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第10話
そしてオーディション当日。
柚希は朝早く起床して、オーディション会場に向かった。オーディション開始は午後一時からだったのだが、気持ちが急いていたせいか、二時間も前に会場に着いてしまった。今朝も、そんな必要ないのに朝六時に目が覚めてしまったし。
(あああ……緊張する……)
今までたくさんのオーディションを受けてきたけれど、これほど緊張したことはない。自慢じゃないが、柚希はどんな大作のオーディションであっても、あまり身構えたことがなかった。
キャストのオーディションというのは、採用する側が「このキャラクターはこういうイメージだから、この声にしよう」というのを順々に当てはめていく作業でしかない。「このキャラクターを演じたい!」と気負っても、必ずしも実力通りにいくとは限らない。理不尽だが、声優業界とはそういうものなのだ。
でも……。
(今回は絶対に採用されたい……)
何しろ、あの十夢先生の作品なのだ。どんな役でもいいから何かしらの仕事をゲットしたかった。「こんにちは」の一言でもいい。先生と一緒に仕事をしたい。柚希はそのためにここまで頑張ってきたのだから。
「すぅ……はあ……」
少しでも緊張を和らげようと、何度も深呼吸を繰り返した。
オーディション受付が開くのと同時に、柚希は番号札をもらって「参加者控え室」に向かった。柚希は一番乗りだったが、数分もすると声優たちが続々と集まってきた。何度か一緒に仕事したことのある声優もいる。
「お、柚希じゃん。おはよう」
事務所の先輩・永野翔太が話しかけてきた。彼は低く色気のある声の持ち主で、女性向けの作品に数多く出演している。BLにおいては常連さんだ。
「おはようございます、永野さん。今日はよろしくお願いします」
礼儀を守ってぺこりと頭を下げたら、永野はひらひらと手を振った。
「お前、BLのオーディション参加するの初めて?」
「はい。ゆーちゃんにオススメの仕事があるって社長に言われて」
「ははあ、やっぱりな。社長、だんだんそっちの方向に進出していくつもりらしいぜ? 女性向けの作品ならある程度の需要が見込めるし、コアなファンも多いから、普通のアニメに手を出すよりいいんだってさ。最近はBLのドラマCDも流行ってるしな」
「そうなんですか。じゃ、これからはこういう仕事のオファーが増えていくんですね?」
「だな。でもBLは結構演じるのが難しいから、初めてのお前にはちょっとキツいかもしれないぞ?」
「……わかってます。でも、今回は絶対役をゲットしますんで」
「えっ?」
そう言ったら、永野はポカンと柚希に目をやった。
「あれ、珍しいな。今日はやけに気合い入ってるじゃん。どうしたんだ?」
「いえ……こっちの話です。集中したいのでこれ以上話しかけないでくださいね」
「? なんだぁ?」
怪訝な顔をされたが、詳しいことを説明してやる余裕はなかった。柚希の頭の中は、十夢に対する強い想いでいっぱいになっていた。
オーディションで再会したら、十夢先生はどんな反応を示してくれるだろう。おれのこと、まだ覚えているだろうか。姿かたちは忘れても、この声だけは覚えていて欲しい。何しろ、このニューハーフボイスを最初に「好きだ」と言ってくれたのは十夢先生なのだから……。
緊張と不安と憧れと期待が同時に押し寄せて来て、柚希は無意識に身体を震わせた。
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