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8.スラム街の闇医者と落ちてきた片翼の天使のお留守番①
とある世界のとあるスラム街での事である。闇取引や人身売買などが横行しているその街の、親のいない子供たちが集まるちょっとした空き地に、『天使』は空から降ってきた。美しいその天使は名を『エルメール』と言い、スラム街の子供達に助けられ、『ヤクモ・スガワラ』が営んでいる診療所に連れていかれ、成り行きでヤクモとセックスをし、そうして天界に帰るまでの間、ヤクモの助手として、ヤクモの診療所でこき使われることとなったのであった。
「エル、今日は俺ぁ、昼から中心街に出てくるぞ」
「中心街?」
「スラム街を抜けた先に、小ざっぱりした一般人共の街がある。備品が切れてきたんだよ。そっちで正規の医者やってる馴染みの爺さんがいるから、色々補充してくる」
「中心街……勿論僕も、連れて行ってくれるんですよね?」
「俺だけでも怪しまれてマークされてんだ。お前は今日は留守番」
「ええ……ヤクモ、でも僕は、」
ヤクモはいつもの白衣を脱いでは、更にいつもは前に伸ばしっぱなしの前髪をかきあげて整髪料で固めて、鏡の前でその鋭い視線を全開にしている。エルメールだって同じベッドで、ヤクモが眠っている間にその前髪を捲って見た事はあるが、やっぱり、なんというか、柄は悪いがこのヤクモ、案外端正な顔立ちをしている。そのヤクモが、闇医者で鬼畜なヤクモが『今ぁ俺の相手は、お前だけだ』と言ったのだ。エルメールは長い金髪をスカーフで一つにまとめた様相で、診療室のヤクモの椅子に座りこんではニヤつく。と、金色を横に流してそちらも丸出しの額にヤクモが、デコピンをかましてきた。
「なぁに、ニヤついてやがる、エル。俺が留守の時は、ぜってぇ診療所の扉、開けんじゃねーぞ」
「え? でも、子供達が来るかも知れないじゃないですか」
「ばか、ガキ共の声がしたって開けるな。売人共に脅されて言わされてるかも知れねぇだろ」
「ここらはヤクモの縄張り、だったんじゃないんですか?」
「街に出る時は別だ。俺がいつもと違うなりで出かけた日は、夜までここが留守だって、売人共も心得てやがる」
「……へえ」
「だから絶対に、お前、自分の身が可愛けりゃ、診療所の扉開けんじゃねえ」
「む、解かりましたよ。僕だって売りとばされたり、したくありませんから」
と、いうわけでヤクモは巻き煙草片手に、自身の診療室から中心街へ、エルメールを置いて出かけて行った。と、いっても何かあったら隣人の、ヤクモの幼馴染のセンジュだっているわけだし……いつもの子供達だってヤクモが出かけるのを心得ているはず。最早このスラム街に慣れ親しみ始めているエルメールは、(そうだ、ヤクモが帰るまでに、夕食でも作っておいてあげましょう)と、自覚はないが苦手な料理を、昼から時間をかけて作り始めたのだった。
***
「闇医者が出かけたよ、」
その言葉は風に乗って、スラム街で人身売買をしている売人たちの元に駆け巡った。それは美しい、少年らしいアルトボイスである。
「闇医者が、あの美しい金髪を置いて夜まで留守にするよ、」
誰からとも言わずその噂は、瞬く間に奴隷市場に駆け巡る。その噂をきいた売人の元には一片、真っ白な羽根がふわり、ひらりと舞って地べたに落ちたと言う。
「へえ、あの助手が、お留守番してるってか?」
下品な笑みを浮かべて、以前ヤクモの診療室で骨折の治療を受けた売人が、自身のボスにその噂を伝えに行った。
***
「爺さん、備品補充に来たぜ」
中心街に出て、その更に中心の噴水煌く大通り沿い。初老の医者が営む医院に、白衣を脱いだロック趣味の私服にかきあげた前髪姿のヤクモはやってきた。医者はヤクモを見ると『おう』と明るく手を上げて向かえ、さっさと医院裏の備品庫へ、馴染みのヤクモを連れて行った。
「最近ご無沙汰だったじゃないか、ヤクモ」
「ああ、ちょっとな、」
「スラム街の客足が悪いのか? お前もいい加減、知識はあるんだ。免許を取ってこっちの街で正規で働いたらどうだ」
「うるせえ爺だ。俺は俺の好きにやる」
「お前の親父さんも、それを望んでいると思うんだがね、」
「……親父のことは関係ないだろ」
ヤクモがラインナップしたメモを片手、ぽいぽいと麻袋に医療備品を詰め込みながら、まだ腰も曲がっていない医者は『ふん』と鼻を鳴らす。じとり、とヤクモの端正な顔立ちを眺める。
「関係なくはない。何せお前の親父は、この街の歴史に残る名医なんだからの。お前もその腕を継いでいるんだ、市民のために働くのが、天からの定めだろう」
「俺は神やら天やらは、信じない性質でな、爺さん。ほら、これが代金だ。道具が揃ったらさっさと寄越せよ」
近日天使を囲っているヤクモはそういって、売人から毟り取った金貨二枚を医者に寄越す。ヤクモの羽振りがいいのは、スラム街でも中心街でも同じ事なのだ。初老の医者はヤクモの態度はさておき、報酬には満足した様子で『ほっほ』と笑ってはヤクモを備品庫から出して『じゃあまた、』とヤクモを見送る。
「お前が考え改めた時は、いつだってワシも、死ぬ時ぐらいまでは待ってやるぞい」
「だから、うるせえってんだよ……じゃあな」
麻袋を抱えたヤクモが、次に向かったのは雑貨店である。小奇麗な女性達が喧しいそんな店に、ヤクモのような男性が来るのも珍しい。おまけに結構、ヤクモは女にモテるのだ。その佇まいが好みらしい女性達が、きゃいきゃいと噂話をしてヤクモをチラチラ眺めている。
(居心地、悪ぃな、)
ヤクモだって好きでそんな店に赴いたわけじゃあない。ただ、あの美しい天使が毎日髪を結っている、安物のスカーフの代わりを、と思い立っただけなのだ。絹のようにさらりとした金色の髪に、あんな安物じゃあ似合いもしないと言うものだ。それにきっと、小奇麗なスカーフの一つでも買ってやったら、あの天使は大はしゃぎする事に違いない。その様を想像しては自然と口元に笑みを浮かべて、ヤクモはじっくりと、雑貨店で柄にもなく、スカーフ一つを選びに選んだのであった。
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