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第3話 糾弾 3

   夕暮れの気配が漂う北の離宮に、私はわずかな従者と共に到着した。  用意された自室は、離宮の主人だった妃が使っていたと言われる部屋だ。  暖炉には十分な薪がくべられ、窓際には豪奢な窓掛けがかかっている。長年使われていなかったとは思えないほど、部屋の中は清潔で美しく整えられていた。調度品はどれもが一級の品であり、全てが王宮に勝るとも劣らない。  ⋯⋯今の私には、必要ないものばかりだ。  ため息をひとつこぼしながら、侍従に手伝わせて旅装を解く。  離宮の初めての食事は、驚くほど美味だった。予定よりも一日早く着いたのに、すぐに支度は整った。  柔らかく煮こまれた鶏のスープを中心に、少しずつ用意された温野菜と麦粥。弱った体に滋養が染み渡っていく。  時間をかけて全てを平らげると、侍従の安堵する姿が目に留まる。  元々食が細く、ここに来るまでにさらに食べる量が減った。脆弱な体はさらに肉が落ち、もはや貧弱と言えるだろう。 「心配をかけて、すまない」  ぽつりと漏らせば、物静かな侍従は眉を寄せて首を振った。憐れみを含んだ瞳がそっと伏せられる。  長旅でお前も疲れただろうと、早々に部屋を下がらせた。  周りに誰もいなくなると、温かいはずの部屋の気温が一気に下がったように思えた。  離宮の窓から見える外は、一面の白。周囲は風の音が聞こえるだけだ。  空からは、絶えず羽毛のような雪が降っている。  厚い硝子の(はま)った扉を開けて露台に出た。  一歩外に出れば、寒さが肌を刺す。降りかかる雪はどんどん激しくなり、寝間着に上掛けを羽織っただけの姿では、あっという間に体温を奪われていく。  空から舞い落ちる雪は、まるで花びらのようだ。今頃、王都では青空の下で木々に爛漫の花々が咲いているだろう。芽吹いたばかりの柔らかな芝生の上に寝転んで、風に舞う花びらを眺めるのが好きだった。  もう二度と、あんな日は訪れない。  ⋯⋯このまま儚くなってしまえばいいのに。  手の平にも髪にも、どんどん雪が降り積もる。一瞬、体温で溶けていた雪は、あっという間に今度は体中の熱を奪う。冷たさが痛みに変わり、さらには感覚さえ鈍くなり始めた時、いきなり後ろから肩を掴まれた。 「何をなさっておいでです!」  押し殺した声に後ろを振り向けば、ドクンと大きく心臓が跳ねた。 「っ! ヴァン⋯⋯テ⋯」  冷えた唇が上手く動かない。 「雪の中にこんな薄着で出るなんて! ここを王都だとお思いか!?」  流れる銀色の髪に白皙の美貌。深い青の瞳は見る者を魅了する。神秘の瞳と常に称賛を受ける者がそこにいた。  クリストフ・ヴァンテル。  北の守りの要、勇猛さで名高い騎士団と広大な所領を持つ男。冬の湖のように底知れぬ色を宿した瞳には、怒りがあった。  呆然と見つめていると、強引に体を抱きかかえられる。  大きな音を立てて露台への扉が閉まった。部屋の中に吹き込んだ雪は、温かい室内で次々に溶けていく。すぐに暖炉の前に連れていかれ、毛足の長い敷物の上に降ろされる。  凍りかけた髪の先からぽたぽたと雫が落ち、体は溶けた雪でぐっしょりと濡れていた。  手先に感覚が戻ると同時に、ぞくぞくと寒気に襲われる。  ヴァンテルはすぐさま、続き部屋から大きな布を何枚も取ってきた。  何も言わず、私の濡れた髪や身体を拭いていく。その仕草は、まるで壊れ物を扱うように丁寧で、混乱だけが大きく渦を巻く。  何か言おうにも、上手く言葉が出ない。その時初めて、自分が震えているのに気が付いた。 「⋯⋯な⋯⋯ぜ、なぜ、お前がここに?」  気づかぬうちに預けた手を思いきり振り払う。すると、その手を逆に捉えられ、手首をがっちりと掴まれた。 「このままでは、お風邪を召します。殿下」 「⋯⋯風邪?」  まるで心配しているかのような台詞に、ぽかんと口を開けた。 「風邪なんて⋯⋯。何を言う。まるで心配しているような口を聞く」  私の言葉に応えることなく、ヴァンテルは言った。 「服をお脱ぎください」  何を言われたのか、わからない。

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