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知っていた男 11

翌日、ガチャガチャいう音に目を覚ました。広瀬の熊の胆もどきが効果を発揮したのか、頭痛と吐き気はすっかりおさまっていた。 キッチンを見ると、小さなテーブルで広瀬が1人で朝ごはんを食べていた。ご飯を大盛りにして、味噌汁、茹で野菜が大量に並んでいる。とにかく、量があればいいやという感じの食事だ。 アパートには東城はいなさそうだった。 宮田は起き上がった。 「おはよう」と声をかけると広瀬は宮田の方をむいてうなずいた。 「東城さんは?」と聞いた。 「夕べ帰ったよ」と広瀬は当たり前のように答えた。彼の目は涼しげで昨夜宮田が寝ている間に東城と何かしていたとしてもその余韻は残してはいなかった。 「顔洗ってきたら?タオルは棚にある」と広瀬は洗面があるほうを手で示した。「シャワー浴びてもいいよ。時間あるし」 宮田は言われるままに洗面所に向かった。 顔を洗って戻ってくると、「食べる?」と聞かれた。 「味噌汁だけ」というとすぐにお椀によそって出される。そして、パソコン机の前から椅子をひっぱってきて、広瀬の正面においてくれた。 「いただきます」と宮田は言って味噌汁を食べた。 身体があったまる。濃い目の塩分が心地よく飲みすぎの身体にしみた。 広瀬は、茹で野菜を何もつけずにひたすら食べていた。その様子をみながら宮田は質問した。できるだけ何気ない口調になるようにつとめて。 「東城さん、本庁に異動するってホント?」 広瀬は上目遣いに宮田をみるとうなずいた。 「知ってたのか?」 また、広瀬はうなずく。 「いつから?」 「二週間くらい前」と広瀬は言った。「正式には昨日」 「どうして戻るか知ってるのか?」 秋本は東城の親のコネといっていたがそれはありえないだろう。減点主義の組織の中で、彼が本庁に戻るということは万に一つもおこりえないことのはずだ。 広瀬はまたうなずいた。「左遷されてた前のボスが、政治的な理由でもどってきたんだって」 「それで、そのボスに呼ばれたのか?」と宮田は独り言のように言った。そして、ふと思い出した。「もしかして、何週間か前に東城さんと一緒にいた男がいたよな。広瀬、覚えてるか?車に二人でいた。あの男がそのボス?」同年輩の男に見えた。若く見えるキャリアなのかもしれない。東城が顔をこわばらせていたのを思い出した。 広瀬は首を横に振った。「あの人は、本庁で同僚だった人」と答えてくれた。「ボスが戻ってくるってことを知らせにきたんだって」 「ああ」宮田はうなずいた。 東城は、あの時の謎の男の話も異動の話も広瀬にはきちんと話していた。それは東城の広瀬への真剣さを意味しているのだろうか。 広瀬はご飯を食べ終わると立ち上がり宮田に背をむけてさっさと皿を洗い出した。見慣れないスウェット姿のせいだろうか、いつもより肩が細く感じた。 宮田は、ここのところずっと言わないほうがいいとはわかっているが言わずにはいられなかったことを告げた。 「広瀬」と宮田は彼の背中に話しかけた。「あのさあ、広瀬、東城さんと付き合ってるんだろ。その、なんていうか、恋愛関係って言ってもいい感じ?」 広瀬は返事をしないのはいつものことだ。後姿は微動だにしない。 「昨日の夜注意されたのに、こんなこと言うのもなんなんだけどさ、俺、広瀬が、このまま東城さんと付き合ってたら、まずいことになると思う。この組織の中でそういう相手がいるのはまずいよ。俺がわかるくらいだろ。他の誰かに、例えば秋本みたいに下衆な奴に、二人のこと知られたら、東城さんも広瀬も、今のままじゃいられなくなるよ。広瀬、自分が思っている以上に有名人なんだよ。ただでさえ、いろいろいう奴が多い。東城さんだって、同じだ。まあ、東城さんのことはどうでもいいけど」と宮田は言った。 広瀬は無反応だった。 宮田は本当に言いたかったことを言う。「俺がやめたほうがいいと思う理由はこれ以外にもあるよ。東城さん、悪い人じゃないけど、恋愛を軽くみてるんだよ。相手がどれほど自分のこと想っているのかを本当には理解できないんだと思う。いつも、自分が相手を好きで口説いて遊んで、かっこいいとこだけみせて、飽きたらおしまいになるんだ。恋愛相手と人間関係を深くしようって想像もしてないんだと思う。だから、最終的には、広瀬が傷つくことになるよ。おせっかいだと思うけど、東城さんが異動して行っちゃうんんだったらこれを機に、もう会わないようにしたほうがいい」 広瀬は、話を聞いているのだろうか、ただ、手を動かし皿を洗っていた。そして、一通り洗い終えると彼はふりかえった。 「広瀬、俺が言ってもほんとうにまずいってことわかんないかもしれないけど、東城さんはまずい相手だよ」と宮田は言った。広瀬がこのまま傷つくのはみたくなかった。 宮田が何を言ってもそのまま黙っているだろうと思っていた。 ところが、広瀬は口をひらいた。 「でも、もう元には戻れないから」 広瀬は、それ以上は何も言わず、あと10分したら出るから支度したほうがいいよ、と宮田に告げた。 広瀬は、東城との関係をやめることはできないのだろう。どの程度それがまずいことなのかをわかっているのかいないのか、そもそも深く考えたのかどうか。 無鉄砲の言葉の意味を考えた。前後の事を考えずにやみくもにつっこむことなのか、何もかもわかってそれでも無茶なことをやるのかどちらだろう。どちらでも結果は同じだけど、と思った。

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