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第48話 回想 1 ヴァンテル視点

  「どうして⋯⋯嫌うことなど出来るでしょう。あの日、一目で恋に落ちたのに」  ただ静かに、言葉が流れてくる。  痛みを(たた)えた瞳が私を見る。 「⋯⋯この道の先に、小宮殿があるはずだ。そう思って進んだ先に、一生を捧げようと思う方がいるとは思いませんでした」  ヴァンテルが語っているのは、まさか。  ⋯⋯私たちが出会った日のことなのか。そして。 「ずっと、貴方だけが私の全てです。アルベルト・グナイゼン殿下。ここで、初めてお会いした日から」  久々に訪れた王宮は、静かに光が降り注いでいた。  宮中伯である父と共に、諸侯に一通りの挨拶が済んだ後、そっと一人で広間を抜け出した。  少しでも親しくなろうと擦り寄ってくる者たちには、飽き飽きしていた。次代の宮中伯に近づきたい気持ちが見え隠れして、うんざりする。  ほんの気まぐれだった。亡き伯母が住んでいたと言う小宮殿を見たいと思ったのは。  小宮殿は広大な王宮の端にあり、病がちな第二王子が暮らしている。顔を見たこともない王子に興味はなかった。ひっそりと建つ宮殿に、誰も訪れない見事な庭園。それはまるで、物語の世界のようだと思ったのだ。  小道はすぐに見つかったが、思ったよりも小宮までは距離があった。鬱蒼とした木々が見え、奥まった場所でふっと小道が途切れる。  柔らかな陽射しが、そこここに溢れていた。愛情をかけて世話をされた花々が咲き誇り、甘い香りが風に乗ってくる。見事な早咲きの薔薇の間を、蝶や虫たちが舞い飛ぶ。  低い茂みに囲まれた中に、小さな噴水があった。噴水から零れる水が光の中できらめき、夢のように美しい。どこかで見た風景だと思った。噴水の向こうに、揺らめく白いものが見える。目を凝らせば、人の足だった。  青々とした芝生の上に、裸足でうつ伏せに寝転んでいる者がいる。  銀に近い金髪に、すらりと伸びた真っ白な手足。素足を無防備に(さら)す者など、貴族の子弟にはいない。教会で見た天使の絵が思い浮かんだが、まさか、そんな者がいるというのか⋯⋯。  天使は緩やかに服を(まと)い、頬杖をつきながら熱心に本を読んでいる。夢中になっているのだろう、少しもこちらに気づかない。  どうしてなのか、無性に振り向いてほしい気持ちになった。近づこうとした時に、茂みに体を擦ってしまい、天使が振り向いた。  フロイデンの美しい空が、そこにあった。明るく、どこまでも続く空を映した瞳。瞬きもせずに見つめていると、天使が口を開いた。 「だあれ? 王子?」と。  少し高い伸びやかな声に我に返る。背中に羽などないことに、その時初めて気がついた。  アルベルト・グナイゼン。  小宮殿に、人目を避けて宝のように隠された、小さな王子。  素直で優しく愛らしい王子に、どうしようもなく惹かれた。  噴水のある場所は、本の中の風景に似ていた。  異国から商人が運んできた本は、元々は語学を学ぶ一環として与えられたものだ。  王子に本のことを話すと、彼はこぼれそうに大きな瞳を輝かせる。  約束通りに持参すれば、頬を薔薇色に染めて迎えてくれた。特に好きでもなかった異国の言葉が、王子が喜ぶというだけで大切なものになる。  本を読み聞かせれば、隣にぴたりと体を寄せる。もう一度だけ、と言いながら、何度もせがむ姿が可愛らしい。王子が望むのなら、いくらでも読もうと思った。  王都の本屋敷で過ごす時も、心はすぐに小宮殿に向かう。  今度は、いつ会えるだろう。何を持って行ったら、喜んでもらえるのだろう。  父が宮中に参内する時には積極的についていくようになり、出入りの商人には何か珍しい品はないかと尋ねるようになった。  贈り物を考える私を、侍女たちが気になる姫君がいるのかと勘違いする。年下だ、とやんわり言うと、喜んで助言してくれる。誕生日に何を贈ったらいいだろうと呟けば、決まっています、女性なら誰でも美しいものが好きですわ、と。  女性ではないと言い返せば、いらぬ詮索をされるのはわかりきっていた。ある日、侍女たちに口入れされた商人が、美しい文箱を持ってきた。上蓋に、小さな宝石が波を模して散りばめられている。その輝きは、噴水の水が光に姿を変えたように思えた。  誕生日に王子に文箱を渡すと、目を丸くして王子は言った。 「何を入れたらいいの?」 「殿下の大切なものを入れてください」  そう答えると、にっこり笑った。  あの笑顔を見た日から。王子が喜ぶものを考えるのが、いつの間にか日々の楽しみになっていた。  

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