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12.スラム街の闇医者と落ちてきた片翼の天使の同郷①

 人間界から遠い天界。エルメールと同じ大天使であり、エルメールの片翼をもいだ張本人である黒髪のニコラは、神の御許に跪いていた。 「神よ。僕はこれから、人間界の様子を伺いに行ってまいります」 「おお、ニコラ。そうか、それは仕事熱心なこと」 「勿体無いお言葉、」  スルリと面を上げると神と視線を合わせて、それから甘えるように玉座に座っている神の首元に絡み付く。大天使は神の部下だが、その中でもニコラは今、神からの寵愛をうけている特別な天使であるから。 「神、僕がいなくて寂しいからって、他の天使と浮気なんかしちゃ嫌ですよ?」 「ハハ、何を言っている。私には、お前だけだよニコラ」 「……本当に?」 「本当さ」  じっと無機質に色をなくした瞳で神を見つめて、それからやっとニコラは離れる。バサッとその美しい両翼をはためかせると神を後ろ目に『では、行ってまいります』と再び挨拶をして、天界からその姿を消した。神は、神は時間の概念の曖昧な天界での、先ほどまでのニコラとの情事を思う。本当に、嫉妬深くて可愛い私だけの天使。思ってその温もりを探しに、自身の寝床へと足を踏み入れると、ベッドの下にキラリと光る、神がずっと探していた、何故見つからなかったのか解からないその水晶を見つける。自分は全能だ。全能の自分が探しても見つからなかった水晶が、なぜニコラとの寝室に? 思うがそれよりも、さっさとそれを拾い上げる。 「これは……地上の、」  ニコラである。ニコラが神から水晶をかすめとって、神を操り自分の虜にさせて、地上から目を逸らさせていたのだ。 「ああ、私は何かを忘れている」  それはきっと神の愛した、心優しい片翼の天使のこと。 *** 「エル、中心街に出るぞ」 「また留守番ですか、ヤクモ?」 「いいや、今日はお前のことも連れてくから仕度しろ」 「えっ」  人間界。いわゆるスラム街に診療室を構える闇医者のヤクモ・スガワラは、ある日天界から落ちてきた片翼の天使エルメールを囲っている。と、言っても、表向きは新しい自分の医療助手として。本当は自分の性欲処理の相手として、エルメールに『お前みてーのがこの街を、うろついてたら売り飛ばされるぞ』と若干の脅しを入れて匿ってやっているのだ。先日診療所を留守にした際、エルメールは愚かにもヤクモの言いつけを破り診療室の鍵を開け、売人共に陵辱されては売り飛ばされる寸前に、隣人でヤクモの幼馴染のセンジュに救われたのであった。一晩眠るとエルメールは、何故か自分が陵辱されたことをスッポリ頭から抜かしていて、全く何事もなかったように機嫌よく日々を過ごしている。それが良い事なのか悪い事なのか、ヤクモには判断しかねる事象だが、とにかくまたこの世間知らずを一人にして、再び売人に襲いかかられたら溜まったものではない。だからヤクモは中心街で目立つ事を承知で、瞳を輝かせて喜んでいるエルメールをそこに、一緒に連れて行く事にしたのであった。 「ヤクモ、ヤクモッ、あの噴水美しいです!!」  ヤクモにプレゼントされたスカーフで纏めた金髪を、麻のキャスケット帽にしまったエルメールが、洋服を纏っていてもしなやかで美しい身体をはしゃがせて中心街の街を行く。子供のようにはしゃぐエルメールに内心苛々しながらも、ここ最近はずっとあの、小汚いスラム街に篭りっぱなしだったのだ。無理もない。と、ヤクモはかきあげて固めた前髪を気にし、巻き煙草をぷかぷか浮かせる。しかし、それにしても普段から一人であるいていても目立つヤクモだ。連れがあんなに美しくては、いつもよりも人目を感じで居心地が悪い。おまけにどうやら、何者かに付けられている様子である。『チッ』と小さく舌打ちをして、ヤクモはエルメールの腕を引っ張る。 