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第32話

「今ので二十回目……、おかしいな、この間ボクが通ったときはこんなに襲われなかったのに……」 「……」  独り言のようにぽつぽつと呟くルピナスの声を聞きながら、セイランは改めて周囲の安全を確かめる。今の魔物は単体だったようで、周囲には魔物の気配は感じない。しかし、油断は出来ない状況だった。ルピナスの言う通り、エンジェルリーパーに入って魔物に襲われたのはこれで二十回目。倒した数としては四十体目の魔物だった。  森に入って間もなく、三体の魔物に囲まれ、以降不定期に次々と魔物が襲い掛かって来ていた。まだなんとかセイラン一人で捌けるような相手ではあるが、明らかにこちらに気づく魔物の数が多い。運が良いのか、魔法の毒沼や罠といった類のものには今のところ遭遇していないが、その分魔物が多かった。まるでこちらの場所が分かっているような、そんな錯覚すら抱くほどに。 「ともかく、早く森を抜けよう。何か異常が起こってるのかもしれないし……」 「セイランは平気? 休憩しなくていいの?」 「大丈夫、まだ動けるよ」  ルピナスに笑顔を向ける裏で、セイランは一人不安に駆られる心を必死で抑え込んでいた。体は辛いが、休憩なんてしていられない。それでルピナスとミハネを危険に晒してしまうかもしれないから。自分しか戦えないのだから、自分がしっかり立たなければ。セイランは二人を連れだって、先頭を進む。今の自分の表情を見られたくなかったから。 「あ、セイラン。また道逸れてるかも、もう少し西かな」 「え、そうか? あれ、今の現在地、は」  少し歩いた先で後ろからルピナスに指摘され、セイランは一旦立ち止まり振り返る。ルピナスは自分でも迷わないように方角を確認しているようで、こうして時折セイランに方角を伝えてきた。セイランとしては真っ直ぐ進んでいるつもりなのだが、気づかない内に逸れているらしい。ルピナスの方角と整合させるため地図を出し、それを広げる。 「っ、セイランッ、後ろ!」 「!」  ルピナスの声に反応して、咄嗟に目の前に二人を突き飛ばし自分ごと前に飛ぶ。寸でのところで躱せたようで、セイランは素早く地面を転がって仰向けになり、飛び起きながら大剣に手をかける。大剣を引き抜きながら、セイランは不意打ちをしてきた魔物の姿を確認する。 「こいつ、は……、」  その魔物は、実体を持たないゴースト系の魔物だった。それが、三体、いや、それ以上はいる。セイランはギリと歯を食いしばる。まずいなと、言う余裕もなかった。 「せ、セイランくん、この魔物は……、あ、セイランくん!」  ミハネの制止も聞かず、セイランは大剣を構え、魔物に向かって行く。魔物はセイランに向けて火球をいくつも飛ばし牽制するが、セイランはそれらをすべて大剣で受け止め、微かに髪の先を焦がしながら、最も近くにいた魔物に向かって剣を振りかざす。  しかし、その剣は切り裂いたの空気のみ。その場にいた魔物は耳障りな甲高い声を上げ、完全にセイランをターゲットにし、鋭いカッターのような風をセイランのいる場所に巻き起こす。セイランは咄嗟に飛び退くことでそれを回避し、次いで飛んでくる火球に合わせてバックステップを踏む。あの奇妙な鳴き声により、魔物はすべてセイランを標的にしている。それを分かっていてセイランは、ルピナスとミハネから距離を取るようにして魔法を躱す。 「セイラン! その魔物は剣は効かない! 逃げよう!」 「……知ってるよ。あんた、方角分かってるんだろう? ミハネさんを連れて、先に逃げて欲しい」 「それは……、でも、セイランは、」  ゴースト系の魔物には物理攻撃が効かない。そんなのは常識だった。効果があるのは、魔法のみ。魔物を相手にする仕事をしているセイランが、知らないはずはなかった。それでもセイランは、魔物に向けて剣を構える。攻撃が通らないと、分かっているのに。  ――大丈夫。魔物の目は総じて自分を見ている。二人が逃げる時間はある。  セイランは魔物を引き連れて、東へと走り出す。先ほどルピナスは「もっと西だ」と言った。つまり東に寄せれば二人とは違う方向に動かせるはず。次々に放たれる魔物の魔法をギリギリで避けながら、二人に背を向け距離を取ろうとする。そのセイランに耳に、ルピナスの叫ぶような声が聞こえた。 「そっちはだめだッ! セイランッ!」 「え……、――ッ、か、はっ……」  直後、急に体の酸素を奪われたかのような息苦しさが襲う。頭を大きく揺すぶられたように目の前が揺れ、今にも戻しそうな吐き気に見舞われる。平衡感覚を失い走っていられず、そのままぐらと前方に倒れ込む。苦しい。呼吸がしたい。それなのに、まるで水の中にいるように息が出来ない。  セイランが踏み込んだ先には、かなり古い術式の魔法陣が描かれていた。範囲内に入った人間に魔法をかけるためのもの。今すぐにそこから出なければ、その魔法は解けない。しかしセイランには自分が罠にかかったことに気づく余裕はなかった。  そんなセイランに追い打ちをかけるように、背後から魔物の群れが迫る。同時に、別の魔物が正面から倒れているセイランに向かっていた。もはや剣を握る力もないセイランに鈍い衝撃が走る。それが魔法攻撃か物理攻撃か、そもそもどこを攻撃されたのか、もうセイランに判断する力はなかった。  薄れていく景色の中で、セイランが最後に感じ取ったのは、ゴオッと、強風のように駆け辺り一面を一瞬で包んだ炎の熱だった。

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