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第4話 糾弾 4

「聞こえませんか? 濡れた服などいつまでも身に着けているものではない」 「無礼なことを! 侍従はもう下がらせた。後は⋯⋯、自分でやる」  ⋯⋯っくしゅ!  立て続けにくしゃみが出たのを見た途端、ぐいと体を引き寄せられた。  さらさらと流れる髪が頬に触れる。頬に手がかかり、柔らかなものが唇をかすめた。 「⋯⋯な!」 「ほら、こんなにお体が冷えている」  頭の奥が湧き上がる怒りで白くなる。  腕に掴みかかり、渾身の力を込めても、相手はびくともしない。 「わたくしが、侍従の代わりを務めましょう」  そう言って、前で結んだ上掛けの紐を解かれた。たっぷりと水を吸った衣はさらりと床に落ち、絹の寝間着だけの姿になる。いつの間にか寝間着までが水を含み、冷えて肌に張り付いていた。  寝間着姿を人に見られるなど、肌をさらすのと同じことだ。羞恥のあまり、頬が熱くなる。思わず両の腕で体を抱きしめれば、長身の男が目の前に立った。 「やめろ、クリストフ!!」  寝間着に手がかかった瞬間、喉の奥から吐き出すように名を呼べば、ぴたりと男の動きが止まった。 「⋯⋯名を呼んでいただけるとは光栄です」  何の感情もない声がして、静かに見下ろされる。 「それだけ叫べるのなら、大丈夫でしょう。私は向こうにおります」  ヴァンテルは、着替えを小卓の上に置いて、続き部屋の扉に向かって歩き出す。  体が小刻みに震え、(くずおれ)そうになるのを見抜かれていたのだと思うと堪らなかった。  こらえようと思っても、目の奥が熱くなる。涙を見せることだけはしないと歯を食いしばる。  濡れた寝間着を脱ぎ捨て、乾いた柔かな寝間着を、何とか身に付けた。  体温が戻るのとは逆に、心は凍てついていく。  立ち尽くす私に、戻ってきた男は優雅に腰を折って礼を取る。 「王都より御到着されたと聞き、急ぎ参上した次第です。遅い時間にお訪ねした無礼をお許しください。北の大地を預かる者として、心より歓迎申し上げます」  返す言葉など何もない。  頬を幾筋も熱いものが流れ落ちる。涙一つ堪えることが出来ない自分を許せず、ただ相手を睨みつけることしかできない。  冬の湖よりも青い瞳の中に、ちっぽけな自分が映っている。  ヴァンテルと視線を交わしたのはどれほどの時間だったか。  扉が閉まり、一人になった途端に体の力が抜けた。寝台までの僅かな距離によろめき、どさりと倒れ込む。  あの日、諸侯の前で、お前は言った。 『アルベルト殿下。貴方の些細な御力では、我がロサーナを御することはお出来にならない』と。  まるで罪人のように、騎士たちに両腕を掴まれ、自室に戻された。  自分の足で必死に歩もうとしていた者の心は、跡形もなく打ち砕かれたのだ。  止めようと思っても、後から後から、涙が溢れてくる。  泥のように重い体には、押し寄せる闇だけが唯ひとつの友だった。

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