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第36話 林檎 1

   雪の固まりが地上に落ちる音が、時折耳に響く。  凍宮の庭には、長く風雪に耐えた木々があった。張り出した枝に積もる雪は、日に日に(かさ)を増してゆく。  父王に残された時間は少ない。  時計の針は、決して止まることなく進む。  少しでも会いたいと思うのなら、一刻の猶予もないはずだった。  『陛下のお子の中でも、もはや王子は殿下お一人だけ』  叔父の言葉が繰り返し、耳に響いた。  ⋯⋯兄様。貴方がいらしたなら、父上は何の憂いもなかったことでしょう。私では何の慰めにもならないのに、お会いすることに意味はあるのでしょうか。  父の耳に宮中伯たちから廃嫡の知らせが届いていたなら⋯⋯。より深く、嘆く機会を与えることになるのではとの思いが消えなかった。  父を訪ねるということは、王宮に向かうということだ。  胸の奥にしまい込んだ傷が疼く。  宮中伯10人の名を連ねた請願書が目の前に突き出され、ヴァンテルは言った。  『貴方の些細な御力では、我がロサーナを御することはお出来にならない』と。  あれからまだ、わずかな月日しか経っていないのだ。  ヴァンテルが見せる優しさと、私を陥れた事実と。  どちらも、真実だというのなら。  私は、何を信じて生きればいいのだろう。 「殿下!」  レビンが、にこにこと笑顔で部屋に入ってくる。 「ご覧ください。公爵閣下からの贈り物です」  ヴァンテルからは、変わらずに毎日、貢物が届いていた。  上機嫌の侍従は、銀の盆を捧げるようにして私の前に来た。  小さな丸い実が一つだけ、盆の上の皿に乗っている。親指ほどの大きさだ。鮮やかな赤い色が、艶々と輝いていた。 「これは?」 「(しょう)林檎(りんご)です!」 「りんご?」 「はい。殿下は召し上がったことがおありですか?」 「いや、ない。何しろ、見たのも今日が初めてだ。北方の木の実だろう? 暖かい王都では実らないから、一度は見てみたいと思っていた」  これが、林檎。私はしげしげと手に取って眺めた。  赤い実の表面は、まるで宝石のように輝いている。艶々と光沢があって硬く、ころりとした形も愛らしい。  小宮殿に来たヴァンテルに聞いたことがある。  本の中に出てくる、林檎と言う木の実はどんなものか、と。  ヴァンテルは少し考えこんで言った。  北方なら、珍しくはない木の実です。中でも、小さくて甘味の強いものがあります。いつか、殿下にお目にかけましょう⋯⋯。 「これは、小さいですが林檎の中でも甘くて、すぐに鳥たちに食べられてしまいます。明日収穫しようと楽しみにしていたらもう無かった、なんて話もよくあるんですよ」  レビンは嬉しそうに話す。 「レビンも、この実が好きなのか?」 「好きです! 王都では見かけなかったので、懐しくて。北方地方の子どもなら、冬は皆、晶林檎を探しに走り回るものです」  ⋯⋯クリスも?  整った美しい顔が浮かぶ。幼い頃のように感情の動きを見せない彼も、これを見つけた時は喜んだのだろうか。 「⋯⋯凍宮の庭にも、晶林檎の木はあるだろうか?」 「庭師に聞いてみないとわかりませんが。たぶん、あると思います」  

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