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知っていた男 1
東城には詳しく言わなかったが、宮田は、広瀬のことをずいぶん前からよく知っていた。
あるとき、広瀬と同じ研修になったことがあったのだ。座学が大半で、話は難しく、教官は厳しかった。気難しい教官は、ターゲットを決めると集中的に質問をしてくるのだ。たいていのターゲットは最後には参ってしまい、大の男が泣き出したりすることもあった。終わったらすぐにトイレにかけこんで吐いているのをみたこともあった。
ことなかれ主義の宮田はできるだけ目立たないようにして、その研修をやりすごそうと思っていたのだ。
だが、最終日に不運なことに、自分もターゲットの1人にされてしまったのだ。
3人ほどが立たされ、矢継ぎ早に出される質問と回答できないことへの叱責をあびせられた。次は自分の番だとわかっているので、吐き気がしてくる。
そして、教官が自分の方をむいてきた。ああ、いやだなあ、と思った瞬間、後ろ方で、バターンという何かが倒れる大きな音がしたのだ。室内は騒然とし、みんなが一斉に後ろをみた。人が倒れたのかと思い、宮田も後ろを向く。
「広瀬!」と教官が大声で注意していた。
机がひっくり返っていて、誰かが頭をおさえて座り込んでいた。その机の後ろに立っていたのが広瀬だった。
そのときの広瀬を宮田は忘れることができない。
おそろしい教官の研修中にも関わらず、彼は、机を倒し、さらに、座り込んでいた男を蹴り上げようとしていたのだ。その顔は美しく、しかも、無表情だった。
その後は大混乱だった。
広瀬の横にいた男が、広瀬が蹴らないように必死で止めていた。
教官が走り、広瀬にどなりつけている。蹴られそうになっていた男は、助け起こされながら何かを広瀬にわめいている。
さらに、広瀬の近くにいた女性が立ち上がり、「広瀬くんは悪くないです」と言いだした。
どうやら、倒された男は研修の初日から態度が悪く、小学生のような嫌がらせを広瀬にしていたらしいのだ。研修室内だけでなく、食事のときや早朝の点呼後のときもだ。今日も、研修中に広瀬にちょっかいをかけ、広瀬が無視していると、彼の腕をつかもうとしたらしい。
その場で広瀬だけは無言だった。
彼は、教官がどなろうと、倒された男がわめこうと、女性たちがなにを言おうと、ただ立っているだけだった。
彼は背筋を伸ばし堂々としていた。
広瀬の顔は、宮田が今までの人生で見たことがないほど整っていて冷淡だった。
騒ぎの中で、宮田はこっそり座った。そしてその日は教官は誰かをターゲットにするのはやめて、たんたんと研修を終えたのだった。
宮田は、叱責されても全く動じていない広瀬を、かっこいい奴だなと思った。それに、本人は自覚していないだろうが、間接的には宮田をピンチから助けてくれたのだ。
その日から、宮田は広瀬の噂話を集めた。フリークのように広瀬を追った。彼が北池署にいることはすぐにわかった。交番勤務だったときには近所の女子高校生が目をつけて大勢集まり、追い払うのが大変だったらしいことを知った。
広瀬は、美形なだけでなく物腰が丁寧で口調も穏やかなせいだろう、女子高生だけでなく全般的に女性たちに人気だった。
女性たちにキャーキャー言われるせいなのか、弱そうに見えるせいなのか、嫌がらせをされることが多く、今回の研修のようにからまれて喧嘩になることも少なくないようだった。
実際に広瀬と話をするまでは、宮田は広瀬のことを、氷の美貌の外見どおり冷淡で、感情がほぼないやや壊れたところがあるサイボーグのような人間だと思っていた。偉い教官だろうが、上司だろうが、誰にでも等しく逆らうべきときには逆らうのは格好よく、ある種のヒーロー的な存在だとも思っていた。
正直、要注意人物だよ、と北池署の知り合いは広瀬を評していた。辞めさせられないのが不思議なくらいだったらしい。
辞めさせられない理由があるみたいだ、と教えてくれる人もいた。具体的な理由がなにかは今もってわからないままだが、広瀬には秘密がありそうだった。
噂話を集めれば集めるほど話題にはことかかない人物だった。
別な研修などで広瀬をみつけると、話しかけたいなと思っていた。
だが、広瀬はいつも1人でおり、他を寄せ付けなかった。
遠目で見ていると、話しかけられても、相手が男であれ女であれ、悪意があろうがなかろうが、ほとんど返事を返さないようだった。はっきり相手を無視することも多かった。宮田は話しかけたくても話しかけられなかった。無視されるのが怖いのではなく、彼の世界を邪魔したくなかったからだった。
だから、広瀬が大井戸署に異動で現れたときには、宮田は驚くとともにうれしくなった。
大井戸署にあらわれた彼は、相変わらずの無愛想で無表情だった。
だが、同僚の宮田が話しかけると、それなりに答えることもあった。仕事熱心だったり笑顔がきれいだったりと、想像していたのとはだいぶ違っていることもわかってきた。
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