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第5話
「こんばんは、若葉様。本日が契約最後の回になりますが、ご延長はされますか?」
「いや、今夜が最後でお願いします」
「さようでございますか、畏まりした」
いつも通り奥の部屋に入ると、既に彼はグラスを傾けシャンパンを飲んでいた。
「こんばんは……」
「こんばんは……よかった、来てくれて」
「どうして?」
「先週あんな別れ方をしてしまったから、もう来てはくれないと思っていたんだよ」
「ちゃんと最後の挨拶はしないと……」
最後と自分で言った言葉が思いのほか胸にぐさりと刺さって、少しだけ切なくなった。
「そうか……じゃあ、若葉くんと飲む最後のシャンパンはこれだよ」
最後だと同じく口にした彼の隣りに座ると、ボトルを傾けグラスに注ぐと俺にそれを差し出した。
「このシャンパンはテタンジェノクターン スリーヴァー」
「ノクターン……」
「そう……」
「あのショパンのノクターン?」
「あぁ。ノクターンは別名で〝夜想曲〟。俺が何故、このシャンパンを最後に選んだか……分かるよな――航平?」
そして、真顔で彼がノクターンの話と一緒に俺の本名を口にした時、一気に空気が変わった。
「お前……やっぱり気づいてたのか」
テーブルにグラスを置くと、隼人はゆっくりとソファーに身体を預け足を組み、言葉を続けた。
「悪いけど、航平の身辺調査させてもらった。だから、お前が何故、俺に近付いたかも知ってる」
「マ、ジかよ……」
「話を戻すけど、俺が最後にこのシャンパンを選んだ理由、分かるか?」
「夜想曲の意味は……知ってる。けど、まさかそんなはずないだろ。俺はあの時、お前からの告白を断った。だから、とっくに隼人の気持ちは……」
「航平はあの時、俺がからかってると思って間に受けなかったんだろ?」
「そうだよ、お前のこと嫌いだったし、それになんで俺なんだよ」
「嫌いって……酷いな、まったく。俺は好きだったよ、本気で」
好きになった理由がわからないから、いくら今更色々言われたって信じられるわけがない。
「それなら、好きになった理由を教えろ」
「綺麗だと思ったから」
「……は?」
「航平のこと、綺麗だなって思ったんだ」
まさかそんな理由を告げられるとは思ってなかった俺は、頭の中が真っ白になった。
「当時から色素が薄くて髪も茶色くて、初めて見かけた時から綺麗な男だなって思ってた。だから、見かける度に目で追うようになって、次第に気になる存在になってた」
「綺麗って、俺、男だけど」
「男も女も関係ないだろ」
「そ、そうだけど……」
「それに、久しぶりに会った航平はやっぱり綺麗で、毎週ここで会って話すのが楽しくてさ。明け方、家に帰ると航平との夜を思い返してた。暫くして、何故、航平は俺の目の前に現れたのか次第に気になり始めた。それからお前が俺の身辺調査をしていることを調べ上げ、仕事なら一ヶ月ごとの契約延長はしないだろう。だから、会えるのは今夜が最後と予想したんだ」
「最後……」
「あぁ。今夜、改めて言おうと思ってた。俺はやっぱり航平が今でも好きだ。夜を重ねる度にお前を少しずつ知って、キスをする度に可愛い反応を見せられ、更に好きになったし、もう二度と手放したくないと思った」
突然の告白に固まっている俺を抱き寄せると、耳元で好きだと繰り返され、あの時よりも心に響いて胸が苦しくなった。
「あ、あの……そんなこと言われても……俺はお前のことが……っ」
嫌いだと口にする前に再び口を塞がれ、すくい上げるように何度も何度もキスをされる。暫くして、唇が離れていった頃には肩で息するくらいに呼吸は乱れていた。
「はぁ……っ……はぁ……っ」
こんな想いを告げられて、情熱的なキスをされたら……抗えない。
「今度こそ俺と付き合って欲しい」
そして、追い討ちをかけるかのように同じ男から二度目の告白をされた。
「隼人……」
「返事は?」
けど、簡単に頷けるほど若くないし、何より隼人には……
「婚約者……」
「え?」
「婚約者どうするんだよ」
「それは心配しなくていい。あいつも他に一緒になりたい男がいて、どうにかして俺との婚約が破談にならないか、あら探しの為に身辺調査を依頼したらしい。だから、航平が心配することはないんだよ」
「マジかよ……」
「だから、今度はちゃんと考えて欲しい……今も俺が嫌いか?」
俺の調査は無意味だったと言うことか。
でも、依頼を引き受けたから隼人に再会出来たわけだから、やっぱり意味はあったのか……。
「おい、聞いてるのか航平?」
「あ、あぁ……聞いてるよ」
「いい加減、返事を聞かせてくれ」
キスで濡れた唇を、親指の腹でなぞりながら返事を急かされる。
「嫌い……じゃ……ない……多分」
「じゃあ、返事は?」
(この状況でそんな聞き方狡いだろ·····)
少しだけムカついた俺は返事をする代わりに、自分からその口を塞いで悪態を吐いた。
「おまえ確信犯だろ……狡い」
すると、ふっと短く笑った隼人が、テーブルに置かれた二つのグラスにシャンパンを注ぎ入れ、俺の目の前に差し出した。
「今夜のレッスンは何をお望みだ」
「そうだな……」
カーンッと響く音に俺もつられて微笑むと、二人でゆっくりとグラスに口を付けそれを味わう。
それはなめらかで繊細な口当たり、辛口と甘口の間くらいの味わいだった。
まるで今の俺たちみたいな、そんな味がした。
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