9 / 12

encounter.Ⅰ-IX

『――ラスト』 知らない男の声が自分を呼んだ。 平素ならば気味の悪さに電源キーを押していたが、何故か戦慄を覚えたラストの身体は静止していた。 『私だ』 中立で温厚ながら、有無を言わさぬ声。 そして名乗らずとも分かれと言わんばかりの、傲慢さやある種の信頼がたった一人の名前を想起させる。 「ナイトメア…?」 『今晩はラスト、そのコートでは風邪を引く恐れがあるな』 あの督促から日も開けず、今の今で掛けてくるとは。しかも監視カメラが光ったのは気の所為では無かったらしく、ラストはついレンズを睨みつける様に視線を返す。 「盗撮はご遠慮頂きたい」 『公務だ。ところで思慮深い君が電話を所望するとは、何か込み入った話でもある様だが』 「いいえ、単に…貴方の声が聞いてみたかっただけで」 答え終え、文言の怪しさにふと冷や汗を掻く。イギリス紳士にこの距離感は如何なものか、以前に自分の立ち位置すら怪しくなりそうで、どうにか冷静な言い訳を付け足しておく。 「深い意味はありませんよ、サー」 『十分光栄な理由だ、君から良い返事が聞けるのも遠くなさそうだよ』 「…そうは言いますが、私は明確に勝ち負けを決めるべきでないと思うんです」 ラストは周囲の気配を気にしつつ、いっそ好機とばかりに車中で考えていた件をぶち撒けた。 両者はこの件で決着をつけたいらしいが、それは本当に今が最適なのか。話によれば犯罪者と警察ながら共存を保っていたのに、態々壊してしまうメリットとは何なのか。 言葉にすれば長ったらしくなりそうな懸念を、ナイトメアは先の一言で嚙み砕いてくれた。 『カニバルの報復が怖いと?』 「貴方もですよ、ナイトメア。私はその後の厄介ごとの引き金になるのは御免です」 『君は引き金ではない、弾丸だ』 bullet、と美しい発音が宣告する。 言葉に切られた心地で、ラストは動揺を誤魔化す様に眼鏡の位置を直す。 『私かカニバル、どちらかを撃ち抜く』 「…撃たない道を選んだら?」 『引き金は私だ。もう撃った。君が決められるのはどちらに飛ぶか、それだけだ』 流石ヤード、嫌な例えながら、責任はこちらに無いと慰めのつもりだろうか。何にしても口を挟めない不遜さが、この人間の自称した地位を裏付けている。 『ラスト、其処まで心配しなくて良い。君を巻き込んだのは否めないが、これは私と奴の勝負を成した上へのパフォーマンスに近い。実に形骸的なね』 「つまり、余り意味はないと?」 『そうでもない。私が勝てば奴の鼻を明かせる…そう言えば給与の話が未だだったね、無論上限はあるが、君の言い値で構わないよ』

ともだちにシェアしよう!