みだけとなってふと顔を上げると、棒グラフが書かれたホワイトボードが目に入った。人の名前が横に並び、その上に棒が凸凹に伸びている。その名前の群れの中に、佐野の名前を見つけた。
「うち、なかなか成績いいだろう?」
つい数値を見る癖が発動している真翔に、一人の営業部員に声をかけてきた。途端にホワイトボードの数値どころではなくなる。
気づけば、真翔は相手に向かって笑みを作っていた。都合の悪い時に笑う癖ができたのは、いつからだろう。
内ポケットに入れているノートを無意識に触れて、大丈夫、見たことのある人だと必死に落ち着こうと自分に言い聞かせた。その甲斐あってか、閃くみたいに名前が出てきてくれた。
「あ、東さん、お疲れ様です」
呼びかけると、相手は驚いたみたいに目を丸くして真翔を見る。その反応にしまった、と慌てる。
「あの、お名前間違っていましたか?」
「いやいや。よく覚えてるなぁと思って感心しただけだよ」
「え……」
そんなことを言われたのは初めてだった。
「村瀬、佐野と仲がいいだろ?」
「……そんなふうに見えますか?」
「ははっ。そう邪険にしてやるなよ」
東は再びホワイトボードに目をやった。
「あいつ、特に成績がいいんだよな。もともと研究職希望だったこともあって、製品に詳しいし」
「え、そうなんですか?」
「なんだ、知らなかったのか。それで先輩の俺を飛び越して社長賞まで取っちゃったんだから。まぁ、来年は俺が取るけどな」
「なんの話をしてるんですか」
東と共にホワイトボードの反対側を振り返ると、そこには笑顔の佐野が立っていた。
「驚かすなよ、佐野」
「すいません。楽しそうに話してるから、仲間に入れてもらおうと思って。あ、それと東さん。今日の製菓会社への同行、よろしくお願いします」
「げっ、忘れてた。同行者って佐野かよ」
「げってなんですか」
「お前、自分で契約取っちゃうだろ。頼むから俺の契約横取りしないでくれよ?」
「人聞きの悪い。そんなことしませんよ。ただ、品質の良さを説明している流れでいただけることが多いだけです」
真翔は二人の間でただ呆然とした。
佐野が、敬語で話している。
その姿を初めて見て驚いているのだと、自分で気づくまでに少し時間がかかった。そして、改めて営業なんだなと思う。頭では知っていたけれど、実際にそれを実感するのは別物だ。
そんな二人を見ていると、ふいに声をかけられた。
「パソコン大丈夫そうですか?」
声の主は営業部員で、真翔は自分がここに来た理由を思い出した。
「あ、ファイルの読み込みがもう少しでできるので、それが終わったらもう使えます」
ちょうどよく、読み込みを終えたパソコンが再起動に入っていて、そのまま営業部員に手渡してた。けれど、礼を言って受け取った彼の表情が次第に険しくなる。
「ない……システムに上げてたファイルがない……!」
「え……?」
すぐに真翔が代わり、コーディングの画面を開いてログを追跡すると、彼の言うファイル名はアップロードを失敗していた。
「システムのバグかもしれません」
「そんな……復元できないんですか?」
「システム側に保存できていないので、ご自身のパソコンのローカルにしか……」
「そのパソコンが壊れたんですよっ。バグってことは、つまり開発のミスってことですよね?」
頭を抱える彼に睨まれて、真翔は身をすくめる。その時――
「けど、パソコンの調子が悪いって言いながら放置してたお前に責任があるだろ」
振り返ると、騒ぎに気づいた佐野と東もいつの間にか真翔の後ろから画面を覗き込んでいた。
「悪い。こいつ、俺の後輩なんだ」
こそっと真翔に囁き、佐野は小さく拝んで見せる。
「そもそも、システム情報開発課からも総務からも点検に出せって通達来てたのに、無視したのはお前なんだからな」
「うっ……すいません」
「来週のコンペ用の資料だろ? あとで俺も手伝うから、作り直そう」
「はい……」
営業部員は真翔と佐野に頭を下げて、自席へと戻っていった。
それを確認して、真翔は詰めていた息を無意識に細く長く吐き出した。こういったことは初めてではない。だけど、いまだに嵐が過ぎ去るのを首を竦めて待つくらいしかできない自分が情けなくなる。
「佐野……さん。その、ありがとうございました。助かりました」
社内ということもあって、言葉遣いを改めたのだが、お気に召さなかったらしくしかめ面をされた。
そして、また耳元に佐野が囁いた。
「じゃあ、今晩付き合えよ」
さっきはなんともなかったのに、今度はなぜか背筋がぞくっとした。必死で隠したつもりだけど、そんな真翔の様子に気づいているのか、佐野は口元に笑みを浮かべていた。
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