「エル、馴染みの爺さんの病院はすぐそこだ。入るぞ」 「ええ? もう少し風景を眺めてからでも……」 「うるせぇ、お前目立ってんだよ。あんまり騒ぎ立てるとまた留守番させるぞ」 「僕、目立っていますか? ふふん、やはり僕の天使たる気品、髪を隠していても滲みでるもので……んむ、」 「うるせえっつってんだろ」  ヤクモに言われて鼻をつままれて、エルメールはやっとの事でお喋りを止めてヤクモと一緒に、ヤクモ馴染みの病院へと入って行った。 ***  病院に入って裏手に案内されると、ヤクモは馴染みの初老の医者にエルメールを押し付けて、『ちょっとここで待ってろ』と簡素な椅子にエルメールを座らせ自分だけまた街へ出た。エルメールは終始『???』と疑問符を浮かべっぱなしだったが、あの医者ならば安全だ。二人を付けている人間の、正体を突き止めてからではないと落ち着いて買い物もできやしない。思って怪しい気配のする方、医者の横の路地を覗きこんだ先に『それ』はいた。 「こんにちは、ヤクモ先生」 「ああ? 俺を知ってるのかガキ。見ねぇ顔だな、スラム街出身って訳でもなさそうだ」  少年らしいアルトボイスでヤクモを『先生』と呼んだのはそう、天界から降りてきた、神の寵愛をエルメールから奪い取った天使のニコラである。小奇麗な人間らしい衣服を身に纏い、今は羽根を仕舞っているから、ヤクモがそれが天使だと気がつく事はない。 「先生、エルメールの奴に取り入られているんでしょう」 「はあ?」  一歩、二歩とヤクモに近づくニコラに、ヤクモも一歩だけ後ずさる。が、次の瞬間にはガバっと細く幼いニコラに抱き付かれて、その思いきりに息を飲む。ここらにはない花畑の様な、独得の匂いがふんわりと香る。 「あんなやつ止めときなよ。あいつはただの馬鹿天使さ、そんなに天使がお好みなら……僕なんかどう?」 「天……、お前、エルの知り合いか」 「いわゆる同郷ってやつだよ。解かるだろ、見る? 僕の美しい両翼」  そこまで言うとニコラは身体を離して、にこっと怪しく微笑んではその純白の両翼を、表通りの路地裏で晒して見せた。それはとても、人間であるヤクモからしたら吐き気がするほど美しく、尊い物にも見えたがしかし、 「……きな臭ぇ」 「え?」 「お前、天使だって事は、エルの片翼に関与してんだろ。お前がエルになんかしたのか? それでエルは、いつまでも天界とやらに戻れなくなって、」 「顔に似合わずお喋りだねぇ、先生」  苦虫を噛み潰したようなヤクモの歪んだ表情に、ニコラはケタケタと笑って羽根を仕舞う。それからヤクモに自身の秘密を暴露しようとしたところで、ふっともう一人の天使が、ヤクモの言いつけを破って医院から出てきて、ヤクモと、懐かしい声のする路地裏をひょいっと覗きこんできた。 「ヤクモ、こっちにいるんですか? 僕、待ちくたびれて……」 「エル、」 「おや……そこにいるのは、ニコラ? ニコラじゃないですか、君も何故、人間界に?」  呑気なエルメールは、天使仲間で弟のように思っている黒髪のニコラが、自身にした所業をスッポリと忘れている様子である。売人共からの陵辱同様、エルメールの頭は、辛い記憶は消えてしまうように出来ている。それこそエルメールの、心の美しさ、純粋さ、神からの本当の寵愛の由来であるのだ。ニコラはエルメールの呑気な様子にぎり、と唇を噛んで、しかしそれから何とかもって笑って見せる。 「やあ、エルメール。お前も人間界で、なかなか良い男を捕まえたじゃないか」 「良い男? ヤクモの事ですか? ニコラ、その男はまあまあに鬼畜な人間ですよ、君も気を付けないと、」 「良い男だからエルメール、君の片翼と、神と同じだ。この人間も、この僕にチョーダイ???」 「えっっ」 「っっ!!?」  エルメールの方を振り返っていたヤクモの顎をグイっと掴んで振り向かせて、ニコラはその妖艶を滅法に使っては、ヤクモの唇に口付けを送る。