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encounter.Ⅰ-IX
『――ラスト』
知らない男の声が自分を呼んだ。
平素ならば気味の悪さに電源キーを押していたが、何故か戦慄を覚えたラストの身体は静止していた。
『私だ』
中立で温厚ながら、有無を言わさぬ声。
そして名乗らずとも分かれと言わんばかりの、傲慢さやある種の信頼がたった一人の名前を想起させる。
「ナイトメア…?」
『今晩はラスト、そのコートでは風邪を引く恐れがあるな』
あの督促から日も開けず、今の今で掛けてくるとは。しかも監視カメラが光ったのは気の所為では無かったらしく、ラストはついレンズを睨みつける様に視線を返す。
「盗撮はご遠慮頂きたい」
『公務だ。ところで思慮深い君が電話を所望するとは、何か込み入った話でもある様だが』
「いいえ、単に…貴方の声が聞いてみたかっただけで」
答え終え、文言の怪しさにふと冷や汗を掻く。イギリス紳士にこの距離感は如何なものか、以前に自分の立ち位置すら怪しくなりそうで、どうにか冷静な言い訳を付け足しておく。
「深い意味はありませんよ、サー」
『十分光栄な理由だ、君から良い返事が聞けるのも遠くなさそうだよ』
「…そうは言いますが、私は明確に勝ち負けを決めるべきでないと思うんです」
ラストは周囲の気配を気にしつつ、いっそ好機とばかりに車中で考えていた件をぶち撒けた。
両者はこの件で決着をつけたいらしいが、それは本当に今が最適なのか。話によれば犯罪者と警察ながら共存を保っていたのに、態々壊してしまうメリットとは何なのか。
言葉にすれば長ったらしくなりそうな懸念を、ナイトメアは先の一言で嚙み砕いてくれた。
『カニバルの報復が怖いと?』
「貴方もですよ、ナイトメア。私はその後の厄介ごとの引き金になるのは御免です」
『君は引き金ではない、弾丸だ』
bullet、と美しい発音が宣告する。
言葉に切られた心地で、ラストは動揺を誤魔化す様に眼鏡の位置を直す。
『私かカニバル、どちらかを撃ち抜く』
「…撃たない道を選んだら?」
『引き金は私だ。もう撃った。君が決められるのはどちらに飛ぶか、それだけだ』
流石ヤード、嫌な例えながら、責任はこちらに無いと慰めのつもりだろうか。何にしても口を挟めない不遜さが、この人間の自称した地位を裏付けている。
『ラスト、其処まで心配しなくて良い。君を巻き込んだのは否めないが、これは私と奴の勝負を成した上へのパフォーマンスに近い。実に形骸的なね』
「つまり、余り意味はないと?」
『そうでもない。私が勝てば奴の鼻を明かせる…そう言えば給与の話が未だだったね、無論上限はあるが、君の言い値で構わないよ』
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