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第42話 王宮 3

 王宮の一室に、私と叔父はそれぞれ秘密裏に部屋を用意された。  母が箝口令(かんこうれい)を敷いたので、誰も部屋には近づかない。  ようやくゆっくりと体を伸ばして寝台で眠れるはずなのに、少しも眠くならなかった。  いつも耳が捉えていた風の音がない。  寒さの中で窓が軋む音も、木々の間から雪が落ちる音も。  ふとした隙間から入ってくる、切れるように冷たい空気すら、ここからは遠い。  凍宮の日々に、懐かしさすら覚えることが不思議だった。  ⋯⋯王都で過ごした時間の方がずっと長かったのに。  うとうとと微睡(まどろ)みながら、雪の中で誰かと赤い実を探す。そんな夢を見た。  父は、眠ってはわずかに起きる日々を続けていた。  私達が到着しても、すぐに目覚める様子はなく、逆に私は部屋で体を休めていた。  王宮に到着してから5日目。  母に付いている侍女が、そっとやってきた。今ならば陛下とお話が出来ます、と。  主廊は静まり返り、誰もいなかった。  国王の間は、王宮の最も奥にあり、寝室は連なった部屋の中の最奥に在る。  紋章が彫られた荘厳な扉を衛兵たちが守っていた。  彼らは、侍女の取り次ぎの願いに頷いた。私に視線が走り、頭巾を頭から被っていたものの、射貫(いぬ)くような視線に息を詰める。  重い扉がゆっくりと開かれ、磨き抜かれた空間を進む。どこも塵一つなく、清涼な空気が漂っている。  そして、不思議なほど、王の居室に華美なものはなかった。  ロサーナは古く、富んだ国だ。いくらでも贅を尽くせるはずなのに、王の居室に至る王宮の廊下や部屋の方がよほど、豪奢な装飾で溢れている。  人払いがされた部屋にいるのは、母だけだった。  母は私に微笑むと、侍女と共に続き部屋に姿を消した。 「そこにいるのは、誰か?」  細い声がした。布が下がった寝台の奥で、わずかに人が動く気配がする。 「⋯⋯ご無沙汰しております、父上」  そう言うのが精一杯だった。母に述べたような口上がなぜか少しも出てこない。 「⋯⋯アルベルトか?」  遠い日のかすかな記憶が蘇る。優しく名を呼び、手を握ってくれた。  あの日と同じように、父が自分の名を呼んでいる。静かな喜びが湧き上がった。 「⋯⋯もっと、近くに」  私は外套を脱ぎ、父の寝台に近づいた。 「天蓋の布を⋯⋯取り、顔を見せよ⋯⋯」  動悸が止まらず、体が震えた。布を脇によけて膝を折れば、長く離れていた父の姿が目に入った。  叔父と母が言っていたことがすぐに理解できた。寝台に体を横たえ、こちらを見つめている父は、何十年後かの私の姿だった。銀に近い金の髪も、明るい空色の瞳も。面差しは確かによく似ていた。ただ⋯⋯、父の瞳には強い意志の光があった。痩せ細り、ひどく老いて衰弱した身体には、似合わないほどの。 「よく来た。其方に会えるとは⋯⋯、神は⋯⋯まだ私をお見捨てではないようだ」  微笑んだ父は、寝台から手を伸ばし、私に触れようとする。私は力の入らない父の手を取り、自分の頬に触れさせた。  なぜ、父がこんな姿になるまで、今まで会おうとしてこなかったのか。目の奥に熱いものがこみあげる。 「⋯⋯長きに渡る不孝をお許しください」 「其方を哀れな立場に置いたのは⋯⋯我等だ。幼い其方を⋯⋯遠ざけ、小宮に閉じ込めた」  父の言葉は、哀切に満ちていた。 「⋯⋯廃嫡の憂き目にあったそうだな、アルベルト」 「ご存知だったのですか、父上」 「宰相が、⋯⋯知らせにきたのだ。筆頭と共に」  病床の父が知っていたこと、宰相たちが既に知らせていたことが衝撃だった。  だが、そのどれもが、次に聞いた言葉に比べれば何ほどのこともなかった。 「許してやってほしい」 「⋯⋯え?」 「彼等の罪は⋯⋯私の罪だ、アルベルト。⋯⋯つらい思いをさせて、すまなかった」  混乱していた。  許せ?どうして父がそんなことを言うのかわからない。  父は知っていたのか。私が、無実のままに廃嫡されたことを。  ──なぜ?どうしてです、父上?私は、私はこれまで、必死で⋯⋯。  父の手から力が抜けていく。  私は、はっとして、続き部屋にいた母たちを呼んだ。

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