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第52話 病魔 1 ヴァンテル視点

   殿下の瞳には、とまどいと脅えがあった。  折れそうに細く白い指を、そっと握る。  何度も瞳を瞬きながら、ゆっくりと、殿下は頷いた。  よろしく頼む、と。  これ以上の幸せなど、考えられなかった。  長い年月、会うことを夢見たアルベルト殿下がここにいる。  これからは誰に(はばか)ることもない。共に歩み、共にこの国の行く末を語ることが出来るのだ。  常に殿下との間に立ちはだかっていた王太子は、もういない。仄暗い喜びが湧き上がり、アルベルト殿下の涙にだけ心が痛んだ。  私とライエンの顔を交互に見た後、殿下は、小さくため息をついた。 「⋯⋯すまない。私は何も、わかっていないんだ。お前たちの役に立つことは、何も出来ないかもしれない。王太子の責務だけではない、小宮殿に引きこもってばかりで、人付き合いすら、ろくにしたことがない」 「殿下。ご無理もありません。何もかもが急に変わっておしまいになったのですから。時間はいくらでもあります。これから、少しずつ覚えていけばよろしいのです」  殿下に見惚れていたライエンも、はっと我に返った様子で言う。 「そうです、アルベルト殿下。殿下の手足となるために我等がおります。ご心配な点は、何でもお申し付けください」  青白い顔に、わずかに赤みがさす。それだけで、自分の心が騒ぐのがわかる。  大丈夫だ、何も心配することはない。  貴方の行く手を塞ぐものは、全てこの手で取り除こう。  貴方がいつでも、望むままに歩むことが出来るように。  貴方の進む先には、常に幸と栄光が溢れているように。  宮殿と言う名の鳥籠から貴方を出すためだけに、これまで力を蓄えてきたのだ。  今や、私の手には、貴方を自由にするだけの力がある。  アルベルト殿下は、少しずつ東の宮殿での生活に慣れていった。  将来の国王となる為に多くの教師が用意された。東の宮殿には、王太子付きの者たちが揃っている。  後から思えば、第一王子が亡くなった時に、全ての人員を入れ替えてしまえばよかったのだ。  健康で優秀な王太子を喪った者たちは、第二王子に、亡き王太子と同じだけの成長と成果を求めた。そんなことに、私もライエンも気づかなかった。  私たちは、殿下にも周囲にも、まずは日々の生活に慣れていただくようにとだけ言った。  困ったことはないか。体にご無理のないように、と伝えても、儚く微笑むだけ。殿下は、少しも弱音を吐かなかった。  最初の三か月ほどは、寸暇を惜しんで会いに行った。  殿下と食事をし、体を気遣い、日々の悩みや様子を聞くことが出来た。  それが出来なくなったのは、同盟国との国境争いが激しくなってきたからだ。  先代の筆頭が職を辞した後、私は新たに押し寄せる職務に忙殺されていた。そこに王太子が亡くなり、さらには決着済みの国境間の土地争いが再燃する。  殿下の元に赴く時間は瞬く間に減り、心は焦りながらも思うようにならない。ライエンはライエンで、騎士団と共に、国境線の調整に向かうことになった。 「王太子殿下のことは、私どもにお任せを」  東宮の者たちの言葉に、仕方なく頷いた。殿下に詫びに伺えば、逆に励まされもした。 「一日も早く、王太子として自分の足で立てるように努力する。クリスたちも体には気をつけて」  私達が知らぬ間に、朝から晩まで少しの隙も無い課程が用意されていた。アルベルト殿下もまた、必死にそれをこなそうとしていた。

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