43 / 152
第42話 王宮 3
王宮の一室に、私と叔父はそれぞれ秘密裏に部屋を用意された。
母が箝口令 を敷いたので、誰も部屋には近づかない。
ようやくゆっくりと体を伸ばして寝台で眠れるはずなのに、少しも眠くならなかった。
いつも耳が捉えていた風の音がない。
寒さの中で窓が軋む音も、木々の間から雪が落ちる音も。
ふとした隙間から入ってくる、切れるように冷たい空気すら、ここからは遠い。
凍宮の日々に、懐かしさすら覚えることが不思議だった。
⋯⋯王都で過ごした時間の方がずっと長かったのに。
うとうとと微睡 みながら、雪の中で誰かと赤い実を探す。そんな夢を見た。
父は、眠ってはわずかに起きる日々を続けていた。
私達が到着しても、すぐに目覚める様子はなく、逆に私は部屋で体を休めていた。
王宮に到着してから5日目。
母に付いている侍女が、そっとやってきた。今ならば陛下とお話が出来ます、と。
主廊は静まり返り、誰もいなかった。
国王の間は、王宮の最も奥にあり、寝室は連なった部屋の中の最奥に在る。
紋章が彫られた荘厳な扉を衛兵たちが守っていた。
彼らは、侍女の取り次ぎの願いに頷いた。私に視線が走り、頭巾を頭から被っていたものの、射貫 くような視線に息を詰める。
重い扉がゆっくりと開かれ、磨き抜かれた空間を進む。どこも塵一つなく、清涼な空気が漂っている。
そして、不思議なほど、王の居室に華美なものはなかった。
ロサーナは古く、富んだ国だ。いくらでも贅を尽くせるはずなのに、王の居室に至る王宮の廊下や部屋の方がよほど、豪奢な装飾で溢れている。
人払いがされた部屋にいるのは、母だけだった。
母は私に微笑むと、侍女と共に続き部屋に姿を消した。
「そこにいるのは、誰か?」
細い声がした。布が下がった寝台の奥で、わずかに人が動く気配がする。
「⋯⋯ご無沙汰しております、父上」
そう言うのが精一杯だった。母に述べたような口上がなぜか少しも出てこない。
「⋯⋯アルベルトか?」
遠い日のかすかな記憶が蘇る。優しく名を呼び、手を握ってくれた。
あの日と同じように、父が自分の名を呼んでいる。静かな喜びが湧き上がった。
「⋯⋯もっと、近くに」
私は外套を脱ぎ、父の寝台に近づいた。
「天蓋の布を⋯⋯取り、顔を見せよ⋯⋯」
動悸が止まらず、体が震えた。布を脇によけて膝を折れば、長く離れていた父の姿が目に入った。
叔父と母が言っていたことがすぐに理解できた。寝台に体を横たえ、こちらを見つめている父は、何十年後かの私の姿だった。銀に近い金の髪も、明るい空色の瞳も。面差しは確かによく似ていた。ただ⋯⋯、父の瞳には強い意志の光があった。痩せ細り、ひどく老いて衰弱した身体には、似合わないほどの。
「よく来た。其方に会えるとは⋯⋯、神は⋯⋯まだ私をお見捨てではないようだ」
微笑んだ父は、寝台から手を伸ばし、私に触れようとする。私は力の入らない父の手を取り、自分の頬に触れさせた。
なぜ、父がこんな姿になるまで、今まで会おうとしてこなかったのか。目の奥に熱いものがこみあげる。
「⋯⋯長きに渡る不孝をお許しください」
「其方を哀れな立場に置いたのは⋯⋯我等だ。幼い其方を⋯⋯遠ざけ、小宮に閉じ込めた」
父の言葉は、哀切に満ちていた。
「⋯⋯廃嫡の憂き目にあったそうだな、アルベルト」
「ご存知だったのですか、父上」
「宰相が、⋯⋯知らせにきたのだ。筆頭と共に」
病床の父が知っていたこと、宰相たちが既に知らせていたことが衝撃だった。
だが、そのどれもが、次に聞いた言葉に比べれば何ほどのこともなかった。
「許してやってほしい」
「⋯⋯え?」
「彼等の罪は⋯⋯私の罪だ、アルベルト。⋯⋯つらい思いをさせて、すまなかった」
混乱していた。
許せ?どうして父がそんなことを言うのかわからない。
父は知っていたのか。私が、無実のままに廃嫡されたことを。
──なぜ?どうしてです、父上?私は、私はこれまで、必死で⋯⋯。
父の手から力が抜けていく。
私は、はっとして、続き部屋にいた母たちを呼んだ。
ともだちにシェアしよう!