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晴れの夜、雨の夜 11
ホテルにつくと、東城はタクシーにチップをはずんでいた。そして、広瀬をつれて、最上階にあるホテルのバーにいく。
この手のホテルのどこにどんな店があるのか、ほぼ頭に入っているようだ。
バーでは、案内係に東城が何かをいい、隅の方の、狭い場所に通された。周囲からは見えない席だ。大きな窓がある。晴れた日なら楽しめるはずの夜景が今日は雨で全く見えない。
ソファーに腰掛けると、身体が深く沈む。東城は隣のソファーに座る。距離が近い。彼は、広瀬がいつものむウィスキーの水割りを2つを頼んだ。
こんなに暗い東城は確かに珍しい、と広瀬は思った。いつもなら、軽口の一つや二つ言っているだろうに、何も言わなかった。
ウィスキーが来て、口に入れた後、「どうかしてた」と東城はやっと言った。「悪かったよ、ほんとうに」またあやまられる。
「なんで、今頃になって」と広瀬は言った。もっと前に、言えただろうに。
東城は、額に手をやる。
「君塚から、話をされて、すぐに、お前にあやまろうって思ったんだが、できなくなったんだ」
「仕事で、忙しかったんですか」よくあるいいわけだ。それならそれでいい、と広瀬は思った。今日、ここでその話を聞き、全て終わりだ。
「いや、仕事は、一段落してた。まあ、忙しくはあっけど、最初の頃ほどじゃなくって」と東城は言った。「でも、電話しようとしたんだが、なんていったらいいのか、わからなくなって」
東城は、うつむいたままだ。「あの時の、お前を思い出したら、怖くなったんだ。お前になんといえばいいのか、ほんとうにわからなくて」という。「勇気がどうしてもだせなかった」
「勇気って、俺が、東城さんになにするっていうんですか」せいぜい、もう一回なぐることくらいしか、広瀬にはできない。
「お前が、俺に?」東城は首を振る。「そうじゃない。俺が、だよ、広瀬」彼は、言った。「俺、お前を殺してしまったかもしれない」
あの時の殺意を、広瀬は思い出す。
「俺は、お前を殺したいと思ったんだ。俺のものにならないんなら、殺してでも、って。俺は、自分を抑えられない。ずっと前からだ。お前にだけは、なんでかわからないんだが、感情を抑えられないんだ。初めて会ったときから、理由はわからない。他の誰がなにをしても、こんな思いになることは無い」
東城の言葉は、広瀬にそそがれる。
「それに、お前が何考えてるのか、俺にはわからない。それも、結構、いらつくし、つらい。お前、自分のこと話してくれないしな。だから、また、同じようなことになったら、俺は、今度は、お前を殺すかもしれない。あのとき、お前の身体を噛み切って、俺の中に全部いれてしまいたかった。お前を他の誰にもみせないで、俺だけのものにしたいって。そういう犯罪者いるけど、わかる気がしたよ。かなりいかれてるんだ、俺は」
東城は顔をあげていう。
「俺、すごく、お前のこと好きなんだ、広瀬。30近くになるのに、初めて誰かを好きになった中学生みたいで、自分をコントロールできない。お前のアパートに行った最初の頃は、お前が俺のことをちょっと相手してくれればいい程度に思ってたんだ。だけど、だんだん、お前も俺のことを俺と同じくらい好きでいてくれないと耐えられなくなってくる」
「東城さん、俺は」広瀬はこたえようとした。「好きだって言ってほしいんですか?」
「そうじゃない。広瀬、好きって言われても、俺は確信がもてない。今は好きだろうけど、次の瞬間はわからない。明日は、明後日は、その先は。お前がどうなのかがわからないのは、すごく辛いんだ。ずっと、一緒にいると、それは少なくなるんだけど、ちょっとでも離れると、もうだめだ。前みたいに、俺は、自分を抑えられなくなる。いつか、お前を失ったらと思うと、どうしたらいいかわからなくなる。君塚なんて俺にとっては最悪だ。あいつ俺よりよっぽど誠実でいい男だし、お前を傷つけたりは絶対しない。ああいう奴がお前の前に現れて奪われてしまったら、俺、お前とその相手を殺すかもしれない」東城の声は低い。「そんなことばっか考えてたら、お前に連絡する勇気がでなくなった。このまま別れてしまったら、俺は、お前を傷つけない。こんなのは言い訳でずるいってわかってたんだが」
彼は、なのに、と言った。「今日、お前があんなふうに俺の前に来るなんてな」東城は、口の端をあげた。「どれほど、俺が驚いたか、わかんないだろうけど」と言った。どれほど、お前の姿をみて、うれしかったのかも。と続ける。「ずっと、会いたいって思ってたんだ。俺は、自己中心的でわがままだからな。ただ、怖くて会わなかったら全部終わるとおもってた。そんなこと望んでもいないのに。だから、あんなふうにお前から来るなんて、思いもよらなかった」まあ、実際は、お前は誰かにいわれてしぶしぶだったんだろうけど、と東城は言った。
そしてこわばった表情で自嘲した。「で、さすがに、あやまろうと思ったわけだ。あのまま、あの店で、何も言わずにお前と別れたら、俺、帰って、今度は自分をどうしたかわからない」
広瀬は、手を伸ばし、そっと、東城の腕にふれた。何をいったらいいのか、広瀬にはわからなかった。だいたい、口はうまいほうではない。
腕から、首に、手をすべらせ、東城の髪に触れた。東城は、彼の手をとり自分の頬につけた。そして、唇を手の甲に落とした。
広瀬の手の感触を確かめながら、「ごめんな」と東城は言った。
「あなたになら、殺されてもいいですよ」と広瀬は言った。
東城は、少し表情をやわらげた。そして、広瀬の手に口づけを繰り返し、何度もすまない、と言っていた。こんなことにつき合わせて、と。
ウィスキーを飲み干した後で、東城は聞いてきた。「泊まるか?それとも、帰る?」
広瀬は、腕時計をみた。もう12時を回っている。「泊まります」と答えた。
東城は、広瀬に、ちょっと待ってろといい、少しだけ席をはずした。
窓の外の雨は少し小降りになっている。街のビルの光がぼんやりとみえるくらいには。スマホを見ると、佳代ちゃんからまたメールが入っていた。
「今日は終わっちゃったよ。また、飲みに行こうね。今度は東城さんも一緒にぜひとお伝えして」ハートマークもついているメールだった。
最後の一文は、ちょっと不気味だった。佳代ちゃんは、なんで広瀬と東城が一緒にいると知っていたんだろうか。
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