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第5話
「よほど辛かったのだろうな。無理もない」
「え?」
「まずは順を追って話そう。私の名はミハイル。ミハイル・ルーシェニコフだ」
「三倉歩です」
右手を差し出され、握手に応じる。
「対岸に見えるのは聖ペテロ大聖堂だ。あの尖塔の下に、私の先祖が眠っている」
「ご先祖様が……。あれ? でもあそこは確か、歴代の皇帝だけが埋葬を許された特別な場所だったかと……」
読んだ資料にはそう書いてあったように思う。もしや彼は、今はなき王朝の末裔なのだろうか。それとも、国民の心の拠り所という意味でそう言ったのだろうか。
───でも、はっきり『私の』先祖って……。
不思議に思っていると、ミハイルは真面目な顔で「大切な話をしよう」と切り出した。
「信じがたいものに聞こえるかもしれないが、私が今から話すことに一切の嘘偽りがないことをこの国の名に懸けて誓う」
ミハイルはそう言って胸元の国章に手を添える。真剣な表情は怖いくらいで、会ったばかりの人ながらそれが演技とは思えなかった。
「私はかつてこの国を治めた、第十三代ルーシェ帝国皇帝だ。一七八〇年にこの世に生を受けてから今日まで、ここで国の歴史を見続けてきた」
「…………え?」
予想外の言葉に反応が遅れる。どうりで慎重に前置きをしたはずだ。
目を白黒させる歩の様子を窺いつつも、ミハイルはゆっくり話し続ける。
「私が生まれたのは、一言で言えば激動の時代だった。国がヨーロッパの文化を吸収し、急速に発展する一方、北からはスウェーデン、東からはロシアが圧力を強めつつあった。そんな状況だったからこそ、神は皇太子として生まれた私に『ルーシェを導く杖にせよ』と特別な力を授けたのだろう。強く願ったことを叶える不思議な力だ」
「願ったことを? なんでも叶うんですか?」
「おそらくな。国を動かすほどのものだ、大抵のことは叶うだろう。私はそれを国のために使ってきた。……少なくとも、あのひどい裏切りに遭うまでは」
そう言って、ミハイルはどこか遠くを見るように目を細めた。
「私はかつて、己の浅慮により愛するものを危険な目に遭わせ、そして失ってしまった。この手で招いた悲劇を心から謝罪するため、もう一度会うために力を使って不死となり、同時に不可視の生きものとなった」
「不死……不可視……」
口の中で鸚鵡返しにくり返す。
不死というのは文字どおり、死なない生きものという意味だ。
そして不可視というのは誰の目にも捉えられない存在を指す。
これらは映画や小説で見聞きしたことはあっても、架空の存在だと思っていた。だからいざ当人だと言われてもどうもいまいちピンと来ない。
それはミハイルにも伝わったのだろう。彼はしかたがないというように頷いてみせた。
「戸惑うのも無理はない。私ですら、人に話すのははじめてだ」
「そう…、なんですか」
「おまえにしか話せないことだからな。……アユム。おまえは生まれ変わりというものを信じるか。おまえがかつて、私の世話係として仕えてくれていたと言ったら」
「え?」
思いがけない言葉に目が丸くなる。
「名をレナートといって、やさしく気立ての良い青年だった。陰謀が渦巻く宮中にあって彼の無垢な心に私がどれだけ救われたか……。愛していたのだ。そんな私をレナートも愛してくれた。それが許されぬ恋であると知りながら私たちは互いを求め、運命に翻弄され───そして結ばれることなく死に別れた」
ミハイルの顔がぐしゃりと歪んだ。
出会い頭に彼が口にした名前だ。歩を一目見るなり、彼は「レナート」と呼んだ。
───そんなに似てるのかな。昔の恋人と……。
彼の話がほんとうならば、自分は二百年も前に生きた青年の生まれ変わりということになる。そしてそんなレナートを、ミハイルは愛していたと言いきった。
切なげに見つめられて熱に浮かされてしまいそうだ。目を逸らすこともできないまま、吸いこまれそうなペールブルーの瞳をじっと見上げた。
「……あれ? そういえば、見えてる……?」
今さら気づいてきょとんとなる。
「ミハイル様は誰にも見えないはずなんですよね? でも、ぼくにははっきり見えているような……」
「レナートの魂を持つものにしか私の姿は見えない。何度生まれ変わっても、たとえ私を忘れてしまったとしても、もう一度巡り会えた時にお互いを見つけられるように」
「まさか、そのために不可視になったんですか」
「何年経っても老いない人間など、存在自体が許されないだろうからな。研究対象として捕らえられでもしたら目も当てられない。私はここでおまえに会うためだけに生き続けていたのだから」
「ミハイル様……」
理解の範囲を超えた答えが返ってきた。なぜ、そうも思いきることができるのだろう。
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