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晴れの夜、雨の夜 9
数部屋はなれた個室で、飲んでいるらしい。
市川はノックをして、ふすまをあけた。佳代ちゃんが明るい声であいさつすると、手前にいた大柄な男がこちらをむく。
男ばかりが十数人で飲んでいる。
広い座敷で、机の上に並んでいる酒瓶の数がはんぱではない。既に相当飲んでいるようだった。
東城は、一番奥で、迎えに座っている男と熱心に話をしているのが広瀬には見えた。
見慣れた彼の横顔。気づかないのか、こちらをむかなかった。
あんなに思っていたのに、本人をみると、不思議となんともおもわなかった。ドキッともしない。遠い存在だ。
広瀬はほっとした。
「佳代ちゃんじゃないか」真ん中のあたりの男がこちらに気づく。佳代ちゃんは有名なのだ。
「この店来てたのか」
「はい、あっちで同期会してるんですけど、ここに来たらおごってくれるってきいて」と佳代ちゃんがにこやかにいう。
「ああ、どうぞどうぞ」うれしそうに手前の男が佳代ちゃんたちを招きいれる。「同期みんなかわいいなあ、うらやましい」とおっさんぽいことをいう。
広瀬は、佳代ちゃんが中にはいったので、もう、戻ろうと思った。東城に顔をあわせたくはなかった。
ところが、手前の男が広瀬に言う。「大井戸署の美人もきてんのか。なんでそんな坊主頭なんだ?罰ゲーム?」と男に言われた。
「よくご存知ですね。交番のアイドル、広瀬君でーす」と佳代ちゃんがいう。
その声が聞こえたのだろう、東城が会話をやめてこちらを向いた。
広瀬には彼の驚愕がはっきりとわかった。だいたい、驚いたり、怒ったり、本当に感情がゆれるほど、東城はそれを隠すために、無表情になるのだ。
「広瀬?」東城は声をだした。彼を見て、そのまま視線をはずさない。
そこではじめて、広瀬の心の中がざわついた。彼の視線が、自分を捕らえ、その低い声で呼ばれる。どれほど、会いたかったか、こんなことで自覚させられる。
「広瀬君、あの人、東城さんでしょ?」佳代ちゃんがいう。
紹介しなくても佳代ちゃんにはすぐにわかったのだ。
広瀬はうなずいた。そうだ、佳代ちゃんたちを東城に紹介しにきたんだった、と広瀬は思い出した。
平静をたもつよう努め、「お久しぶりです」と礼儀正しく頭を下げて、東城にあいさつした。
そして、東城に同期です、といって佳代ちゃんやさおりちゃんたち女の子を紹介する。彼女たちは、座敷にあがり、東城の近くに座った。東城は突然現れた好奇心もあらわな女の子たちにたじろいでいる。が、根が社交的なため、無視することもなく、適当に質問にこたえたり、手近なビールを手に取り、グラスを渡してついでやったりしはじめる。
その間も、時々広瀬に視線を向ける。なぜ、彼がここにいるのか、未だに理解できないようだ。
広瀬は、入り口付近で彼のことを「大井戸署の美人」と呼んだ男に、市川と一緒につかまって、焼酎をすすめられる。
相当飲んでいるらしく、とにかく飲めとうるさい。どこかのタイミングで戻ろうと思っていたが、なかなか難しい。
そして、飲んでいる間に、広瀬のほかの同期たちも、いつのまにかこの部屋にやってくる。広めの部屋だが、かなり人口密度があがってきた。ビールや焼酎などアルコールと、食べ物がどんどん運ばれてくる。結構な大宴会だ。
佳代ちゃんたちが東城とその周り数人とわいわい話す声がときどき聞こえてくる。
「じゃあ、銀座の不動産王の愛人の子供じゃないんですか」と率直に聞いている人がいる。
「違うよ。誰だよ、そんなこと言ってるのは」東城は苦笑している。この手の話には慣れているのだろう。かるくいなしている。
東城の向かい側に座っている男はかなり東城と親しいらしく、いろいろとちゃちゃを入れている。
「こいつ、家は金持ちだけど、本人はいつも金欠だから、期待しないほうがいいぜ」
東城もそれは否定しない。
「佳代ちゃん、今度、合コンしようよ」と男が積極的に誘う。「かわいい子いっぱいいるじゃないか、なあ、東城」
「えー。でも、東城さん、彼女いるんじゃないんですか。女の子切らしたことないってもっぱらの噂ですよ」佳代ちゃんが聞く。
「残念ながらそんなことはないよ」と東城はにこやかに答えている。
「警察の子とは付き合わないとも聞きましたよ」
東城は答えなかった。代わりに、向かいに座る男が答えている。
「こいつこの前別れたばっかだから。珍しく長く続いてる女がいると思ってたら、一ヶ月くらい前に、どうせこいつがろくでもないことしたんだろうが、別れちゃったんだよ。彼女にひどく殴られてたな。で、それ以来、ずっと暗いんだ、こいつ。こっちまで暗くなるくらい。だから、誰かかわいい子たちと合コンするとか」
「殴られてねえよ」と東城は男に答えていた。
「いや、殴られてただろ。顔、はれてたじゃないか。口の端も切れてたし」
「あれは、ぶつけたんだ」
「ぶつけた?顔だけを?んなわけあるかよ。だいたい、よくみたら手のあとついてたじゃないか。結構でかい手の女だよな」
「うるせえよ」東城は低い声を出す。「個人情報だろ」
「そうだけど、お前ここんとこ、ほんとずっと暗くて、考え事ばっかだろ。ぱっと、遊ぶか、その、お前を殴った威勢のいい女に土下座でもなんでもしてよりをもどせよ」
東城がなんとこたえたのか、広瀬には聞こえなかった。
しばらく飲み会が続いたあとで、東城の仲間の一人が立ち上がり、広瀬のグループにいった。「おい、そっちの幹事は?」
市川が、自分ですという。どうやら東城の方の幹事だったらしい。そろそろしめるぞ、といって、てきぱきと会計の話をしはじめる。佳代ちゃんたちは二次会にいきたい、といっているようだった。誰かが、近所のカラオケを予約し、人数を数えている。
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