普通の人間ならば、これでニコラの思い通りなのだ。ニコラの口付けには、天使の口付けにはそう言う効果がある。ヤクモの目はふっと一瞬ほそまって意識を遠のきかけて、しかし『ヤクモ!?』というエルメールの声にハッと気がつくと、思いっきりにニコラのことを突き飛ばした。ニコラの細い体が石の壁に叩きつけられて『くっ』とニコラは声をあげる。 「いきなり何しやがる、このクソガキ!」 「あっれぇ……ハハ、ヤクモ先生ってば、」 「ヤクモっっ! 大丈夫ですか!? ニコラに魂を縛られていませんか!!?」  ふらついて口元を拭うヤクモの元にエルメールが近づいて、その肩に寄り添っては心配げにヤクモの目を見る。が、ヤクモの目はいつも通り鋭く釣りあがっており、エルメールにも『ああ?』と柄の悪い返事をするからエルメールはホッとする。天使の口付け。それは人間を縛るものなのだ。思いだしては自分の今までの所業にはっとして、それからその美しい目元を潤ませて、ぎゅう、とヤクモに抱きついて見せる。 「そう、そうでした……ヤクモ、僕はあなたに口付けを、それも何度も。それでヤクモは僕を、」 「何言ってやがる、エル。キスがどうかしたのか」 「天使の口付けは、人間を思い通りに縛ることができるのです。ヤクモ、あなたの優しさはだからきっと」  優しく激しいセックスも、プレゼントされたスカーフも、きっと、天使の口付けに惑わされた仮初の。そう言いかけたエルメールの帽子をくしゃっと撫でて、ヤクモは平然と言葉を返す。 「はあ? 馬鹿かお前。今だって見ただろ、その、ニコラとやらにキスされて、俺があいつの思い通りになったか?」 「……」 「……」 「あれ? そうですね??? あれ、ヤクモ、大丈夫なんですか?」 「この俺が、あんなクソガキのキスで酔っ払うとでも思ったのか、エル」  寄り添ってイチャついている二人にニコラはぶわぁっと邪悪なオーラを放って、その路地裏に突風を起こす。それには人間のヤクモだ。吹っ飛ばされかけては帽子を飛ばしてその金髪を晒したエルメールに身体を支えられ、ぎょっとして怒っているらしいニコラの方を見やった。 「そう、そうか、ヤクモ・スガワラ……。お前はあの、聖人スガワラの息子じゃないか、」 「エル、あのガキは何を言ってるんだ」 「……ヤクモ、そうか。どうして気がつかなかったんでしょう、あなたはあの、人間界の聖人の息子……だから僕は、あなたを、」 「エル?」  二人の天使が、天使の良いようにならないヤクモの名前を復唱してやっと気がつく。ヤクモは、柄は悪いが人間界の、聖人たる名医の息子であるのだ。亡くなった彼の父親は、天界でも有名な『聖人』の一人であったのだ。エルメールはそっと目を伏せて、その瞳に涙を浮かべる。だから僕は、あなたを拒めなかった。エルメールが、他の人間と違ってヤクモを拒まないのにはそれ相応の理由があった。いつしか二人の間に純粋な愛があるように思っていたエルメールだから、その事実は何だか物悲しいものであった。次の瞬間、人間界の空気を劈くような、ヒステリックなニコラの声が大きく響き渡る。 「だからって!! この僕の、神をも操るこの僕の思い通りにいかないなんて、許さないよ!!!」  ドンッッ!! 音がする。ヤクモ馴染みの医院の隣の、雑貨屋の壁の一部が剥がれてエルメールと、ヤクモの上に降り注ぐ。ヤクモはニコラの怒りにそれ所ではなく、降り注ぐ壁に気が付かなかったから、先に気がついたエルメールがヤクモをがばっと地面に押し倒し、片翼でもまだ美しい純白のそれを拡げては、彼に残った唯一のそれで、ヤクモの身体を覆ってヤクモを庇った。 「うっ!?」 「っっ、エル!!」  美しい、天使の赤い血が、ヤクモの驚いた表情に飛び散った。

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